先日の文化探訪セミナーですが、吉田松陰の話▼を聴いた後は、「幕末維新の激動を生きた女性たち」というテーマで、江戸東京博物館長の竹内誠先生のお話を聞きました。
竹内先生は北京に出張された直後でしたが、81歳というご高齢にもかかわらず、とてもお元気な様子で公演されました。
北京では、東京と北京とソウルというアジアの3首都博物館の交流会だったそうです。
各地を順番に持ち回りで回って開催している会議だそうですが、東京で行うときはカラオケ店に連れて行ったりして民間外交をされているという、楽しいお話から始まりました。
さて肝心の講演ですが、初めは江戸時代の悪評高い「三行半(みくだりはん)」の実態についてでした。
「昔の女性は夫に従わざるを得なかった」というのは真実とは言えず、三行半も実際は、「夫は妻が再婚しても文句は言わない」、「夫は妻をストーカーしない」というように、どちらかというと、妻の独立自由宣言であった、ということで、いろいろな実例をお話されました。
また江戸時代でも、奥さんたちが、夫の仕事中にあちこちお出かけしておいしいものを食べていたという資料も残っているそうです。
長屋のおかみさんたちが集まって、芝居見物、物見遊山に行ったようで、各地のお不動さんや神社などは各地から集まる女性たちでにぎわっていたようで、なんと吉原にまで出かける女性もいたのだとか。
また江戸の「いき」な女性というのは、冬でも足袋をはかず、下駄でさっさと歩いているのが良かったのだそうです。
そしてスタイルはお尻が小さくて、柳腰。
着物は紺縞、藍小紋などの小さい模様のものが粋で、大柄なものは野暮だとされていたそうです。
当時、江戸の子女教育はかなり普及していて、識字率も高かったのだそうです。
寺子屋のおかげでしょうね。
その後は、幕末のヒロインともいえる篤姫と和宮の比較がありました。
彼女たちの活躍もあり、江戸城は無血開城となったという説もありますね。
左のごっつい感じの女性が篤姫、右の華奢な女性が和宮です。
その次の話題は、会津の戦いに関わった女性たちについてでした。
下の写真の、上から大河ドラマのヒロインにもなった山本八重さん。
新島襄と再婚して、日清戦争のときには看護婦として活躍したり、お茶の先生にもなったという方です。
真ん中は山川捨松。会津生まれですが、敵方ともいえる大山巌と結婚して、鹿鳴館のスターとなったかたです。さすがに美しいですね。
一番下は瓜生岩さん。仏教思想に基づいた貧民救済活動を行い、戦争孤児を助けたり、福祉事業に従事された方です。
このように多くの女性が、幕末から維新のころにも活躍さてていたというお話を、伺いました。
他にも伊能忠敬の奥さんという方も夫を補佐しながら、地図作製に関わったそうです。
竹内館長のお話はユーモアにあふれ、本当に楽しくて、あっという間に過ぎてしまいました。
歴史の楽しさを教えてくれるお話を、また伺える機会があればいいな、と思っています。
(写真は配布された資料を写したものです。)
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この日の装い。
地味にレンガ色と黒の大島紬。
もちろんリサイクル品。
ピンクっぽい帯もリサイクル品。
(ピンボケですいません。)
黒の帯締めは、八王子の坂本呉服店さんのお食事会の時、ビンゴで当てた賞品です。
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