前日のブログ▼の続きです。
この日は、日本橋高島屋から昭和通りを超え、旧楓川の新場橋をスタートして、三吉橋まで歩きました。
その日、通過した橋は8つでした。
まずは新場橋。ここは首都高速道路の最初あるいは最後に地下に潜る場所の橋です。
次は松幡橋。まつはたばしです。
江戸時代の町名「松屋町」と、「因幡町」の両方から一つずつとって、松幡橋と名付けられたとか。
「西八丁堀」という単語にびっくりしました。というのも現在は西八丁堀という地名はなく、母が育ったころ、ちょうど小学生の頃に西八丁堀に改名された町名のはずです。
ということは、私の想像が当たっているかわかりませんが、母が子供の頃、この公園のあった場所で遊んだかもしれません。そう思うと、この公園に急に親しみが湧いてきました。
その次は弾正橋。立派な橋でした。
このあたりになると、かつて川だったところと、人が通れる道路が離れているので、道路を歩いたり、写真を写すために橋に行ったりと、移動にかなり時間がかかりました。
おまけに信号がある場所まで遠回りをしなければならないこともあり、橋の写真を撮る、というのは単純に見えて、結構時間を要するものなのです。
ちょうど昼休み時間になり、お店に行く人やテイクアウトを調達する人で、けっこう道路は賑わっていました。
次は新富橋。
五重塔が、橋のたもとにありました。
母や伯母が「しんとみちょうの家」とよく話していたことは、子供心に覚えています。当時は「しんとみちょう」というのはどういう字を書くのかも分かりませんでした。
最後は三吉橋。
この橋は、旧楓川と、築地川が三角に交差する場所です。それで橋もトライアングルのような形で作られています。
橋のすぐ際に、中央区役所があります。
母の戸籍を取る時にお世話になったところです。
窓口の人がとても親切で、母は関東大震災直後に生まれたのですが、それ以前の書類などは全部焼失してしまい、大正13年頃も混乱していたことなどを、教えてくれました。
ということで、今回の高速道路下の川にかかった橋巡りは一旦、この三吉橋で終わりにします。
この先には祝橋、万年橋などが続き、東銀座となります。そのあたりは新橋演舞場に行くときによく通るところです。
また改めて歩いてみたいと思います。
*******
さすがにお腹が空いたので、銀座方面に歩き、キットカットのお店があったので、入ってみました。
中はガラガラで誰も人がいなくて、おまけに5月の連休後には閉店するのだとか。ちょっと残念ですね。
関東大震災が発生した翌年の正月に、疎開先の品川区荏原で生まれた母が、その後、数年間だけ住んでいた、今はなき東京市京橋区岡崎町。
自分の足で確かめることができて嬉しく思いました。
おまけにかつての楓川の橋とも出会えて、ラッキーでした。
歩いた場所は、前回のブログでご確認いただけます。
*******
「一日一句」
若緑や 昔の川を 思い出す
0 件のコメント:
コメントを投稿
最近、匿名さんからのコメントが多くなってきました。確認の設定をいたしましたので、ご協力よろしくお願いいたします。
「私はロボットではありません」にチエックを入れてください。
また、スマホでご覧の方は、「ウェブバージョンに表示」とすると、コメントを入力できるような仕組みになっています。by としちゃん