私のニヶ領用水の旅は、ついに江戸時代の用水奉行だった小泉次大夫さんのお墓まで到達しました。
そこは川崎駅から数分歩いたところにありました。
繁華街を抜けて、第一京浜に架かる大きな歩道橋を渡りました。「川崎ハローブリッジ」という橋でした。
歩道橋の上から四方を眺めると、稲毛神社の大きな赤い鳥居が見えました。
そしてたどり着いたのが、「日蓮宗長継山妙遠寺」でした。
なかなか立派なお寺でした。
まずは小泉次太夫さんの像にご挨拶。
二人並んでいました。
お寺のご住職に「二ヶ領用水をずっと歩いてきました」と事情を話して、少しお話を聞いて、写真を写していただきました。
実は次太夫さんは生前から妙遠寺にお墓を用意していたそうです。そのことは「逆修塔」というそうですが、その時のお寺は、先ほど眺めた稲毛神社近くの砂子にあったそうです。その後、昭和27年、区画整理ために、お寺の場所を移転したのだそうです。ちなみに納骨堂は「妙泉殿」といって、小泉次太夫の名前から付けられたようです。
次太夫さんの像の隣でニコニコ顔の私です。
こちらの掛け軸は当時の用水工事を描いたもの。馬に乗って指揮をしているのが次太夫さんでしょうね。
大田区立郷土博物館にあるようなので、ここにも行ってみなくては。
こちらの大きな石は、「泉田二君功徳碑」です。
小泉次大夫と、もう一人、川崎中興の祖・田中休愚を称える石碑でした。
石碑の下には、どういうわけか、鹿のような動物の像がありました。鹿は神聖な生き物と言われれ神社にはよく見られますが、お寺に鹿はちょっと不思議でした。
こちらは次太夫と工事を共にした部下の駿河守のお墓です。やはり奥方様と二人並んでいました。
こちらは門の近くにありましたが、家臣(用水の工事関係者)のお墓でした。次太夫は部下思いだったのでしょうね。
その後、川崎市役所の情報コーナーのようなところへ行ってみました。あまり役に立ちそうな情報はありませんでしたが、旧東海道で川崎の歴史などのイベントが開かれているというので、行ってみました。
今年2023年はちょうど東海道の川崎宿ができて400年だそうで、あちこちでその記念イベントがありました。
ちなみに次太夫さんは、1623年に亡くなっています。
旧東海道の道路には石碑が立っていました。
展示場には学芸員がいらっしゃり、いろいろとお話を伺うことができました。市民ミュージアムが台風の水害で全滅してしまって大変だったというお話も聞きました。
ここでは写真もたくさん写させてもらいました。
少しだけ紹介します。
小泉次大夫は生まれは富士宮市の人です。
今度はできたら富士宮市の博物館にも行ってみたいと思っています。
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「一日一句」
どこまでも 追っかけします 次太夫さん
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