2014年2月2日日曜日

伯母のこと

先日、母の姉である伯母が亡くなりました。95歳でした。

伯母は3人姉妹の長女でしたので、お婿さんを取っていたのですが、25歳の時にご主人が戦争で南の島で亡くなり、その後、70年間もの間、後家さんとして過ごしてきました。今、あの世で、ようやく70年ぶりにご主人と会えて喜んでいるかもしれませんね。

戦後は二人の子供を育てながら、両親の支えとなり、一家の柱として実家で生きてきました。
私が子供のころ、母の実家に遊びに行くたびに、伯母はいつも優しく迎えてくれました。ちゃきちゃきとした話しっぷりでした。

当時の女性には珍しく大きな人でした。それで私たちは「大きなおばちゃん」と呼んでいました。

今の女子美を卒業していたので、かなりの「ハイカラさん」だったと思います。
いつも着物姿で過ごし、絵画や読書を愛し、三味線を嗜み、お習字も上手な人でした。

年をとってからは、地域のシルバーセンターからの依頼で、表彰状などのあて名書きなどの仕事をしていたという話は知っていましたが、お通夜の席で、「着物姿で結婚式の映画のエキストラにも出ていた」という話には驚きました。好奇心が旺盛だったのでしょうね。
今から数年前、私が着物を着始めて間もないころ、伯母の家に着物で遊びに行ったことがあります。
その時、伯母から、
「まぁ、としちゃん、とても上手に着物を着ているわね」と褒めてもらったことがありました。
ずっと着物で過ごしてきた伯母からそのように言われて、私はこれで少しは自分の着物姿に自信がついたような気がしました。

そんな伯母の遺影は、澄んだ青空のような色の紬を、らく~に着ている姿でした。
お棺の中では、金茶色の縦じまの結城紬を着て横たわっていました。
とてもきれいな顔をしていました。

悲惨な戦争を経験し、そしてその後の平和な時代を生きてきた女性でした。

(写真はFUZZYさんからお借りしました。)




2 件のコメント:

  1. マサ2/03/2014

    若いときにご主人を戦争で亡くし、女手一つで二人のお子さんを育てられたんですね。
    (私が言うは僭越ですが)寂しいことこともあっただろうし、ご苦労も多かっただろうと思いますが、趣味もいろいろ嗜んで前向きに生きてきた方のような気がします。
    ご冥福をお祈りします。

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  2. そうですね、私なら70年も未亡人ではいられなかったでしょうね。
    伯母は、「人生は楽しまなければ」ということをよく話していたそうです。
    母におばさんのことを言えないのが、辛いですね。

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