大学院並みの内容できっちりお勉強、という市民カレッジ講座「日本の染織文化」ですが、この回は画像中心のお話で、また内容もとても楽しめました。
というのも、以前千葉市立美術館に「KIMONO BEAUTY」という着物の展覧会に行きました▼が、実は今回の講師の長島先生はこの展覧会の監修役をされていらっしゃったそうです。それで、ちょうど先日、5か所にわったこの展覧会が終了したので、その映像を見ながら、江戸時代から昭和初期(戦前まで)の着物の歴史をお話してくださいました。
(こちらは2月に行った時のチラシです。)
先生によれば、展覧会の監修というのは、
・テーマを決める
・構成を計画する
・展示品の検討
・展示品所有者に作品を出していただく依頼
・図録やポスター作製
・展示
・撤収
・展示品を所有者に返却
というような流れでお仕事をされるそうです。いろいろ関わることが多いのですね。
今回の展覧会は「ビゲローコレクション」と銘打っていますが、このビゲローさん(1850年~1926年)という方は、大森貝塚発見で有名なモース博士の講演をアメリカで聞いて感激して、それで日本の着物文化に興味を持った方だそうです。
大金持ちのお坊ちゃんだったので、自費で日本に来て、そして8年間日本に滞在して、多くの着物やひな形(デザイン帳)をアメリカに持ち帰り、そしてボストン美術館に寄付をされた方だそうです。
もともとはお医者さんですが、日本では仏教に帰依し、ご自身も着物を着て生活をしていたというのですから、相当な日本びいきの方だったのですね。
さて講義のお話を簡単にメモしてみます。
江戸時代の着物というのは、武家・公家・町人などの身分によって着るものが決まっていましたが、女性の場合は男性ほど厳しくなく、かなり自由にオシャレを楽しんでいたようです。
江戸時代の改革では何回も贅沢禁止令が出されましたが、それでもそういう改革は失敗に終わり、女性はいつの時代でも隠れてでも着るものを楽しんでいたようです。つまり本音と建前を分けていた時代だったということです。
その中で武家(大奥)では年間400枚くらいの着物を注文していたというから驚きますね。今のお金にすると2億円くらいの支払いをしていたのだとか。
着物の絵柄などは、出入りの御用聞きに見繕ってもらっていたようです。その中で「かりがねや」さんというのは有名な呉服屋さんですね。尾形光琳の実家でもあります。
公家の女性も小袖を着ていましたが、図柄がやはり公家好みのもので、見るだけで武家や町人の女性の着物とは、違いが分かりました。
町人の中でもお金のある人は友禅染などを着ていました。図柄は名所図絵のように派手なものが多くありました。
またこのころの着物は引きずってきていたので、裾模様がほとんどでした。
綸子や絞り、刺繍なども成り金の奥さまたちが着て広まっていきました。
そして明治維新により、着る物にも変化が出てきます。
いわゆる上流階級の人たちは、鹿鳴館でも象徴されるように、欧風文化に浸り、服装も洋装化していました。
しかし一般の人々はまだ江戸時代の着物を引きついで着ていましたが、色が非常に地味で、ネズミ色とか薄墨色のような着物が流行っていました。
ただし隠れたおしゃれをする人もいて、模様は上前(左側)にはなくて、下前(右側)に洒落た絵が描かれていて、歩いたときにチラッと見えるというのも流行っていました。
その後、明治時代も後期になると、化学染料の技術向上により、派手な色の着物が多くなりました。
特に面白いのは、油絵的な模様の付いた絵の着物で、バラなどの西洋風模様もありました。
またその正反対に日本画的な模様の着物もありました。これはそれまで襖や屏風などに絵画を描いていた絵師たちが幕府の没落とともに仕事がなくなってしまったので、着物の図柄を描く仕事に変わっていったということです。
そして大正時代には化学染料の発達によりカラフルな着物がたくさん出回るようになりました。
図柄は植物を表現したものが多くみられるようになり、ボタニカルアートという洋花をデザインしたものや、アルピン模様というアルプスの風景を描いたものもありました。
このころになると洋行をする人々も増えてきたので、その土産の絵ハガキをまねたようなデザインも増えていきました。
昭和になると、アールデコの影響で幾何学的な模様のものもでてきました。
非常に大胆なデザインや、伝統の模様に西洋風なものをプラスしたものも流行りました。
またその一方で、銘仙が非常に流行り、矢絣や麻の葉模様などの着物も多くみられるようになりました。
しかし戦後になると、アメリカ文化の影響で洋服文化が大量に入ってきて、着物を作る人がいなくなってきました。また徒弟制度もなくなり、伝統が途切れてしまいました。
これらの歴史とは別に、今回の展覧会では子どもの着物や帯の展示もありましたが、面白いと思ったのは明治のころの婚礼衣装でした。
当時はお色直しを含めて白、赤、黒と3着の着物を取り替えていて、お金持ちの人は更にもう一度のお色直しがあったとの話で、昔のお嫁さんは本当に大変だったのですね。
シックでモダンな装いの歴史を画像で見せていただいて、大満足でした。
でもこの着物の歴史の話を聞いた後で展覧会に行けば、もっと収穫があったと思いました。残念だったわ。
今回は画像を見ながらの学習だったので楽しかったのですが、次回はまた難しいお勉強だそうです。それも2時間ずっと休憩なし。大変です。
*****
この日の装い。
講義の時はあまり目立つ着物は避けているので、地味な茶系の大島にしました。
下北沢のリサイクル着物屋さんで買ったものです。
帯は濃紺の塩瀬の染め帯。京都の洋服と着物の両方のリサイクル品を売っているお店で1000円で買ったもの。鶴だか雁だかの鳥の絵が描かれているので、あまり好きではないのですが、色がちょうどよいと思って合わせました。
それにペタコさんの3分紐。西荻の古民家での展示会で買ったものです。
鳥の羽根の色とドンピシャでした。
帯留めは娘からの誕生日プレゼント。
おとなしい感じの格好ですが、帯揚げと足元だけはBerry工房さんの品で遊んでみました。
千鳥格子の草履で楽しげにしました。
誰も気づかなかったかもしれないけれど、自己満足でもいいわ。
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