2013年2月10日日曜日

70過ぎてからの「富嶽三十六景」

市民カレッジ「葛飾北斎とその時代」も佳境に入ってきました。


北斎先生もついに70歳を超えて、そのころは「為一」(いいつ)と名乗っていたようです。

北斎先生の絵画の中でもとくに有名な「富嶽三十六景」はなんと七十歳を過ぎてから描きだしたものだそうで驚きですね。
(「富嶽」の「ふ」は本当はウかんむりではなく、ワかんむりの字だそうですが、パソコンでは富嶽でご勘弁を)

三十六景と言っていますが、実際はそれに10枚をプラスした(こちらは「裏富士」と言うそうです)四十六景の富士山が描かれています。

こちらの資料はその四十六枚の絵を一挙に集めたもの。
すごいですね!
講師の先生は一枚一枚、描かれた場所や特徴を説明をしていただいたので、良く分かりました。


中でも有名なのが下の資料の左上にある「神奈川沖浪裏」ですね。迫力があります。
外国人がこの絵を日本土産にしていますね。

そして右側のいわゆる「赤富士」や「山下白雨」も雄大そのものです。


左下は「深川万年橋下」ですが、橋の間の向こう側に小さな富士山が描かれているのがうまいですね。

他にも都心の日本橋から見たもの、諏訪湖から眺めた富士山の裏側、名古屋から見た(本当に見えたのかな?)富士山など、よくあちこち写生旅行に行っていたのですね。お年寄りの作品とは思えないほどですね。

このシリーズはそれまでの北斎の画法を集大成したような特徴が良く出ているそうです。
つまり丸や直線などを多用した幾何学的な画法、遠近法などを取り入れている点です。

また対象が富士山だけでなく、それに庶民の姿をプラスして日常生活がかいま見えるところが、絵を効果的にしているということでした。

色は縁取りがブルー(あとの十枚は黒い淵どり)になっていて、いわゆる北斎ブルーですね。多色刷りのものや単色のものもありましたが、どれも迫力がありました。

これらの絵は江戸の文政から天保時代に描かれたそうです。
サイズは縦27センチ、横39センチほどの「大判錦絵」と呼ばれるものでした。

日本人とくに江戸時代の人々は富士山が大好きで、富士登山も盛んで、町中には富士塚なども作られていましたが、この絵がその拍車をかけたのだろうと思います。

この市民カレッジも残すところあと1回になりましたが、毎回、豪華な資料をいただいています。先生のお話も面白く、少人数の受講生だけでなんだかもったいないですね。



2 件のコメント:

  1. ずんこ2/11/2013

    70歳を過ぎてからの絵だということを初めて知りました。すごいですね~
    実は36枚ではなくて46枚というのも知りませんでした。

    富士山、江戸時代の方も登っていたと思うと改めて登ってみたくなりました。昔も登山などしている余裕があったのですね。

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  2. 北斎さんは90歳を過ぎても絵を描き続けていました。すごいですよね。画風もどんどん変わって行き、死ぬ直前の絵は本当に素晴らしいですよ。

    江戸時代の人の富士登山は頂上までは登らなかったそうです。
    ずんこさん一家なら、きっと富士山の頂上まで行けそうね。

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