「源氏物語を楽しむ会」も、55回目となりました。
まさかこんなに続くとは思っていませんでした。これからも、コツコツと続けていきましょう。
いつもの通り、会のスタートはおしゃべりタイムです。これはお口の体操になるので、音読の前にはちょうど良いのです。
この日のおしゃべりテーマは、身幅が合わない着物の着方について。いただきもの着物やリサイクル着物などでは、寸法がぴったりといかない場合がよくあります。どうやってまとったら、スッキリと着られるかのアレコレの体験談をおしゃべりしました。
さて、本題に入りました。
春頃に九州から都に戻ってきた玉鬘の一行ですが、しばらくは九条の知人宅でお世話になりました。
そして、秋になってもなかなか都での生活には慣れずにいました。
そんな時、石清水八幡宮にお参りをしました。ここは京都の南西に当たる場所にあります。
その後は長谷寺までお参りに行くことにしました。こちらは奈良よりも南にあり、かなり遠い場所ですが、姫を助けたい気持ちで出かけることにしました。
地図で場所を確認しましたが。かなりの距離でした。
椿市(つばいち)という長谷寺近くまで、この距離を徒歩で4日間で行ったようです。大変そうですね。
一行のメンバーは、玉鬘、お付きの乳母、豊後の介、荷物持ち、身の回りの世話をする下女などおよそ10名でした。
訳本によると、この中には、トイレ係という人も同行していたようです。当時は公衆トイレなどありませんから、道中では排泄物の処理も自分たちでしていたのでしょうか。
また宿では、「軟障(ぜじょう)」という幕というのを使っていました。これはパーテーションというか、壁の代わりになる仕切りのようなものだと思われます。目隠しとしても使われていたようです。宿では大部屋のようなところに、この幕を使っていたのでしょうか。
そして、初瀬の宿でついに彼らは光源氏のおつきである右近と巡りあうことになりました。彼らは軟障を取り去り、およそ15年ぶりの再会をしたのでした。玉鬘は、そこで母の夕顔が亡くなったことを知るのでした。
というお話で、次回は右近はこのお姫様の存在を、なんとか都の光源氏に伝えたいと思うことになります。
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この日の装い。
まずはUさんから。
紫と藍色の混じったような落ち着いた色のすてきな紬に、淡いピンクの帯でした。お太鼓部分には、白梅、紅梅が花瓶に活けられていました。
今の季節にぴったりですね。
「一日一句」
平安の 昔を偲ぶ 梅の花
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