2026年8月31日月曜日

若かりし母の写真 & 友人のコンサート

先日、大田区の「大田文化の森ホール」という会場で、大学の友人のギターコンサートがありました。

実は私のいとこはその会場の近くに住んでいるので、ひさしぶりにお会いすることにしました。彼女は、ご主人を3年前に亡くして一人暮らしになりましたが、私より6歳年上とは思えないほど若々しくて、安心しました。

その彼女が、「家の片付けをしていたら、昔の写真が出てきたので渡すわ」とのこと。なんと大昔の母や伯母たちが写っている古い写真でした。
こちらは母が3歳の時だそうです。写真館で写したのでしょうね。


こちらは右から私の母7歳、長女13歳、次女9歳の写真です。昭和10年ごろでしょうか。お洒落していますね。

また今から55年程前、母が初めてグアム島に行ったときの写真もでてきました。45歳くらいでしょうか。とても若々しくて、びっくりしました。


その後はホールでギター演奏を楽しみました。ほとんどセミプロのように上手で、堪能しました。昔の映画音楽、昭和歌謡曲など盛たくさんでした。

記念撮影。

コンサート終了後は、一緒に来ていた友人達とお茶を飲むことにしました。大森にはレトロな喫茶店があちこちにあるようですが、こちらは満席でしたので、お店の前で写真だけ。


この日は小雨が降っていましたが、あまり暑くなかったので助かりました。
黒の羽織は、先日、中野マルイで千円で購入したモノ。


帯はたしか銀座で2,500円で見つけたモノ。


着物はお譲り会でいただいた夏着物です。

いろいろと楽しめた一日でした。



2026年8月30日日曜日

「源氏物語を楽しむ会」97回報告 2026年8月

源氏物語を原文で読む会ですが、ようやく「真木柱」の巻を読み終えました。

記録を見ると、この巻を読み始めたのは2025年12月だったようで、なんと半年以上もかけて読み続けてきたわけです。

ということで、みんな、「どうしても今回で終えよう」という意気込みで、ラストスパートとなりました。

光源氏のウソの娘である玉鬘も、黒髭と結婚して、めでたく子供も生まれたので、まあ一段落ということになりました。

       大和和紀「あさきゆめみし」第4巻より

この巻は、光源氏を取り巻く人たちというよりも、玉鬘に惹かれた男たちがあれこれ登場して、誰が誰だか相関図を見ないと分からなくなるほどややこしいお話が続きました。

玉鬘さんは、今まで登場した女性とはちょっと違ったタイプだったように思いました。

彼女は、生まれこそ都でしたが、幼い頃から九州の田舎で育ち、それでも楽器もみごと、文字も美しく、和歌もよめるという美しい娘になりました。そして最後は主婦の座におさまったようで、それもちょっとあっけなかったような気もしました。

環境によりその人の性格が変わってくる、というのは事実でしょうけれども、それにしてもあまりにモテモテ過ぎました。それで悩んでしまったりしました。それでも最後にはあっけなく鬚黒の妻になってしまう、というのも、なんだか紫式部らしくない?ようなストーリーでした。

さて次回からは今度はがらりと変わって、明石の君と、その姫君のお話になります。

2026年8月26日水曜日

中野鍋屋横丁から桃園川緑道 &「着物千円」

桃園川繋がりであちこち歩いています。

その川(現在は暗渠)には「慈眼寺橋」というのがあるのですが、なんだか妙な名前なので気になっていました。「じげんじ」と読むのだそうですが、この名前のお寺はあちこちにあるのだとか。お経に「慈しみの眼で人々を見る」という意味があるのだそうです。以前にもその橋跡は見たのですが、もう一度確認のため、出かけてきました。

まずは丸ノ内線の新中野駅で降りました。駅からはほんの数分なのですが、どうも方向を間違ってしまったようで、鍋屋横丁を行ったり来たりしました。


鍋屋横丁の由来が書かれた石碑もありました。
新井薬師や妙法寺にお参りするときに通る道だったようです。


鍋屋横丁辺りは庶民的な町でした。

ようやく慈眼寺を探しました。
真言宗の寺院だそうです。室町時代の天文13年(1544)に創建されたとか。
こちらが入口。


境内にはピカピカの仏舎利塔が見えました。境内に入る門が閉まっていたので、扉の隙間から写しました。金ぴかで、日本のお寺ではないような雰囲気でした。


そこから鎌倉街道と言われる道を歩いて、桃園川の「三味線橋」へ。ここは以前にも通りましたが、もう一度寄ってみました。


まだ昔の橋の跡が残っていますね。桃園川は、今は暗渠になっています。


橋の名前の由来も書かれていました。


昭和35年に作られたそうです。今から66年前です。


この日はとても暑くて、これ以上あちこち歩くとバテると思い、中野図書館で休憩することにしました。
その図書館は紅葉山という小高い丘の上にあります。
とても広大な公園でした。

紅葉山公園内には図書館と文化ホールがあり、とても立派な施設でした。
ここは中野区による東京百年記念事業の一環として作られたものだそうです。
「紅葉山」の名前の通り、秋には紅葉が美しい所のようです。


お庭には池もありました。


図書館で資料をコピーして、涼んでいました。

その後は中野駅近くのマルイへ。
ちょうど写真展をしていました。


こちらは大正13年の桃園小学校。


やはり大正時代の桃園町。まるで田舎でしたね。


昭和11年、中野にオープンしたマルイ。


懐かしい写真がたくさんありました。
マルイは中野とは縁の深いところなのですね。

マルイの中で「着物千円」というイベントをしていました。
開店前に行ったのに、会場前にはものすごい人が並んでいました。

着物や帯はたくさんありましたが、寸法がまるで書いてないので、それでは困りますよね。メジャーは持参しましたが、やはり寸法は大事です。
それに試着もほとんどできない状況でした。
ということで着物は諦めて、黒のレースの羽織をチョイスしました。「伊勢丹製」ということでしたので、悪いモノではなさそうですが。


とはいえ、この暑さ、これから着る機会があるでしょうか。

この日のルート。




2026年8月24日月曜日

練馬区立石神井公園ふるさと文化館

私が研究テーマにしている桃園川という小さな川(だった)は、かつては千川上水から水を分けてもらっていたことがありました。そのため、古い地図を見ると、桃園川が流れていた場所に「千川上水」と書かれていることもありました。

私のイメージでは、千川上水というのは練馬区や豊島区など江戸の北西部を流れる川だと思っていたので、初めは何かの間違いだと思ったこともありました。

先日のブログ▼にも書いたように、練馬区の出店(でだな)というところから千川上水が分かれて流れ、そして阿佐谷辺りから桃園川となったようです。

ということでそのことを確かめに、練馬区にある「ふるさと文化館」というところに行ってきました。

シルバーパスを利用して、中央線の荻窪駅から石神井公園駅行きのバスに乗りました。そして石神井川の畔のJA石神井というバス停で降りました。ここには蛍橋というきれいな名前の橋が架かっていました。


そこから数分歩くと、練馬区ふるさと文化館でした。ここは石神井プールもあるので、夏休みの親子連れがたくさん遊びに来ていました。

この建物は2010年に開館されたそうですが、とてもきれいでゆとりがあるところでした。

この売店で「絵図と写真に見る千川上水」という冊子を購入。

そして2階にある展示場を見ました。練馬区の歴史が見やすく展示されていました。

やはり川の歴史に興味がありますね。

この下の解説を見ると分かりますが、地球の歴史は寒くなったり暖かくなったりして、そのたびに地形も変わったということですね。

武蔵野の三大湧水というのがあり、それらはみんな標高50メートルの位置にあるのです。

こちらは上水の地図ですが、こういうの見ると、あちこちに確認をするために出かけたくなります。

そのあとは、隣接されている資料コーナーにも行ってみました。地域の歴史や地図がたくさん並べられていました。

そこで来月にはこちらの展示会があるということを知りました。是非、また来てみようと思いました。

そして調べ物をしましたが、ちょっと疑問に感じたことがあったので、学芸員さんに尋ねてみようと思いました。係の方に話すと、学芸員さんはすぐにやってきて、いろいろと説明をしてくれました。

さすが千川上水の専門家、良いご意見をいただきました。

分からないことはその道の専門家に聞くのが一番ですね。ちょっと恥ずかしい気持ちもありますが、的確な回答をいただけるので、博物館で学芸員さんにお話を聞くのが楽しみになりました。

その後は、隣接する古民家に行ってみました。明治時代に建てられた農家だったそうですが、現在、藁葺き屋根は練馬区にはここしかないのだそうです。


かなり裕福な家だったようで、客間の欄間や襖なども見事でした。

このあたり一帯は、かつての石神井城だったところのようでした。


ということで、今回は石神井公園の南側を探検してきました。


2026年8月21日金曜日

青梅街道歩き

 先日は、杉並区の荻窪駅からバスに乗り、青梅街道の方へ出かけました。

というのは、この街道には江戸時代、千川上水の分水(六ヵ村分水)というのが流れていて、それは阿佐谷あたりまで流れ、そして桃園川に繋がったというからです。

まずは日産プリンス前という停留所でバスを下車しました。脇に細い道がありましたが、これは用水ではありませんよね。


日産のショールームでしょうか。

ここは昔はプリンスの工場があったところです。小学校の社会科見学で来たことがあったような、なかったような。どうも記憶が定かではありません。

この工場跡は、現在は「原っぱ広場」という広々としたところになっていました。


高層住宅もありました。


そして驚いたことに、ここは戦前は中島飛行機の工場だったのです。案内板を見て分かりました。


かなり広大な敷地でした。

そして戦後は中島飛行機は解散させられて、プリンスの工場になったのでした。

それにしても「原っぱ広場」というのはちょっと安直なネーミングですね。もう少し文化の香るような、歴史の重みがあるような名前にしてもらいたかったです。

このあたりは荻窪消防署、荻窪警察署、荻窪郵便局などが並んでいるところですが、荻窪駅からはちょっと歩いたところにあります。



薬王院というお寺もありました。


お隣は桃井第一小学校です。

青梅街道で用水の跡を探しましたが、どうもよく分かりませんでした。


このような車止めがあったくらいです。


四面道の交差点に来ました。


こちらの施設は排水場と書いてありましたが、かつてはこの辺りは用水があったのでしょうね。下の地図では清水口と書かれているあたりです。

こちらは江戸時代の地図ですが、こんなにたくさんの分水があったのですね。今は影も形もありませんでした。

そして荻窪駅を通過して、天沼方面に行ってみることにしました。というのは、私は天沼陸橋には一度も通ったことがなかったのです。


陸橋の上はこんな感じでした。


子供達の絵などがありました。陸橋の上からは中央線などが見えるそうです。


陸橋から下の道路へ降りる急な階段です。


なかなか楽しいところでした。

そしてその後はまた図書館へ。

杉並図書館は蔵書もたくさんあるし、設備も良いのですが、とにかく寒い。いつもブルブルしています。

そして荻窪駅に戻りました。この日は9,000歩ほど歩いたようでした。