2008年1月27日日曜日

今も昔も・・・・・・


昔、アフリカに住んでいた時、それは大変な生活環境だった。

停電、断水は日常茶飯事、マラリアの心配やら強盗などの怖い話もしょっちゅうだった。
それに日本食などめったに食べられる機会もなかった。

とはいえ、それは公式的な話であって、男性は仕事で大変かもしれないが、日本では想像ができない程の広い家に住み、家事はみんなメイドさんがしてくれるし、奥様方にとっては天国のような毎日であった。

朝からテニスに熱中したり(昼は暑くてできない)、大使公邸でブリッジに興じたり、コーラスグループに参加したりと、優雅な時間を過ごしていた。

とはいえ、私はメイドやガーデナー、ドライバー達からはマダムと呼ばれてはいても、遊んで暮らしているだけでは満足できなかったので、親しい友人と奥様向きの日本人向き新聞を発行していた。

当時、私は子どももいないし、公的なパスポートや公用車を持つ身分であった。
そんな環境だったので、普通の駐在員の奥様よりも比較的、自由に外出することもできた。
その市では、曜日により、通行可能な車のプレートナンバーが決まっていた。
月水金は奇数ナンバーとか、そんな規制があったと思う。
ところが公用車ならいつでもOK。行動範囲も広げられるのだ。
またメーカーや商社の駐在員だと、乗る車までが、その会社の系列の車にしなくてはならないとか、いろんなしがらみがあったようだ。

というので、あまり外の世界を知らない奥様向けに現地の道路情報を書き込んだり、医者情報や買い物情報を書き込んだりして、けっこうその新聞が役に立ったという言葉を頂いていたと思う。
こうして振り返ってみると、どこにいても情報発信をしたがるのは、今と変わらないかもしれない。

新聞のことはさておき、そこの日本人村にはとても素敵な奥様がいた。
ホンダの駐在員の奥様だったが、その人は手芸や料理にかけては本当に素晴らしい技を持っていらっしゃった。
彼女が自宅を開放して、押し花、デコパージュなど、いろいろと教えていただいた。
もちろん材料は限られているが、それでも身近なものを美しく変身させる天才だった。
どんな布切れでも、どんな葉っぱでも彼女の手にかかると、すてきなオブジェとなってしまうのだった。

天候を初めとして、もろもろの条件の悪い国に住んでいたものだから、誰でもが不平不満は抱えていた。
しかし、そのホンダ夫人は小さな子どもまでいるのに、彼女から一度として不満の声を聞いたことがない。
あれがない、これができない、という環境の下で、そこにあるもの、そこでしか手に入らないものをうまく使って、見事な作品を作り上げていたのだ。
どんな環境に住んでいても、美しいものや可愛いものを愛し続ける姿勢はそのホンダ夫人から学ぶところが多かった。

さて、それから歳月は流れてウン十年。
今ではどういうわけか、仕事の合間に、ラジオ番組を制作するおばさんとなった。
忙しさもあるのだが、少しは時間ができたので、またそろりそろりと手芸に挑戦する余裕も生まれてきた。
やはりきれいなものに触れるのは楽しい。

センスのなさや、不器用さは昔と変わらない。
それ以上に、今では老眼の苦労も追加している。

とはいえ、ちょっとした可愛いもの、きれいなものを作ることは、楽しみのひとつなのだ。

10 件のコメント:

  1. 匿名1/28/2008

    アフリカはどこに住んでいたのかしら? そして、新聞を発行していたというのが、としちゃんらしいところですね。
    今なら、ネットとかあって、もっともっとアフリカ界隈でのネットワークを広げられたのでしょうね。わずかな期間に、パソコンの普及やら、世界は様変わりしましたよね。そういうのに、おくればせながら、乗れるのは幸いなるかな。

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  2. 紅蓮さん、私がかつて住んでいたのは西海岸のナイジェリアというところです。赤道より北に6度。ガーナとか、カメルーンとか、象牙海岸などがお隣の国でした。
    たしかに当時はインターネットどころか、電話もまともに通じませんでした。
    手書きの新聞をコピーして、それに1枚ずつ色鉛筆で彩色して配布していました。
    時代は変われば変わるものですね。

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  3. 匿名1/28/2008

    海外在住の経験やらなにやら、としちゃんはそういうこともあって、見聞が広いのでしょうね。
    それでも、アフリカに住んだことのある人は、そうそうはいないですよね。貴重な体験ですね。大変だけど、おもしろそう。

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  4. もう30年も前のことなんだけど、昨日のように思い出すこともありますね。
    そんな思い出も少しずつ書いてみたいと思っています。

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  5. 匿名1/28/2008

    カナダに住んでいたことがあるって、お聞きした覚えがあるのだけど、まあ、アフリカにも。イギリスやアメリカ、東南アジアなどに駐在員婦人として滞在したことのある友人はいますが、アフリカは、いませんねぇ~。
    としちゃんが、わくステにゲスト出演したら、おもしろい話がいっぱい聞けそうですよね。

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  6. 匿名1/28/2008

    卒業して40年、みんなそれぞれに年輪を刻んでいるのですね・・・
    私は近間でうろうろしていましたが(笑)

    それがこうやって、また接点を持てるなんて思ってもみなかった。
    春になって会えるのが本当に楽しみです。

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  7. 諏訪ッチさん、はっきりと年齢を書かれてしまったわ! 年齢不詳で通していたのに~。

    3月下旬にカンカンのお世話で、1年生のときのクラスのみんなで恩師の住んでいるところにお花見に行くのです。
    みんな、どんなオヤジになっているか、期待していますの。女性はすぐに分かっても、男性はすごく変わりますからね。

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  8. マサさん、カナダに住んでいたのはアフリカのあとです。
    アフリカではメイド付きのマダム生活をして、超デブになってしまったのに、カナダでは何でも自分でしなけりゃいけないので、それこそ40キロを切りましたね。
    20キロくらい変化したおかげで、一時は服のサイズも5号から11号くらいまで揃っていましたよ。
    ずーっとスリムなマサさんが、羨ましいわ。

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  9. 匿名1/30/2008

    ハハハ。ごめんなさい!
    前のコメント消去してくださいな。

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  10. 諏訪ッチさん、幼稚園を卒業して40年ということにしておきましょうか。でも幼稚園は<卒園>でしたね。

    私の仕事場は学生が多いので、「君たちのお父さんやお母さんと同じ年代よ」と言っています。東京オリンピックや万博も知らない世代なんですよ。

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