少し間が開いてしまいましたが、先週、小泉次太夫の生家があったと言われる富士宮市小泉を訪問してきました。
次太夫と富士宮市の関係は知ってはいましたが、富士宮市郷土資料館の学芸員さんから「歩く博物館ガイドブック」で詳しく教えていただき、歩くのにはちょうどよいコースだと思いました。
ガイドブックには富士宮市内の20以上のコースがありましたが、私が行こうと思ったのはこちらです。
「泉と古墳をたずねるコース」です。
次太夫は植松という家に生まれましたが、中年以降、江戸に出て、家康の江戸改革政策に関わるようになります。
二ヶ領用水、六郷用水を作り、農作物増産の基礎を作った人です。
その彼の前半の生涯についてはほとんど知られていないのですが、生まれは駿河国富士郡小泉郷(現在は富士宮市小泉)ではないかと言われています。
そこを訪問するために、二日目の朝、ホテルから富士宮駅に向かい、駅の広場から富士山を拝みました。
とても清々しい富士山でした。
この町は湧き水だらけ、川だらけでした。
こちらは久遠寺川でした。
このバイパスのトンネルをくぐり抜けると・・・
お坊さんに記念撮影してもらいました。
ところが待てど暮らせどバスが来ないので、仕方なく歩き出したところ、後ろからそのバスがすーっと通り過ぎて行きました。うーん、悔しい!
富士宮市は、市内のあちこちに川が流れているところだと思いました。
あちこちに水が流れていました。
足下を見ると、こんな様子でした。道祖神でしょうか。
そして、このコースのスタート地点である富士根南公民館を探しました。
ここには何か資料があるかと思いましたが、特別なものはなく、前日に市役所で教えていただいた「歩く博物館」の同じ資料があっただけでした。
その地図をもとに、次の目的地である「久遠寺」へ向かいました。
そこには次太夫の供養塔があるというのです。
長い参道の両脇には普通の民家がありました。
上の写真の左側に見える赤い壁の家は、美容院でした。
次太夫さんはこういう場所で生活していたのか、と思いをはせました。
お寺の入り口です。
お寺に到着して、墓地に行ってみましたが、あまりに多くのお墓があり、供養塔の場所が分かりませんでした。それでお寺の若いお坊さんにお願いして、供養塔の場所を探してもらいました。ようやく探し当てたのはこちら。
「当処御代官小泉氏吉次」と刻まれているそうです。奥方様のものも並んでいました。
この神社の祭神は応神天皇です。境内の西側には湧き水がありました。
「上小泉」という名前は南北朝のころからあるそうです。
ちょろちょろと水が流れていました。
その後、帰りのバスに乗ろうと思い、バス停に向かいました。このバスも1時間に1本、あるいは2時間に1本しか来ないバスです。
仕方なく歩いて、また富士宮市役所へ。
途中には弓沢川というのがあり、「欠畑橋」がかかっていました。
なんと読むのだろうかと思いましたが、「かけはたはし」でした。
富士宮市役所内の「宮カフェ」という場所で、簡単にランチをしました。
この写真では雲がかかっていますが、裾野まできれいに見えました。
もう一度、町中から富士山を眺めて、この富士宮市訪問はおしまいにしました。
富士宮ではお土産を買うこともなく、おいしいものも食べることもありませんでしたが、小泉次太夫の生まれ故郷を訪れるという目的は達成できたので、満足できた旅でした。
今回、出かけたところはこちらです。
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「一日一句」
春の暮れ 富士の麓に 水が湧く
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