2026年10月31日土曜日

「医師・中村哲の仕事・働くということ」

 先日、中村哲医師の活動を伝える映画を見てきました。

映画を見た後、この映画を撮影した谷津監督のトークショーがありました。映画制作や記録映画を作っていらっしゃる方で、中村医師を追って20年ほど撮影されていたそうです。

中村医師は2019年にアフガニスタンで殺害されたのですが、もし今、生きていらっしゃったら80歳だったとのこと。博多生まれで、小柄な方だったそうです。元々は脳神経内科の医師だったというのは、意外でした。

そしてクリスチャンでもありました。活動されていないときは、とてもお茶目な方で、クレヨンしんちゃんと吉永小百合さんのファンだったということも話されていました。

この映画では、中村医師が民族や宗教、言語の違いを乗り越えて、平和と希望がいかに大事であるかを伝えていました。

現在は、ペシャワール会というところが、中村医師の蒔いた種を引き継ぎ、アフガニスタンでの医療活動や灌漑などを行い、農村の復興事業を支援しているそうです。

このようなボランティアを続けている人には、敬意を払うのみです。

私がこの映画を見ようと思ったきっかけは、昨年の論文の主人公である川崎平右衛門と、中村哲医師の活動に共通するところがあると感じたことからでした。江戸時代に、身分の違いを乗り越えて、貧しい農民たちを援助した活動と、外国で貧しい人たちを助けた活動に同じような生き方を感じたからです。

そして2人とも水路を作る、というところも共通したことでした。

いつの時代にも、このような活動をする人がいたのですね。

2026年10月30日金曜日

ショックなできごと!

大学も10月中旬から後期がスタートして、なにやらバタバタと忙しかった2026年10月でした。一ヶ月があっという間に過ぎてしまいました。

それでも着物は何回か着るチャンスがありました。やはり少しは涼しくなったので、ちょこちょこと着ていました。

ポリの単衣着物。


セオアルファの単衣着物。


チャコールグレーの小千谷縮み


米沢紬の単衣。

ちょっと素材が不明な単衣。


これも素材が不明の単衣。


その中で、こちらの青い単衣ですが、実は大変な目に遭いました。

青の単衣です。梅の柄なので、秋には相応しくないのですが、この日は気温的にちょうど良かったので、初めて着てみました。黄色の半襟がけっこう評判良かったですよ。

電車に乗って府中まで出かけたのですが、電車に座っていると、なんとなく手のひらが汚れている感じがしました。それでもあまり気にせずに、何か触ったのだろう、ぐらいに考えていました。

ところが帰宅して、着物を脱いでみると、大変なことに気づきました。

襦袢はもちろんのこと、足袋やベージュのバッグ、手のひらまで真っ青に変色していました。

白い帯も、タレの部分がうっすらと青くなっていました。え~ん。

あー、この青い着物のせいか、とがっくりしました。そのままにしておく訳にはいかず、とはいえ、捨てるには惜しいので、洗濯機のお洒落モードで洗ってしまいました。

ポリだと思ったら、どうも絹だったようです。

実はこの着物、センエン着物といって、1,000円で購入したリサイクル品でした。

ほんとにがっくりとした日でした。


2026年10月23日金曜日

大和和紀さんトークイベント

 「あさきゆめみし」の作者である大和和紀さんのトークイベントが、You Tubeで公開されました。

このイベントは大和さんのデビュー60周年を記念して、東京大学図書館が主催していたもので、2時間ぎっしりと休憩も無く、トークが続きました。

大和さんの「あさきゆめみし」にかけた情熱や、他にも「はいからさんが通る」などの人物紹介などもお話してくれたので、充実した2時間でした。

ただし司会進行をされた古典文学の専門家である准教授は、すごいファンだということはわかるのですが、大和さんのお話より何倍も多く話していました。またゲストの東大図書館長という教授も、すごくマニアックな漫画フアンで、膨大な知識の塊で、びっくりするほどでした。

大和さんは漫画を描くときに、源氏物語は訳本は3冊読み、また原文も読み直したそうです。時代背景や、装束、調度品など、ありとあらゆることを調べるのがお好きだっただろうと思いました。

「あさきゆめみし」の登場人物で誰が好きか、という事前アンケートもあり、その結果はやはり紫の上が一番でした。葵の上も割と人気があったのが、意外でした。

オンラインでの参加は2,000人ほどだったようです。会場には50人ほどの東大の学生さんが参加されていたようですが、質問の仕方など理路整然とされていて、さすがだと思いました。

美しい漫画の絵もたくさん見せていただいたし、知らない作品のことも紹介していただけたので良かったのですが、できればインタビューアーはあまりおしゃべりでないほうが、聞きよいと感じましたね。

もう一度、あさきゆめみしを読み返してみましょう。


2026年10月22日木曜日

「源氏物語を楽しむ会」99回 2026年10月

 「源氏物語を楽しむ会」もなんと99回を重ねました。

毎月1回の読書会(おしゃべり会)ですが、知らぬ間にもう8年もの月日を重ねていたのですね。来月はちょうど100回目になります。

どんなお稽古ごとでも100回重ねれば、少しは上達するはずですが、さてこの回で源氏物語の神髄に近づけたでしょうか。

それは別にして、今回は前月からの「梅枝」です。その前の「真木柱」はちょっとした苦みのあるホームドラマのような雰囲気でしたが、今回は「これぞ平安の物語」といった華やかな様相です。

               毛利博物館

大人達は香の集い、管弦の集い、 和歌の集いなどで優雅な時間を過ごし、お姫様や若君(東宮)はそれぞれ現代の成人式を迎えます。一般庶民には縁遠い話ですが、そこは物語なので、眼をつぶりましょう。

彼らは美味しいお酒を飲んだり、薫物の種類を当てたり、楽器を奏でるのが仕事のような毎日でしたので。

さて、 当時の貴族の成人式は、男子はほぼ12歳~15歳、女子は12歳~14歳くらいでのお祝いでした。

物語の中では東宮は、髪の毛を少々カットして貰い、大人の髪型になり、冠をかぶります。衣装も大人の衣装(束帯)に着替えます。「元服(げんぷく)ですね。これは現代でも聞くことばですね。

女子(もともとは明石の御方の娘ですが、光源氏と紫の上の子供ということになっています)は帯のようなもの腰に結ぶという儀式です。「裳着」(もぎ)のお祝いと言います。驚いたことに、この裳着の式は、夜間に行われるのですね。2月の夜は、まだ寒かっただろうと思いますが、当時は春、という感覚だったのでしょう。

そしてこの式が終わると、2人は結婚するという流れです。

ちなみにその頃、光源氏は39歳という設定です。

ただし本当のお母さんである明石の方は、そのような華やかな式には参加できませんでした。ひっそりと堪えていたのでしょうか。

今の世なら、「ほんとうは私が産んで育てたのよ」と言いそうですが。




2026年10月18日日曜日

単衣で地図のお勉強

10月に入ってから、今までの雨天続きを取り消すように、毎日晴天続き。

気温も25度くらいでしょうか。

先日は、まずは府中で友人のギター演奏を聴いてから、ちょっと休憩タイム。

その後で大学へ授業受講に行きました。

ということで、ちょっとお洒落をした日でした。

私には珍しく、着物も帯もお誂えでした。

某着物屋さんの展示会で購入した米澤紬。

ただし、胸の辺りがぶかぶかでサイズは合っていないですね。この頃は「抱き幅」などというのを知らなかったので、お店の人に言うがままに仕立ててしまいました。

帯も別の着物屋さんで誂えたもの。

地理の時間では、江戸時代の地図について、いろいろと学びました。

その中で面白いと思ったのは、「江戸切絵図」

この地図は、住人の名前などの文字があちこちに向いているのかが不思議に思っていましたが、それは町名は江戸城に向けて書き、坂の名前は坂上に向けて書くからだそうです。また家の入口に合わせて名前を書いていたそうです。ふーん、ちょっと読みづらいのですが、昔の人は気にしなかったのかしら。

こちらは先日、フィールドワークに出かけた麻布絵図です。

        国立国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1286665

こちらも国会図書館から誰でも閲覧できる江戸の名所。

国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/landmarks

こちらは正井康夫の「大江戸地理空間図」
色使いが美しいですね。


こちらは私もよく利用している「江戸名所図会」
これは現在の中野区にあるお花見風景。「桃園春興」

        東京都立図書館 https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/

昔の人も、いろいろと地図や風景、風俗を楽しんでいたことが分かりますね。

それにしても、いつの時代にも、細かく正確に絵を描いたり、うまい人がいたのだな、と感心してしまいます。


2026年10月16日金曜日

ゼミOB会のFW 麻布十番~泉岳寺

私が属しているゼミは、指導の先生を始め、OBさん達も皆さん、歩くのが大好きな人ばかり。専門はそれぞれ違うのですが、今回は湧水究している人がリーダーとなって、都会のフィールド・ワークをしてきました。

集合場所は地下鉄の麻布十番駅でした。ここには南北線と大江戸線の駅があり、その二つがとても離れています。それで間違わないように早めに家を出ましたが、みなさん、早くから集まっていたようです。

最初の訪問地は麻布十番の駅近くにある湧水でした。小さな井戸がありました。


「柳の井戸」を湧水研究家の先輩が説明してくれました。

次は近くにある善福寺というお寺に行きました。ここは弘法大師によって開山されたとか。その後、親鸞聖人が訪れて、そこで浄土真宗になったそうです。

麻布はさすがに都会の一等地だけあって、善福寺の背面には豪華なマンションが見えました。かのゴーンさんはここの最上階に住んでいたとか。すごい形をしていますね。

江戸時代に、杉並区にある善福寺の池の辺りに、このお寺の「奥の院」があったとので同じ名前だという説もあるそうですが、正式な史料はないそうです。

墓地にはお墓もぎっしりと詰まっていましたが、こちらは慶応大義塾大学の創始者である福沢諭吉のお墓です。さすが、ご近所さんですね。

このお寺は、大きなイチョウが有名だそうです。屋久島の杉のような大きなイチョウでした。

そして善福寺からは高級住宅街を通って歩きました。結構、坂がありました。

この辺りは慶應村というか、慶應の関係施設がたくさん並んでいました。

こちらは三井倶楽部だったかな。立派ですね。

イタリア大使館、オーストリア大使館なども並んでいました。

ようやく慶應義塾大学に到着。みんなでゾロゾロと入っていきました。


ステンドグラスが美しい。

断崖のようなところに校舎が建っていました。下末吉台地というところです。とても古い地層ということです。

慶応大学でちょっと休憩をしてからは、都会の道路を歩きました。舗装されているところは、山道を歩くよりも却って足が痛くなりますね。

こちらは「札の辻」。かつて江戸時代にはいろいろなお知らせを張り出していた場所です。人々の集まるところや町の中心部に高札場が置かれ、情報の伝達拠点となりました。

こちらは御田八幡神社の境内にある湧水。

都会の真ん中にこんな水が湧き出ていたとは、びっくり。

ここで使われた水は、江戸の海に流されたということですが、当時は海が目の前まであったところです。

お次は「高輪大木戸跡」です。

ここは江戸時代、江戸の市中に入る南の玄関口です。宝永7年(1710年)に作られたそうです。普通の町には「町木戸」がありますが、ここは江戸全体を守る大きな門だったので、「大木戸」と呼ばれていました。明け6つ(午前6時頃)と暮れ6つ(午後6時頃)に、開閉されていたそうです。

ここはかの伊能忠敬が全国測量の旅に出かける時の拠点だったそうです。


大木戸跡の信号もありました。


このすぐ近くに「高輪ゲートウェイ駅」ができましたが、その由来は、江戸のゲートウェイという意味だったそうです。現在は、石垣しか残っていません。

そこからはまっすぐに第一京浜道路を歩きましたが、暑くて疲れました。

坂道を登って、ようやく泉岳寺に到着。

入口には大岡内蔵助の像が立っていました。


こちらは彼のお墓です。


外国の方もたくさんお参りに来ていました。

こちらは浅野内匠頭の首を洗ったところだそうです。

それにしても義士たちが若くして亡くなったことは驚きでした。大石主税などは16歳でした。中には77歳という人もいましたが、そういう人は潔く切腹したかもしれません。

その後は境内で一休み。

私たち世代は、忠臣蔵のお話はだいたい知っていますが、今の若い人たちはあまり知らないでしょうね。

実はこの泉岳寺には私のいとこや、叔父、伯母が眠っているので、ここでみんなと分かれて、お墓参りをしてきました。

帰りは浅草線、大江戸線という都営地下鉄を乗り継いで帰宅しました。

この日は、麻布十番から泉岳寺まで歩きました。距離的にはそれほど長くないのですが、舗装された道路を歩くのは、足が疲れます。




2026年10月12日月曜日

久しぶりの玉川上水

 先日、小平市にある下水道施設に行ってきました。

その場所は、玉川上水が流れる場所のすぐ近くにあり、今回の見学は2回目でした。

最初に玉川上水を歩いたのは、もう3年以上前というか、大学に入る前のことでした。当時はただ川を歩くのが面白くて歩いていただけですが、今になって思うと、このことが私の進路(というと大げさですが)に結びついていたのだと思うのです。何の気なしに歩いていましたが、これほど重要な上水だったということを、今になってひしひしと感じています。

行きのルートは、こんな感じ。

自宅→稲田堤→立川→国分寺→鷹の台というルートでした。それでも乗り換えがスムーズにいったので助かりました。

帰りはシルバーパスで格安にしました。バスは無料なので、京王線で188円使っただけでした。

旭住宅前→国分寺駅南口→府中駅→自宅へ

さて、鷹の台駅を下車して、懐かしい道を歩きました。線路に架かる橋です。


西武国分寺線に沿って歩いて、鷹の橋を渡りました。


この橋の由来は、江戸時代に尾張徳川家の鷹場があったからだということです。
元々は木の橋でしたが、1959年に現在のコンクリート製の橋になりました。
近くには武蔵野美術大学などもあり、豊かな緑の地域です。

そして橋を左折して、玉川上水を歩きました。

こちらは兎橋。新堀用水にかかる橋ですが、歩行者専用の小さな橋です。

ここの向かい側には小平市立中央公園があります。

暑くもなく、寒くもなく、気持ち良かったですね。

緑が美しい。


こちらは名無しの橋の上から眺めた玉川上水の水の流れ。

しばらく歩くと、津田塾大学が見えましたが、何やら工事中でした。

その手前の上水にかかっているのが、久右衛門橋です。

昔通ったときはあまり気にしていませんでしたが、この久右衛門さんという人は、享保の時代に新田開発で活躍した人でした。昔は、そんなことはあまり気にしていませんでしたが、今になって思うと、この辺りは新田開発でできたところだったのか、と感慨深くなりました。

こんなにたくさんの分水が作られたのですから、やはり玉川上水は偉大だったとのですね。

右側が玉川上水です。かなり深く掘られていました。

緑に覆われた道の反対側には、新堀用水が並行して流れています。この用水路は明治になって作られたものです。

そしてその道を右折すると、目的地の下水道館です。

「ふれあい下水道館」

ここは子供にも大人にもとても勉強になる施設です。無料なのが嬉しいですね。

見学の話はまた別に。


2026年10月5日月曜日

特別講演会 ~極端気象~

先日、ゼミの先生の主宰で、「極端気象に挑む」という講演会がありました。

私たちゼミ生は会場設定や受け付け、マイク係などのお手伝いでした。

私は2名の講師の先生の接待係? ランチもご一緒させていただきました。

いつものお店で、オードブル、マルゲリータ、コーヒーの組み合わせ。


そのレストランでは、私が座っていた席の真正面に、マスコミでもご活躍の先生が着席されて、ちょっとどうしようかと思いましたが、とても気さくでパワフルな先生でしたので、ホッとしました。

先生は極端気象がご専門のため、台風や大雨などがあると、よくテレビで解説されています。

この日の前日も、モーニングショーで解説されていました。その時、とてもカラフルなネクタイを締めていらっしゃったのですが、講演会の日もそのネクタイでした。


かなり目立つネクタイでしたので、そのことを話題にしたところ、なんとその柄は日本の平均気温を色で表わしたものでした。つまり昔は低温(ブルー)だったのが、次第に高温(赤)へと変化していくのが一目で分かるネクタイでした。

気温変化がネクタイの色で分かるとは、グラフなどを使って説明するよりもずっと分かりやすいし、おまけにお洒落で目立って良いと思いました。

また先生は昨年の「流行語大賞」も受賞されています。こちらはその記念の盾です。ご著書にサインをしていただきました。

もうお一人の先生は気象レーダーがご専門でした。ひとことで説明するのは難しいのですが、先生の研究成果もマスコミに広く取り上げられたそうです。

講演会の後は懇親会。こちらでもお二人の先生は質問攻めになっていました。参加者の方も満足されたようで、良かったです。


ほかにも山ほど写真を写していただきました。

この日は、久しぶりに着物を着ましたが、暑いのか涼しいのか妙なお天気でした。