玉川上水の最終地点である羽村堰に行くために、今回のスタートは、前回の終点だった福生駅です。
福生駅前で記念撮影。
今回は5人で歩きます。
最初の橋は、前回に訪れた「宮本橋」。
ここから少し歩いた次の橋は、「加美上水橋」でした。
その後、昭和36年に線路は撤去されて、このあたりは加美上水公園となりました。
ここには富士山のビュースポットがありました。写真の中央に見えるのが富士山です。真っ白でした。
またここには、旧玉川上水跡がありました。
玉川兄弟が作ったのはそちらですが、90年後ほどしてから、多摩川の洪水被害を避けるため、一部区間に新たに上水を作り直しました。それが現在のルートになっています。
福生市指定史跡「玉川上水旧堀跡」の石碑です。
ここは福生十景にも選ばれているところだそうです。
ここを過ぎたあたりから福生市から羽村市になったと思います。
お次は「堂橋」でした。わりと小ぶりな橋でした。
ここから1キロほど歩いたところにあったのが「羽村大橋」です。ほんとに大きくて立派な橋でした。
大きなプールのような施設でした。水鳥が気持ちよさそうに泳いでいました。
「羽村橋」です。
ぼーっと歩いているところを写されてしまいましたね。
ちなみに「堰」という言葉ですが、「解説・河川管理施設等構造令」では、「堰とは、河川の流水を制御するために、河川を横断して設けられるダム以外の施設であって、堤防の機能を有しないものをいう」という定義があるそうです。
またダムと堰との違いは、堤防に接続するものが堰、山に接するのはダムという違いがあるそうですが、高さによっても区別されています。15メートル以上あるのがダム、それ以下のものは堰と定義されているそうです。
なるほどね。
また堰にもいろいろ種類があり、水位が固定されている堰、調整できる堰などにも分類できるそうです。現在の羽村取水堰は、右岸が固定堰、左岸が可動堰になっているそうです。
難しい区別はさておき、このあたりの多摩川は、ゆったりと流れていました。
山梨県の源流と、東京湾の河口の中間あたりになるのでしょうか。
この羽村取水堰は、「投渡堰(なげわたしぜき)」として、江戸の発展を支えた歴史的価値の高い施設であるとして、土木学会の土木遺産として認定されています。当時の投渡しの技術は、現在まで継承されている貴重な土木遺産だそうです。
ところで投渡堰というのは、洪水の時に、あえて門扉を切り離し、水に流してしまうことで、水の勢いをかわし、被害を最小限に食い止める方法だそうです。つまり自己犠牲の精神に満ちた堰なんだとか。この方法が江戸時代から伝えられているということです。現在の羽村堰では可動堰の部分がその方法をとっているそうです。
堰の横にある第一水門から取水され、第二水門で水量を調整しているそうです。
なかなか難しい説明ですが、こうやって洪水からの被害を防いでいるわけですね。
こちらは昔の牛枠という道具です。奈良時代からあったとか。
木だけでは水中で浮かんでしまうので、水の勢いに負けないように、川床に石を詰めて固定します。
この日はちょっと風が強く吹いていましたが、およそ5キロほど歩いたでしょうか。
この後ランチをして、羽村駅近くにある「まいまいず井戸」を見学に行きました。
この日の橋。
今回も、写真はちひろさんはじめ、同行したみなさんが写したものを使わせていただきました。ありがとうございました。
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参考資料
「川のなんでも小事典」講談社 ブルーバックス
「しんこうWEB」一般財団法人建設業振興基金 建設業しんこう
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「一日一句」
多摩川の 水を江戸へと 大事業
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