品川区立歴史館が、リニューアルのために2年ほど閉鎖されるというニュースを聞きました。
品川に特別思い入れがあるわけではないのですが、閉鎖前には「品川用水の企画展」があるというので、それは是非、拝見したいと思ってでかけて来ました。
品川といっても、最寄り駅は大森です。
お隣は大森貝遺跡塚公園です。
歴史館の観覧料は100円でしたが、私はシニアということで無料で入館できました。
ここは昭和60年に開館されました。まだそれほど古くはないのに、リニューアルするのはもったいない気がしました。
まずはお目当ての品川用水の展示室へ。撮影禁止なので写真はありません。
床一面に品川区の大きな地図が貼ってあり、用水の通っていたそれぞれの地点の写真が、壁面に展示されていました。そしてその場所は現在の住所表示もされていて、とても分かりやすい展示でした。地図と説明の両方を見ながら、確認できました。
これだけの作業をコツコツとされたことに敬意を払いました。
品川用水は元々は江戸初期の寛文7年(1667)に幕府から開削許可が出て、2年後に完成しました。現在、武蔵境にある浄水場のところで玉川用水から分離していました。そして品川用水は三鷹市や世田谷区、目黒区を通り、品川一帯に広がったのです。
当初は品川区にあたる地域の大半は、田畑が広がっていました。そして江戸時代から大正時代頃までは、品川用水は農業用水として利用されていました。米、小豆、大根、ナス、人参などが栽培されていたようです。
その後は都市化が進み、品川用水も工業用水に利用されましたが、だんだんと汚れてきたり、洪水の危険があるというので、昭和30年代にはあまり使われなくなりました。
そして昭和35年頃、品川用水は暗渠工事が進み、38年には完全に埋められてしまったのです。
当時の工事の様子がビデオに残されていました。もちろん白黒です。
ちょうど私が小学校高学年のころですね。
ビデオに写っている男の子や女の子、セーラー服の少女たちは、私と同年齢ということになります。とても懐かしく見てきました。
実は私の母は、中央区の育ちでしたが、ちょうど関東大震災直後だったので、実際に生まれたのは品川区の荏原あたりだったようです。たぶん、その時だけ、疎開していたのではないかと想像しています。ということで産湯は品川用水だったかもしれません。
また品川用水だけでなく、三田用水も描かれた資料が展示されていましたが、昔の人の苦労がしのばれました。
お土産に品川用水の資料をいただいてきました。この資料にある地図を見ていると、自分の足で歩いて見たい気分になりました。
またここには常設展として品川区の歴史も展示されていました。原始・古代から中世、近代、現代までの品川の歴史が分かりやすく展示されていました。
品川というとやはり江戸時代の東海道第一番目の宿場町のイメージが強いのですが、当時は街道沿いにはものすごくたくさんの宿場があったそうです。
2階にはモース博士と大森貝塚の資料がたくさんありました。大森貝塚は日本考古学発祥の地だそうです。
その後は資料館の庭に出てみました。
水琴窟もあるお庭でした。
昭和2、3年頃、安田財閥の安田善助氏が建てた松滴庵(しょうてきあん)という茶室がありました。ここには高橋是清なども招かれていたところだとか。
品川歴史館は、平日のためかほとんど訪れる人がいなくて、なんだかもったいない感じがしました。
その後は別のルートで大森駅まで戻ることにしました。
(続きはまたね)
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