今日は大学の授業の一環として、代々木公園のフィールドワークをしてきました。
暑くてたまりませんでしたが、面白くそして有意義な「巡検」でした。
現在、代々木公園といえばさまざまなイベントが開かれる場所として有名ですね。
私にとっては、ここは1964年の東京オリンピックの選手村のイメージが強いところです。
そしてここはそれ以前は、米軍の施設「ワシントンハイツ」であった場所でした。オリンピック開催を機に、日本がアメリカから返還したところです。
そしてその前は、「代々木練兵場」だったのです。日本軍が戦闘訓練をするところでした。
公園の中を歩いて、その名残りを見つけてきました。
集合は千代田線の「代々木公園駅」。
この駅に下車するのは初めてでした。
担当の地理の先生と、学部の学生、そして私と同じ年配のシニア学生、みんなで15名ほどだったでしょうか。
そして駅の隣にある、こちらの公園でまず先生の説明を聞きました。
駅の向かい側には、「八幡神社」があるとのこと。ここは私の大好きな作家・平岩弓枝さんのご実家ですよね。
そしてこちらの道路は、童謡の「春の小川」の舞台となった渋谷川が流れていたところだという説明がありました。
公園の中に入ると、緑が多く、背の高い木々もたくさん生い茂っていました。
こんな立て札がありました。「日本航空発始之地」
日本で初飛行した場所ということでした。
立派な石碑がありました。
鷲が翼を広げたような形をしていました。
明治43年にここで日本初飛行が成功したとのことです。
説明によると、初飛行はわずか5分だったとか。
次の場所へ移動します。どういうわけか、地面にはモグラの穴がたくさん空いていました。
木の下は涼しいのですが、とにかく先生や若者の歩くスピードがすごく速くて、私は駆け足状態でした。
明治天皇のお后であった昭憲皇太后の葬儀を記念して作られた碑です。
代々木公園は皇室とゆかりが深いところなのでした。
こちらの松は「閲兵式の松」
天皇の臨席の下、陸軍の部隊が整列して、閲兵を受けた地の松です。
しばらく歩くと、昔のオリンピックの選手村跡がありました。
「私はオリンピックがあったときは、中学生だったのよ」と話しましたが、彼女にはたぶん想像がつかないくらい昔だと思ったでしょうね。
もう60年前なのですから。
本当はもっと写真を写したかったのですが、先生の歩くスピードが速くて、写真を撮っていては置いてきぼりそうになりそうなので、あまり写せませんでした。
原宿に近いゲートのところには、七夕飾りがありました。外国人もお散歩していました。
そして代々木公園から出て、明治神宮へ。
神宮橋のところで、向こう側にある表参道を説明されている先生です。明治神宮ができる前は表参道はなかった、という説明は、当然と言えば当然ですが、ちょっと意外性がありました。
戦争中は、向こう側の表参道の方から兵隊が歩いてきて、代々木練兵場で戦闘の練習をしていたのだろう、という説明をしていた場面です。
先生はお若いので、単なる歴史として淡々と話していましたが、私は亡き父のことを思い出してしまいました。
父は戦争の話はあまりしませんでしたが、陸軍で経理の仕事をしていたようです。そのため南方に行っても、戦闘には出ませんでした。それでもこの代々木公園のあたりにも来たことがあるかもしれないと、思ってしまいました。
今回は18歳の若い学生と一緒で、彼らは戦争のイメージはまるで持っていないだろうと思いますが、昭和生まれの人間にとっては、戦争から思い出すことがありました。
他の学生達は、この後は表参道や裏原宿を歩くようでしたが、私は次の予定があるので、原宿駅のところで失礼しました。
この日はたぶん35度くらいだったかもしれません。
歩いた歩数はそれほど多くはありませんでしたが、独りで歩くペースと違うし、とにかく暑くてたまりませんでした。
原宿駅から山手線に乗り、家に直行して、シャワーを浴びて、今度は着物に着替えて出かけたのでした。
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