山陽線の旅、2日目は広島から尾道に向かいました。
尾道と言えば、林芙美子でしょう。
駅のすぐそばに、記念碑がありました。
(ちょっと美人過ぎるようですが。)
旅行に行く前に、彼女の「風琴と魚の町」を読みましたが、この小説で尾道が登場します。
林芙美子は生まれは門司ですが、行商をする両親に連れられてあちこち移転していました。
大正5年、彼女が13才の時に初めて尾道に来て、ここでしばらく住むことになりました。
両親も彼女も、
「ここは、ええとこじゃ」
「海も山も近い、ええとこじゃ」と気に入っていたようです。
当時、尋常小学校5年生に転入して、そして尾道市立高等女学校へと進みます。
その数年間を過ごした家というのが、芙美子記念館に隣接していました。
かなり小さな古い家で、2階まで登ってみましたが、天井が低くて、私でも頭がつきそうでした。
こちらは彼女が着たという着物です。
羽織も飾ってありました。
ここの記念館のおじさんは、なかなか親切な方で、林芙美子のことを色々と教えてくれました。
彼女のベストセラー「放浪記」が発行されたのは、昭和5年のことで、27歳の時だったそうです。
芙美子は日本だけでなく世界各地で講演を行ったり、また多くの小説を書きましたが、昭和26年、48歳という若さで心臓まひで亡くなってしまいました。
私は数年前、新宿の中井にある林芙美子の自宅を見学しました▼が、とても立派なお屋敷でした。
芙美子は、尾道のような小さな家から出発して、大邸宅を構えるようになったのですね。
(この項、続きます。)
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