久しぶりに市民カレッジを受講してきました。
今回は日本庭園についてです。
2020年秋に、恵泉女子大の先生から日本庭園の話を聞いていて、それが面白かったので、また参加してみました。
今回の講師は、「庭」という雑誌の編集長でした。
まずは日本庭園の簡単な歴史の流れについてお話がありました。
日本で最古の庭園は、城之越(じょうのこし)遺跡という三重県にある庭園だそうです。
その後、飛鳥時代、奈良時代に仏教伝来とともに庭園が広まったそうです。
平安時代には寝殿式庭園が広がりました。
初期に作られた神泉苑は私も行ったことがあります。
平安時代の代表的な庭園は毛越寺、平等院だそうです。これらは末法思想の影響があるのだとか。
その後、鎌倉時代以降は禅宗とのつながりにより、枯山水や書院造りが中心となりました。代表的なのは天龍寺庭園、金閣寺、大徳寺。夢窓疎石が有名な庭師でした。
室町時代後半からは、千利休などの活躍により、茶室を中心とした形式になりました。露地という形式が広まりました。犬山に在る有楽(うらく)苑が代表的な庭園です。
江戸時代になると大名たちがこぞって庭園を作るようになりました。これは客をもてなしするために、周遊式になっていて、茶室や茶屋を歩いて行けるようにしたからだそうです。桂離宮や修学院離宮などが有名です。
また江戸で流行っていた庭園文化が、それぞれの藩にも広まりました。栗林公園や鹿児島の仙巌園などが有名です。
このような庭園は江戸では防災の役割もあったそうです。
明治維新以降は、政治家や財界の有力者たちが庭園を作るようになりました。回遊式庭園が続いていました。
山県有朋は京都や東京にも邸宅をもち、無鄰菴や現在の椿山荘など、素晴らしい庭園を作っていました。
小川治兵衛などの庭師も有名です。
庭園の話を聞いて、自分が足を運んだところはとても懐かしく思いました。また今度は是非行ってみたいと思う庭園もありました。
講演の最後に質問コーナーがありましたが、参加者の間にはかなりの不満があったようでした。
それは講師からは庭園の名前などは画像では紹介がありましたが、プリントとして配布されていなくて、庭園の名前もよくわからないものが多かったのです。
参加者からは「金を取っているのだから、プリントくらい用意しろよ」という厳しい発言もあったほどです。
私も講師の話だけではよく聞き取れず、いろいろな固有名詞が確認できないこともありました。
この講師は、雑誌の編集長としてはすぐれた方だろうと思いますが、書くことはプロでも、話すことはあまり慣れていないのだろうと思いました。
(京都 勧修寺)
次回には都内の必見提案の紹介もあり、レジュメも用意されるようですので、期待しましょう。
写真は今回の講義とは無関係です。私がこれまで旅行で出かけた庭園です。
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「一日一句」
夏の日に 庭の姿を 学びけり
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