2025年8月11日月曜日

西砂川を歩く【追記あり】

武蔵野新田をあちこち歩いていますが、今日のコースが一番遠い所でした。そして一番長時間歩き、おまけに一番内容が濃かったように思います。

今回のコースは立川市役所発行の「立川を歩く」というサイトを参考にしました。

それは西武立川駅→西砂新田・殿ヶ谷コースでした。

立川市のオススメとほぼ同じところを歩きましたが、「神明社」という神社では、手前にある大木が老朽化したため、切り倒し作業をしている最中でした。さすがにそこは通る訳にはいかず、諦めました。

まず西武立川駅までは、国分寺から西武線を乗り継いで行きました。最近、西武線をよく利用するようになりましたが、どうも分かりにくいですね。


おまけにこれは方位がまるでおかしくて、見づらいです。

と前置きが長くなりましたが、こちらは「西武立川」駅北口です。数年前、友人たちと玉川上水を歩いた時は、こちらの南口からスタートしたのでした。


北側はのどかな風景が続きました。
こちらは「宮沢通り」の案内です。このあたり、宮沢新田が作られたのでしょうね。


これは茶畑でしょうか。緑がきれいでした。


こちらは立派な栗畑。
平右衛門さんは栗を推奨していましたが、それでこのあたりにも栗が植えられているのかもしれませんね。


この日も暑い日でしたが、しばらく歩くと五日市街道の標識が見えました。
ちょっと安心しました。
「天王橋」も懐かしい橋ですね。


こちらは五日市街道の角に立っていた玉林寺。臨済宗建長寺派のお寺です。
ただし、なんの案内もありませんでした。


お寺もちょっと小ぶり。
立川市のHPによれば、このお寺は殿ヶ谷新田の人々の菩提寺でした。元文年間(1736~1741)にこの地に移されました。


五日市街道をしばらく歩くと、本道は左に折れましたが、そのまま直進する道は「西砂川街道」と呼ばれていました。


このあたりは殿ヶ谷新田だったところです。殿ヶ谷新田は現・瑞穂町の殿ヶ谷村の人たちによって開発されました。
この先に、次の目的地である「阿豆佐味天神」がありました。同じ名前の神社が砂川四番にありましたね。兄弟神社とでもいうのでしょうか。とても立派な神社で、境内にはいくつかの神社がありました。


下が阿豆佐味天神のいわれです。ちゃんと享保3年と書かれていました。
瑞穂町の殿ヶ谷にあった阿豆佐味天神社より勧請されたそうです。この地の鎮守の神となりました。

 本殿。


またここには殿ヶ谷分水のいわれについての石碑もありました。
やはりこうやって昔のものをきちんと保存して、いわれも書かれているのがよいですね。


「殿ヶ谷分水は享保5年(1720)玉川上水より分水、これにより中里、殿ヶ谷、宮沢三新田の開拓農民の生活を支えた母なる川である。
およそ250年にわたりこの地を清冽に流れ、地域の移り変わりを見続けてきたこの分水は、昭和44年より覆蓋工事によりその姿が消え、五日市街道の歩道と緑道に姿を変えた。
かつてこの地を潤した殿ヶ谷分水を後世に伝えるためこの碑を建立する」と書かれていました。平成23年(2011年)のことでした。

そしてそのお隣は林泉寺。ここは中里新田の人々の菩提寺でした。この二つがセットになっていたのですね。ただこのお寺は入口が分からず、ぐるぐるとお墓のほうを廻ってしまいました。


小ぶりなお寺でしたが、境内はきれいに整えられていました。


こちらにもちゃんといわれが説明されていました。
「林泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺である。江戸の新田開発に伴いこの地に建立されたものであろう。享保8年(1734)の事とされるが詳細は不明である。開山様は中巌玄里和尚、ご本尊様は阿弥陀如来である」と書かれていました。明治には焼失、昭和20年8月1日には空襲で焼けてしまったそうですが、平成5年に建て直されました。
 

【追記】後で調べて分かりましたが、工事で通行止めになっていた神明社は、中里新田の氏神様でした。この神社の場所は、ちょっと離れていたのでおかしいと思っていたのですが、それは横田基地の拡張により、この場所に移転させられたとのことです。それで分かりにくかったのです。

その後は殿ヶ谷緑道をちょっと歩きました。ここは昭和60年に緑道になったそうです。全長は1キロほどだとか。


最初に書いたように、神明社に行ってみたのですが、残念ながら工事中で見られませんでした。
神明社は、中里新田の鎮守として享保3年(1718)に創建されたそうです。中里新田は、享保初期に川崎村(現在の羽村市)の中里伊兵衛という人が殿ヶ谷分水を利用して、中里新田を開発しました。また当初は中里新田の西端にあったそうですが、横田基地の拡張により現在の場所に移転しました。
そういう神社だったので是非、行ってみたかったのですが、仕方ないですね。

しかたなく普通の町中を歩いて、今度は諏訪神社を目指しました。
こんな感じの住宅と畑がミックスしているような風景でした。


ところが神社の場所がよく分からなかったので、犬を散歩していた女性に尋ねたところ、とても丁寧に教えていただきました。ありがとうございます。
こちらの宮沢公園を通り過ぎると、境内に繋がっていました。「宮沢」という地名はなくても、こうやって公園の名前として残っているのは、良いですね。


ただし諏訪神社は、知らなかったら、ちょっと通り過ぎてしまうような古い神社でした。
実はこの神社は宮沢新田の神社でした。享保年間に、殿ヶ谷分水を利用して、宮沢村(現在の昭島市)の人たちによって開発されたところです。
そしてこの神社は親村(新田開発のためにやってきた人たちの出身地)の宮沢村の氏神様を勧請したものです。


薄暗くて、お参りするのも気がひけてしまうようなところでした。
この神社は眼病に効くそうです。


夜ここを歩くのはちょっと怖いかな。
その後は西砂川小学校を通り、駅に戻ることにしました。
面白いことに道の右側は昭島市、左側は立川市になっているところでした。

西武立川駅南口に到着。また来たところを通って、自宅に戻りました。
本当はどこかでかき氷を食べたかったのですが、天気が悪くなり、濡れないうちに帰りました。








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