2008年2月14日木曜日
みたま堂
うちの両親は生前からまるで宗教心がなく、亡くなった父の遺言は「絶対に葬式はするな」というほどだった。
ということで、父が亡くなった時は、お寺の坊さんの世話にもならず、世に言うような葬式はしなかった。
親戚数名のみに見取られて火葬にして、骨と灰にしただけだった。
そしてその骨は、今は、都立多磨霊園の中にあるみたま堂というドームのロッカーの中に入っている。
そのドームの真ん中には、巨大な石のモニュメントがどーんと置いてあり、上から水がとうとうと流れている。
きっと何かを象徴する形なのだろう。
その大きなホールの周りの観客席に当たる場所には、ロッカーがぐるりと設置されいる。
ロッカーといっても、立派なクローゼットのようなもので、うちが借りているのは、4体まで保存可能というもの。
そのロッカーが全部で何個あるか分からないが、前面にはきれいな巨大パネルが置かれているから、誰もそこに骨が納まっているとは分からない。
都立なので、使用料の請求書は、納骨当初は青島幸雄都知事から届き、今では石原慎太郎の名前で届く。
そういうところに父が入っているのだが、「そんなところに入れられて可哀想に」と大きなお世話を焼いてくれる人もいるが、本人はお寺さんや墓の問題で親戚の間で苦労したので、きっとセイセイとしていることだろう。
昨日は久しぶりに、母と、海外から来日した妹との3人でそのドームまで出かけた。
風の強い寒い日だったので、墓参りに来る人もほとんどいなかった。
ドームでは個々のお参りはできないので、墓前に供えるためにつきものの、お花やお線香を持っていく必要もない。
入り口にある大きな灰皿(?)に、お線香を立てるだけだ。
非常に合理的なシステムで、きっと父も納得しているのではないか。
それにしても、父の葬式はたった9年間前のできごとだったのに、母は、そこで父の葬式をしたことすら忘れている。
それほど簡単に忘れることができるのだろうか。
情けないと思う気持ちが半分、仕方ないと思う気持ちが半分だ。
上の写真はドーム中央にあるモニュメント。この大きさを表現できないのが残念だ。
下の写真はドームの天井。アンモナイトのようでとても美しい姿だ。
自分のお墓をどうしようか、と考えることがたまにあります。墓地のチラシについ目がいったりして(笑)
返信削除でも、納骨はお墓にこだわらなくても、選択肢はあるんですね。
夫は、「海にまいてくれ」なんて言ってるけど、それはちょっとね。
私も、お葬式も含め、できるだけ娘たちの負担にならない方法を選択して、伝えておきたいと思います。
マサさん、遺骨って、すぐに納骨しなくてもいいそうですよ。だから充分検討するまで自宅で保管していてもいいんですって。
返信削除たしかに残された人の負担にならないほうが、いいですよね。