甲斐荘楠音(かいしょう ただおと)という人のことはまるで知りませんでした。
facebookの美術館情報を見て、ふーん、なんだか怪しそうで奇妙な絵を描く人だなとは思ってはいたのですが、たまたま高校時代の友人から「この展覧会は絶対に見るべき」というメールを受け取り、彼女が言うのなら価値があるのだろうと思い、出かけてきました。
「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」というタイトルでした。
会場は東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーです。
開館よりも早めに到着してしまったので、駅の天井を眺めたりしていました。
それでもまだ時間があったので、東京駅の建物から外ヘ出て、赤レンガの駅舎を撮影したりしていました。
展覧会のチラシによると、この方は元々は「国画創作協会」の日本画の画家でしたが、ある時から映画関係の道に進み、日本の時代劇映画に大いに貢献された方でした。
ただしチラシを見るだけでは、彼の描く女性の顔つきは、目の下にマクがあるようで、なんとなく病的な感じがして、それほど素敵な絵だとは思いませんでした。
ギャラリーの前にはかなり多くのお客さんが並んできました。
入館してみると、先程の先入観は吹き飛びました。
目の下が黒ずんだ女性の絵もありましたが、柔和な顔の女性、清楚な感じの女性の絵も多くあり、ホッとさせられました。
ほとんどの絵は若い女性の絵で、男性や子供、老人の絵はなかったと思います。
そして膨大な数のスケッチも残されていました。同じ女性の同じポーズの姿を何枚も描いていたのでした。
私がいちばん気になった絵画は、芸妓さんが三味線を抱えていたものです。三味線の三の糸が切れてしまったのか、糸がたわんでいる場面の絵画でした。
実は甲斐荘さんという方は、ご自身も女性になりたかったようで、女装した写真も展示されていました。
この方は明治27年(1894年)に生まれ、昭和53年(1978年)に83歳でお亡くなりになりましたが、それは私の祖母とほぼ同年代でした。
祖母は若い頃は丸髷を結い、大正時代には多くの子供を生み育て、戦争中は着物の上に割烹着を着て生活していたようです。戦後、私が子供の頃の思い出も着物姿しかありません。
それでも年を取ってからは夏には「アッパッパ」と呼ばれる洋服で暮らすようになりました。
そんな祖母と生きた時代が同じということで、甲斐荘さんに親近感も湧いてきました。
またこの方の素晴らしいことは、50歳ころから画業を中断して、映画の世界に身を置くようになったことです。
とくに市川右太衛門が演じた「旗本退屈男」のど派手な衣装なども考案されていて、映画で使用された数多くの衣装が展示されていました。映画の衣装考証や時代考証を担当されていたようです。
また当時の映画ポスターもたくさん展示されていました。今は参議院議員の山東昭子が共演したポスターもありました。中村錦之助、大川橋蔵、北大路欣也やジョージ・ルーカスなどの名前を見つけて、懐かしく思いました。
昭和の時代は映画の時代だったのだ、とつくづく感じました。
そして甲斐荘さんは、年を経てから、もう一度、絵画の世界に戻って絵を描き上げたのでした。
男性女性の性差を超えたこの方の生き方は、時代を先取りしていた感じを受けました。
実はせっかくなら着物姿で出かけようと思ったのですが、気温が36度ほどの予想だったので、さすがに諦めました。
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「一日一句」
大正の あでやか伝わる 美術展
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