今年は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から与えられた鷹ヶ峯(現在は北区)の地に、工芸職人を集めて 芸術村を開いた琳派誕生の年から400年、ということで、あちこちのお寺で特別公開をしています。
中でも私が一番興味があったのは、本法寺です。
ここは日蓮宗のお寺です。
1436年に日親により開かれたそうです。彼は時の将軍、足利義教により迫害を受け、寺も焼かれたそうですが、その後、場所を移して本法寺を再開しました。
またこのお寺は、本阿弥光悦の菩提寺です。
光悦は1558年に生まれ、1637年に亡くなったそうですが、当時としては80歳近くまで生きたのは長生きだったのでしょうね。
彼は「寛永の三筆」と呼ばれるほど書家として名高く、また陶芸家、茶道など多方面にわたる才能を持った人でした。
その光悦が作ったと言われる「巴の庭」(名勝)です。
巴の形をしたものが3か所に配置されているという枯山水のお庭でした。
ただし私の目にはそれほど素晴らしいお庭には思えませんでしたが、当時としてはきっと斬新なスタイルだったのでしょうね。
夜光貝の細工がほどこされた光悦作の「花唐草螺鈿経箱(はなからくさらでんきょうばこ)」は美しかったですよ。
お経をしまっておく箱のようでした。
上の写真(看板)にも書かれているように、ここのメインは光悦と等伯のお二人です。
等伯は1539年生まれ、1610年に亡くなったということなので、光悦よりは20歳ほど年上になりますね。
これまでブログでも何回も書いていますが、市民カレッジの講師である出光美術館・学芸員の黒田さんが大の等伯ファンで、そのおかげで私も等伯が好きになりました。
東京国立博物館の「松林図屏風」、智積院の襖絵も素晴らしいとは思いましたが、今回の本法寺ではそれ以上の感激がありました。
それは「涅槃図」でした。
これほど大きなものとは知りませんでした。
縦が約10メートル、横幅が6メートルほどある巨大な絵画で、吹き抜けになっている2階から見てちょうど良いくらいの大きさでした。
撮影禁止でしたので写真がないのですが、この絵は、息子久蔵を若くしてなくした等伯が、彼の死を悼んで制作したものだそうです。
この絵画にはお釈迦様のほかに、いろいろな動物が描かれていて、当時としては珍しかったであろうコリー(犬)も描かれていました。
また等伯自身の像だと言われる人物も、そっと描かれていました。
私が見たのは複製ですが、3月には本物が公開されるそうです。
等伯さんは、こちらのお寺の日通上人と親交が深く、このお寺の復興には大いに力を貸したそうです。
こちらはその等伯さんの像です。
等伯さんがかつて住んでいたというこの本法寺に行くことができて、とても満足しました。
安部龍太郎の「等伯」を読んだ甲斐もあったと思いました。
ちなみにこちらのお寺では、若い女子学生たちが、きびきびと説明をしていました。
その後のお寺でも、中年のボランティアさんたちが、しっかりと説明をされていました。
どこでも気持ちの良い案内を受けて、とても良かったと思いました。
さすが、京都ですね。
(この項、当分、続きます。)
冬の京都は静かでいいでしょうね。行きたくなりました^^
返信削除京都までは行けませんが、熱海のMOA美術館では尾形光琳300年忌ということで、
紅白梅図屏風と燕子花図屏風が一緒に展示されるらしいので、遠足してこようかと思っています。
よーでるさん、京都も場所によっては人がいっぱいのところもありましたね。とくに外国人が円安のためか、随分多く見かけました。
返信削除熱海のMOA美術館いいですね。私も一度行ってみたいと思っていた場所です。
日にちがあえば、ご一緒したいですね!