2012年6月30日土曜日

和装の美 6 友禅染

4月から始まった市民カレッジ「和装の美」も6回目となりました。

どの回の時も雨が降らないので、毎回着物で通しています。

今回の講座の内容は、友禅染の技法のお話と、「友禅染の創始者とも言われている宮崎友禅さん」のお話でした。

結論から言うと、「宮崎友禅さんが友禅染を創案したというのは根拠のないことで、誤った言い伝えであること」でした。

友禅さんは、扇に絵を描く絵師として優れた人だったそうですが、友禅染を確立したということはないそうです。
ところがこの言い伝えがいつのまにか真実になってしまい、高校の教科書にも載ってしまったのだとか。

友禅染めといえば京都や加賀が有名ですが、それ以外にも、名古屋友禅や東京友禅というのもあり、今や「友禅染」という名称は広く知られている名前ですが、歴史をひも解くと、友禅が描いたという直筆のものは3点しかないそうで、噂が独り歩きしているところもあるようですね。

ちなみに友禅さんは17世紀の後半に京都で活躍されたそうですが、晩年はどこでお亡くなりになったかも不明なのですが、京都の知恩院にお墓があるそうです。

京都の友禅染と加賀友禅は、お互いに「うちのほうが本家本元」と張り合っているのだとか。
こちらは江戸時代の「友禅ひいながた」というデザインブックのようなものです。


丸いところに絵を描いたのは、扇絵師だったからだろうというお話でした。

また友禅染の技法と工程はあまりに何段階にも分かれていて、一度聞いた位では覚えきれないほどでした。

簡単にまとめてみると、まずデザインをして、そのあと布を湯通しします。
そのあとは本友禅、無線友禅、型友禅などの種類によって工程が異なるのですが、
下絵を描いて、糊を置き、色を入れて、それを蒸して、水洗いをして、また湯のしをして、金箔を置いたり、刺繍をしたりなどの加工をして、そして地直しをしてようやく仕立てるのだそうです。

この工程はビデオを見せていただきましたが、気の遠くなるような作業でした。

友禅染の話は、日本史の資料をもとにしながら解説していただいたのですが、古文を読むだけでも大変です。
それに加えて織物や染め物の知識も必要なのにあまりその知識がないため、なかなかついていけないですね。
おまけに先生が早口で、大学生レベルの授業なので、ふーっという感じです。

一緒に参加しているUさんですが、とてもモダンな帯を締めていらっしゃったので、後姿を写させていただきました。


薄いベージュに焦げ茶色の水玉模様の帯でしたが、トルコブルーのような鮮やかな帯揚げがチラッと見えて素敵でした。
お太鼓のところは大きな水玉、前のほうは小さな水玉です。

私は世田谷美術館に行った時と同じ絽の着物。
帯は絽つづれというのでしょうか、夏向きの透けた帯にしました。

この講座を受けている部屋が暑いので、涼しい恰好にしないと汗だくになってしまいそうなのです。

2012年6月29日金曜日

トロントあれこれ 10 ~Kimono~

ちょうど1ヶ月前の5月末から6月初めにかけて、カナダのトロントに旅行してきました。
その旅日記がまだ続いています。

今日の「トロントあれこれ」は着物編です。

今回の旅行の目的は、トロントに住む姪(妹の長女)の結婚式出席でした。
彼女からも、彼女の妹達からも、「おばさん、結婚式には着物で着てね。どんな着物か楽しみです」というメールが来ていたので、私もどんな着物にしようかとあれこれ迷っていました。

妹に相談したところ、「こっちの人は上品な着物を着ても良さは分からないから、派手なほうがいいわよ」と言います。
それにお天気もどうなるか分からないので、とりあえずは水色に白の花模様の派手な袷にしようかと考えていました。
ところがトロントの気温が急に30度になり、それではいくらなんでも袷では暑いし、かといって単衣は普段着しか持ち合わせがない。それならいっそ、色のきれいな紫の夏着物にしようと思い、スーツケースに入れて、早めに成田まで送ってしまったのでした。

ところが、出発前に天気予報をまた見ると、現地の気温は14~15度に下降、おまけに土砂降りの雨だというのです。

それで出発当日は雨でもOKの東レシルックにして、黄土色の半幅帯というこのスタイルで成田まで出かけたのでした。後ろは「かるた結び」とう、ぺったんこな結び方にしました。


ところが前にも書いたように▼、飛行機の事故で成田のホテルで1泊する羽目になりました。

でも成田のエアラインのカウンターでも、ホテルの受付でも、着物姿の私と7ヵ月の赤ちゃんがいるので、それはそれはどこでも丁寧な対応をしてくれて、「さ、さ、こちらへどうぞ」と一般の人とは別の窓口で対応してくれるありさま。他の人たちは長い行列をずっと待っていましたが、私たちは優遇されてスイスイとことが運び、このときは本当に着物さまさまでしたね。

そして翌日の臨時便に乗ったのですが、洋服だと飛行機の中が寒すぎて毛布を何枚もかけているのですが、着物に足袋だと身体全体が暖かいので、毛布は不要でした。

結局、結婚式当日は紫色の絽の夏着物に銀色の帯にしました。
(写真はH夫人から頂いたものです。)
外は寒かったのですが、会場は人が多くて寒いことはなく、夏着物でもちょうどよかったくらいでした。


この日は結婚式だというのにザーザーぶり。おまけに雷も鳴るような暴風雨の中、足袋が濡れると困るので、はだしにサンダル履きという妙な姿で車に乗って出かけて、教会で足袋と草履に履き換えた始末でした。

夕方からの披露宴(パーティー)では、着物は私だけかと思っていましたが、妹の友人の日本人女性二人が着物で出席してくださいました。
お一人はなんと豪華な刺繍の入った黒の留袖。
もうお一人は上品な訪問着でした。
お二人とも海外に長く住んでいらっしゃるのですが、とてもすてきな着物姿で、嬉しかったですね。
小物などどのようにして調達されているのか、ご苦労も多いことだろうと思いました。

3人の着物姿はかなり目立ったようで、みなさんにずいぶんと写真を撮られました。

翌日は、妹の連れ合いの家族と揃って食事会をしましたが、その時は単衣の紬にしました。
水色に白で細いススキのような波のような線が入っていています。
帯は派手なシャクナゲの柄。



実はこれは1000円着物なので、よく見るとシミがついているのですが、サイズがぴったりで着崩れせずに助かりました。
(カラフルなお花は結婚式で使ったものです。)

そのあとでイギリス人の義理のお姉さんに当たる人が着物に興味がありそうだったので、紫色の着物を着せてあげました。
外国の人にしては割と小柄な体つきだったので、よくお似合いでした。


とはいえ、帯板もないし、下はズボンにTシャツのままでかなりいい加減な着付けですが、よい記念になったと喜んでくれました。


実はこの着物は、京都の女医さんからブログ仲間のさとさん経由でいただいた着物で、それを妹が来日したときに譲り、カナダまでやってきた着物なのです。
まさかイギリス人が袖を通したとは、女医さんもびっくりでしょうね。

そしてこちら▼にも書いたように、ナイアガラの滝に行った時は、水しぶきも平気だった東レシルック。
車のシートベルトでちょっとぐずぐずになってしまいましたが、濡れても大丈夫なので気楽に着られました。

後ろは京都の嵯峨野のように見えますが、日本料理店の壁紙です。


そんなこんなで、トロント旅行は着物で始まり着物で終わりました。

連れの娘は私が着物でどこへでも行くので、あまりいい顔をしていなかったのですが、人混みでもすぐに見つかるのでそれは便利だと言っていました。

着物で通して、少しは国際親善にも役だったかもしれませんね。

2012年6月28日木曜日

世田谷美術館

先日、Mさんとお出かけした世田谷美術館▼は、広大な敷地の砧公園に隣接しています。

緑に囲まれた静かな美術館です。


ここにはちゃんとしたランチやディナーを楽しめるレストラン「ル・シャルダン」もあるのですが、今回は二人とも大食いではないので、軽いものでOKです。
それで地下の中庭に面した「カフェ・ボーシャン」▼でランチにしました。

そば粉のクレープ「ガレット」のセットをいただきました。
中には茹でたジャガイモがはいっていたので、けっこうおなかは満たされました。


ここにあるものは日差しを遮る布のテント、石段を流れる滝、カラフルなお花たち・・・・・。

ピクニックに行った気分になれますね。


見渡せば、ワンちゃんのお散歩のついでに遊びに来た人や、一人静かに雑誌を読んでいる人、はたまた子連れのママたち、などがそれぞれに楽しんでいました。

テーブルの間をぐるぐると回って遊ぶ小さな子どもたちの姿を見ていると、自分の子育て時代を思い出します。
あの頃は、子供のおむつの洗濯を一生するのではないか、と思ったほど時の流れが遅く思われましたが、10年、20年なんて経つのはあっという間ですね。

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この日の装いは、今年初となる絽の着物。


写真に写すとモアレが出てしまいますが、白とグリーンの斜めの細いストライプ模様です。
地元の神社の骨董市で買ったもの。

帯は白にグレイや薄紫の縞が入った芯のない軽い帯。
吉祥寺のリサイクル着物ショップで買ったもの。

帯締めは濃いえんじ色ですが、夏用に最近、仕事先の近くのリサイクル着物ショップで買ったもの。

グレイの帯揚げだけが新品でした。

平日からこんなにゆったりとした気分になれたのは久しぶりです。

応募はがきが当たったおかげで、銅版画という今まであまりなじみのなかった世界の絵を楽しむことができ、また緑の中でゆったりとしたランチができました。

お付き合いしていただいたMさん、ありがと。





2012年6月27日水曜日

銅版画家 駒井哲郎展

世田谷美術館で開催されている「駒井哲郎 1920-1976」という展覧会に行ってきました。


駒井哲郎という銅版画家のことはまるで事前知識がありませんでした。

それなのにどうして展覧会に出かけたかというと、チケットが当たってしまったからなのでした。

世田谷美術館は砧公園の中にあるので、子供が小さい頃はときどき自転車で遊びに行ったり、絵を見に行っていたのですが、最近はちょっとご無沙汰。

でもまた行ってみたいなと単純に思って、インターネットで応募したらチケットが当たってしまったというわけです。

チケットが2枚送られてきたので、ご近所のブログ仲間のMさんをお誘いして、一緒に世田谷美術館に行くことにしました。


さて、駒井哲郎さんという方は1920年生まれ(大正9年)なので、私の父とちょうど同じ年に生まれた方なのでした。生きていたら92歳でしょうか。

展覧会の会場に書かれていたプロフィールによれば
日本橋の室町生まれの東京人。
中学在学中に銅版画に出会う。
東京藝術大学に入学して、その後パリに留学。
結婚して長男誕生。
その後、東名高速で車の事故に遭い、足に大怪我をした。
長女誕生。
銅版画の新境地を開き、活躍されていたところ、舌癌が見つかり、56歳で死亡。

という強烈な人生を送られた方なのでした。
会場にあった写真を拝見すると、端正なお顔をされていてかなりハンサムな方でした。

私は銅版画にはまるで知識はないのですが、銅板を何らかの方法で腐食させて、そして版画にしたもののようです。

とはいえ、その技法にはさまざまな手法があるようで、駒井さんはエッチング、モノタイプ、エンボス、ガッシュ、エンボス、リトグラフなどを巧みに組み合わせて、独特の世界を作り上げていました。

その絵は幻想的で、抽象的なものが多く見られましたが、こんな可愛いウサギちゃんもありました。


会場に展示されていた絵は、かなり小さいサイズで、たとえばコースーター程度のものや、大きくてもハンカチくらいの大きさのものがほとんどでした。

なぜそのような大きさの版画が多かったかというと、駒井さんの版画は詩集や論文集などの本の挿絵として使われることが多かったからでしょう。
とくに「新潮」の表紙に使われたり、埴谷雄高、金子光晴、福永武彦、岡本かの子などの著名人の本の挿絵になることが多かったようです。

私が今回の展覧会で嬉しかったことは、作品が年代別に展示されていた点でした。

駒井さんの作品は若かったころはモノクロの世界でしたが、それが年を取ると色鮮やかなカラーの世界になり、そしてまたがんを患った頃にはモノクロの世界へと戻って行っていました。
時系列で展示されているので、とても分かりやすくて良かったと思いました。


駒井さんは「銅版画を芸術の域にまで高めた人」と呼ばれているようですが、それまで地味であまり脚光を浴びることがなかった銅版画に光を当てた方のようだと思いました。

50代半ばという若くしてお亡くなりになったのですが、死ぬ寸前の絵は心の内面を見つめて、厳しい姿勢で作品を作られたように感じました。

なおこの展覧会は資生堂の名誉会長として有名な福原義春さんのコレクションでもあります。
駒井さんと福原さんは慶応義塾(幼稚舎)での先輩後輩に当たるそうで、小さなときから駒井さんを兄のように慕っていたのだとか。
昭和28年には資生堂画廊で初の個展が開かれています。

今回は500点以上の作品が展示されているようですが、福原さんが寄贈されたものだそうです。

私の生まれ故郷である杉並区松庵にも住んでいたことがあり、父と同い年だったという駒井哲郎さんの作品に出会えたことは、嬉しい発見でした。

とても魅了された作品にたくさん出会えた展覧会でした。

(この項、続く)



2012年6月26日火曜日

大和文化会 4 ~天皇の冕服~

さて、6月23日に開催された4回目の「大和文化会」ですが、今回のタイトルは、漢字が読めませんでした。(恥ずかしい!)

「冕服」と書いて「べんぷく」と読むのだそうです。

これは天皇の着る衣装のことで、冕冠(べんかん)つまり冠と、袞衣(こんえ)つまり衣装を合せて、冕服というのだとか。
ふーむ、難しいんですね。

講師の先生は、猪熊兼勝先生とおっしゃり、京都橘大学の名誉教授でした。

平城宮、藤原宮、高松塚古墳などの調査や発掘に携わり、またイースター島でのモアイの調査もされていらっしゃる先生でした。
先生は有職故実に携わるおうちのご出身だそうで、京都の葵祭の保存会会長さんもされていらっしゃるのだとか。

講演は冕服姿の衣装をまとったモデルさんのスライドを示しながらお話しされました。



西暦7世紀の初め、603年、推古天皇のころ、昔の千円札でおなじみの聖徳太子が天皇や皇族などの衣装を法律で定めました。
それが「官位十二階」で、貴人の身分を冠と服で規定したものでした。
色は6色あり、それぞれに濃い色と薄い色があって、全部で12種類あったわけですね。

そして732年、当時の聖武天皇が初めて冕服という衣装を着て、元旦の儀式に臨んだそうです。
きれいな朱色の服でした。

当時の服を再現した衣装をまとったモデルさんが登場して、会場を一周しました。
このかたはこの会の事務局の方だそうですが、衣装が重いのか、かなり緊張されていましたね。

服は上下に分かれていて、袴のようなものの下にはももひきのようなものを履いていたそうです。
先生が服をめくって見せました。



女子高生が短いスカートの下に、体操着のズボンをはくスタイルは、このような古代からあったのですよと先生が説明すると、どっと笑いが起こりました。

ちなみにイースターを調査されたときも、やはりこのような組み合わせの衣装があったそうです。

冕服にはいろいろな柄が描かれていて、左の肩(東)のところには太陽の絵、右の肩(西)には月の絵が描かれています。

背中には北斗七星が描かれていました。

3本足のカラスもその衣装に描かれていて、「やたがらす」という鳥だそうですけれど、勝利を導く鳥だそうす。

現在では「やたからす」は日本サッカー協会のシンボルマークになっています。



サッカーのマークが聖武天皇の衣装と同じというのは、驚きでした。
他にも、ウサギ、不老長寿の薬である月桂樹の壺やヒキガエルの絵も描かれていました。
絵にはそれぞれ意味があるそうです。

こちらは平城京遷都1300年の時に、小泉敦さんという画家が描かれた聖武天皇と光明皇后の御影ですが、猪熊先生はこの衣装の検証に当たられたそうです。



冠も面白い形をしていて、前後に宝石のような玉を通した縄を12本垂らしています。
ちょっと前が見づらそうでしたが。
額のところいはセミが飾られていて、それは美と武力を意味しているのだとか。

手に持っているのは「しゃく」と言うそうですが、象牙やクジラの骨で作られているのだとか。

履き物は先がキュッと上がっていて、ちょっと歩きにくそうな靴でしたね。

考古学や有職故実が専門の先生でしたので、大河ドラマ「平清盛」に出てくる天皇や貴族の衣装もとても気になるとおっしゃっていました。

この講座ではいろいろな研究家の生のお声を聞けるので、それがとても楽しみですね。

次回は「古事記の謎を追う」というテーマですが、私はほとんど知識がないので、一夜漬けでちょっとお勉強していかないとね。




2012年6月25日月曜日

トロントあれこれ 9 ~Niagara on the Lake~

「トロントあれこれ」はまだ続いています。

今日のスポットは、ナイアガラの滝の近くにある観光地「ナイアガラ オン ザ レイク」です。

ここはなんというか、日本でいうと軽井沢や清里のようなところかしら。こじんまりとした町でした。

とにかく可愛いお店や、きれいなお花がいっぱいで、女の子にはぴったりのところでした。



ナイアガラオンザレイクは、オンタリオ湖をはさんで、ちょうどトロントの向かい側に位置しています。



お花がいっぱいのカフェとワインのお店。




可愛い雑貨屋さんもあちこちにありました。



このTシャツ、すごく可愛かったですよ。



こちらは有名なホテル。



時代を感じさせる建物でした。



馬車に乗って市内観光ができるようです。



町には緑が多くて、のんびりとお散歩ができました。

そうそう、この町ではYくんはレンタルのベビーカーに乗っていたのですが、最後にそれをたたもうと思ったら、どうしてもうまくたためなくて、みんなで悪戦苦闘、あれには本当に困りましたね。15分くらい、大騒ぎでした。



今回の旅行は、娘のお婿さんや私の夫も同行するはずだったのですが、やはり日本のサラリーマンはなかなか休暇がとれません。
それで娘と私、そして孫で出かけたわけですが、もし男性軍がいたら、ナイアガラオンザレイクのような女性向きの観光地には行かなかったかもね。

ナイアガラオンザレイクの紹介はこちらのHP▼が分かりやすいかな。

「ナイアガラの滝」からワイナリー見学、そして「ナイアガラオンザレイク」までずっと案内してくださったHさん、そして地元ならではのガイドと運転をしてくださったご子息のKくん、ほんとうにどうもありがとうございました。
おかげさまで楽しい旅行ができました。

2012年6月24日日曜日

中央区新富町かいわい

今年の4月から大和文化会の講座に通うため、月に2回ほど銀座まで足を運ぶようになりました。

この講座は銀座2丁目にある中央区立の施設「銀座ブロッサム」というところで開かれていますが、
そこは銀座といってもいわゆる銀座の中央通りからは離れているので、どちらかというと築地寄りの下町っぽいところです。




上の写真の手前の道路をこちら側に渡ると、東京メトロの「新富町」▼の駅があります。



この駅は有楽町線の駅で、できたのは1980年(昭和55年)ということですから、かれこれ30年以上は経っている駅なのですね。

新富町というところはあまりご存じない方もいらっしゃるでしょうが、私の母はこの町で生まれたので、私は小さいときから「しんとみちょう」という単語だけは良く耳にしていました。

母はその後、昭和の初期(戦前ですが)、小学生か中学生のころに港区へ引越しました。

それで私が子供のころ、母に連れられておじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くいわゆる実家というのは港区だったので、新富町というところは私にとっては幻の場所でもあったわけです。

それが今回、たまたま大和文化会の講座の場所と新富町は目と鼻の先にあるので、今回は早めに到着して、そのあたりを歩いてみました。

新富町の駅のすぐ隣には中央区役所が建っています。



このあたりは築地とも近いので、ちょっとした料理屋さんや小さなレストランもぽつぽつとありました。

ちょっと目を遠くにやると、「松竹衣装株式会社」と書かれた看板が見えますが、歌舞伎や映画の衣装もここで扱っているようですね。

松竹衣装のホームページ▼




そういえば、母は以前、「私の生まれたところは、高速道路になってしまったらしいよ」と話していました。

この道路になってしまったのかしら?

車がびゅんびゅんと通り過ぎる高速道路を、橋の上から眺めました。




今はビルが立ち並んでいますが、母が生まれたころは、このあたりはどんな風景だったのでしょうね。

幼いころは、このあたりでどんな遊びをしていたのでしょうね。おにごっこやかくれんぼでもしていたのかしら?

母にこの写真を見せても、新富町のことはきっと何覚えていないでしょう。

私が新富町に出かけるようになったのも、何かのご縁かもしれないと思うと、この銀座のはずれの下町に、なんとなく親しみが湧いてくるのでした。

2012年6月23日土曜日

人の振り見て・・・・

今日はまた「大和文化会」▼の勉強会で銀座まで出かけてきました。

ちょっと曇り空でしたけれど、気温もあまり高くなかったせいか、あちこちで着物姿の女性に出会いました。

(ちなみに、今日の私はなんとなく着物を着る気が起こらなくて、洋服で出かけました。)




私鉄の中でお見かけした方。
黒と白の粋な縦縞に、クリーム色の鳥獣戯画の絵が描かれた帯を締めていました。
それに半襟はビーズがびっしりとちりばめられているもので、いかにも「お洒落しました」という雰囲気が漂っていました。
ところが、お顔を見るとまるですっぴんで、ものすごく無愛想というか、つまらなそうなお顔をしているんですよ。
なんだかせっかくの着物がもったいないように思いました。
着物を着ているとそれだけで目立ってしまうので、素敵な着物に負けないようにせめてもう少しにこやかにしてもらいたかったわ。

地下鉄の中ではこんな方もお見受けしました。
薄いピンクのきれいな地模様入りの高級そうな着物を着て、割といい色だったのですが、その上にくすんだ青い色のネット状の長い羽織を羽織っているのですよ。
その羽織は特殊な織物のようできっとすごく高いものでしょうけれど、ごつごつしていて、なんだか荷造り用の麻の紐で編んだようなものだったのです。
柔らかいピンクの着物と合わなくて、羽織だけが浮いていましたね。
多分、薄い色の着物を汚さないように羽織ったのでしょうけれど、あれは紬との組み合わせだったらぴったりだったのにね、と思いました。
この方、粋筋の人かもしれませんが、髪の毛をアップに結っていてすっきりしていたのですけれど、あのネット上の羽織はもったいなかったわ。

また新宿の地下街では4人ほどの着物集団の女性とすれ違いましたけれど、みなさんお洒落なんでしょうけれど、揃いも揃って裾をすごく短く着つけていて、足袋が完全に見えているのです。バタバタと走っているんですよね。いったい何事かと思いましたよ。
私も着物を着て、駆け出すときはありますけれど、4人揃ってだったので、あっけにとられました。

また銀座でお見かけしたのは、すごくお歳を召した方ですが、全身黒づくめの着物でおまけに黒の袖なしの長いぞろりとした陣羽織のようなものを着ていて、痩せた体がよけいに細く見えて、痛々しいくらいでした。
やはりある程度年をとったら、細身の人は特に淡い色のほうがいいんじゃないかなと思いましたね。

なーんて、人の振りはよく見えるんですが、自分のこととなるとなかなか気付かないかもしれませんね。

私のポリシーは、「周りの風景から浮かないこと」かな。
自然体で着物を着たいですね。

とはいえ、カナダのスーパーマーケットでも着物を着ていたので、同行していた娘からは嫌がられましたが。

今日の銀座通りにはもう七夕の笹が飾りつけられていましたよ。



もうすぐ7月、今年も半分終わりに近づきましたね。

2012年6月22日金曜日

トロントあれこれ8 ~ワイナリー見学~

トロントあれこれが続きます。

今回は昨日の「ナイアガラの滝」に続いて、「ナイアガラのワイン」のお話です。

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ナイアガラの滝を見て、食事をして、その後は近くにあるワイナリーの見学に連れて行っていただきました。



ここは「ピリテリー・ワイナリー」といって、世界的に有名なアイスワインを作っているところです。

普通のワインというのは秋に収穫されたブトウを元にして作られるのですが、アイスワインというのは秋には収穫をしないで、真冬の零下8度くらいのときになるまで待ってから収穫されたブドウを使って作るのです。
つまり真冬になるまでの間、冷えて固まったり、それが溶けたりしているうちに、少しずつ水分が飛んで、そして芳醇な香りになるのですね。

このワインはすごく濃厚で甘くまろやか。特別なデザートワインなのです。

日本で買うとものすごく高いので、海外に行ったときに免税店で買って飲むくらいしかできないですね。

でもこのワイナリーでは、何種類も試飲ができて、いい気分になりました。

その前は工場見学です。

日本のワイナリーと同じように、最初はブドウの説明がありました。
日本のブドウよりも背が低いですね。



ガイドさんについて、こんな感じでぞろぞろと工場のほうへ歩いていきます。



工場の中に入って作り方の説明を聞きます。
日本のワイン工場は、金属の容器に入っていたと思うのですが、ここはプラスチックでした。



地下にあるワイン置き場。ここはひんやりしていましたね。



濃縮されたワインは、ブドウの房1つから、5CCほどしか取れないということでした。
そのあと、長時間発酵させてようやく出来上がるのだそうです。

樫の木の樽の香りが漂っていました。



カナダのアイスワインの詳しい説明は、こちらのページ▼が日本語で書かれていますので、分かりやすいと思います。

こちらは世界のワインコンクールで受賞したワインの数々。
表彰状といっしょに飾ってありました。



無料でテイスティングを4杯くらいいただいたかしら。

運転手さんは試飲できないので、ちょっと可哀想でしたが・・・・。

今はすっかり忘れてしまいしたが、これでも大昔はメ○○○ン・ワインのアドバイザーなんて仕事をしていたので、テイスティングの仕方やおいしさは分かりましたよ。



ワイン工場にもバラの花がきれいに咲いていました。

2012年6月21日木曜日

トロントあれこれ7 ~Niagara Falls~

トロントあれこれシリーズもポツポツと続いています。

今日のご紹介は、皆さんご存じのナイアガラの滝です。

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今回のカナダ旅行は、姪の結婚式出席、親戚との顔合わせ、新居への引越手伝いなどが続き、いわゆる観光地にはどこにも行きませんでした。

それではあまりにもったいないので、最終日は観光客らしくどこかへ出かけることにしました。

といってもトロントにはそれほどの名所旧跡はないのですよ。

今回はお天気も曇天でイマイチでしたし、7か月の赤ちゃんも一緒だし、、どこか近場でもよかったのですが、日本料理店の女将さんの「ナイアガラの滝をご案内したい」というお言葉に甘えて、息子さんの運転で連れて行ってもらいました。

ナイアガラの滝はトロントからは約120キロの距離のところにあります。
トロントに観光に来る人の目的はほとんどがナイアガラ見物なので、トロント在住の人は何回も滝にお客さんをお連れしているそうです。
何度もいらっしゃっているのに、また連れてきてくださって、嬉しく思いました。

さて車はトロント中心部を抜けます。

こちらは、「東京スカイツリー」ではありません。



トロントのCNタワーという建物で、最近までは世界一の高さのタワーでした。
走っている車の中から写したのですが、窓に水滴がついていますね。

ハイウェイを1時間半ほど走るとナイアガラの滝に着きました。

車でチャイルドシートに乗っていた赤ちゃんも、ほとんどぐずらずにいてくれてほっとしました。



ご存じのようにナイアガラの滝はカナダとアメリカの国境のところにあり、エリー湖からオンタリオ湖に流れるところにあります。




真っ白で何も見えませんね。

やはり瀑布というのにふさわしい。

少し前に日本人留学生が柵から落ちて亡くなったというのもこのあたりだったようです。




真ん中に見えるのが、「霧の乙女号」という小舟です。


これに乗って滝の近くまで行くのです。




この水滴は雨ではなくて、滝のしぶきです。
左がアメリカ滝、右がカナダ滝ですね。


もうびちゃびちゃになってしまいました。
滝から少し離れたところで撮影しました。



この日は雨の予報だったので、濡れても大丈夫な東レシルックにしましたが、まさか滝でこんなに濡れるとは思いもよりませんでした。

車にずっと乗ってシートベルトで固めていたので、着物はぐちゃぐちゃ姿ですけれど、濡れても平気だったので正解でした。

私はナイアガラの滝はもう20年ぶりくらいだったかしら。
年を取るのは早いものです。

こちら▼がナイアガラ観光局公式日本語ホームページ」ですので、物足りない方はどうぞこちらでお楽しみください。

(この項、続きます)