ここに出かけたのは、「美術館建築を楽しむ」の見学会▼以来でしょうか?
そちらのブログには建築の観点からの内容を少々、載せてありますが、今回は展覧会そのものが目的でした。
今回の展示は、「画鬼暁斎 ~幕末明治のスター絵師と弟子コンドル~」▼でした。
前期と後期で作品が入れ替わっていますが、私が見たのは後期のほうでした。
これまで、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)という人のことは殆ど知りませんでしたが、葛飾北斎と並ぶほどの天才絵師ではないかと思いました。
暁斎の描いた絵は、奇妙な妖怪が多いと思っていましたが、いえいえそれだけではないのです。
美人画、山水画、繊細な魚や鳥などの正統派の絵画、ユーモアたっぷりの漫画のようなもの、風刺画、また春画などありとあらゆるジャンルの絵を描いた人でした。
描くのがとても早くて、1日に200枚もの絵を描いたこともあるそうですから、その作品数も膨大でした。
展覧会は、入り口の方にはまず暁斎に弟子入りをしたイギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの作品が並んでいました。
彼は三菱一号館を設計した人です。
この方は日本人以上に日本の文化や芸術に親しみ、能や落語の世界にも精通されていたようです。
羽織はかま着用の写真もありましたが、武士のようにきりりとしていました。
描いた作品も繊細なものが多くて、驚きました。
コンドルと暁斎は子弟の関係を超えて仲が良く、何度か二人で写生旅行に行っていました。
とくに日光で描いた絵画は、畳にへばりついて絵を描いている師の姿をよく表していると思いました。
また彼は師の暁斎の作品を海外に紹介したそうです。
ちなみにコンドルの名前は「暁英」といい、これは暁斎と英国から一字ずつ取ったものだそうです。
彼は暁斎の臨終も看取ったほど、師匠を敬愛していたようです。
その次に、暁斎の作品のコーナーになるのですが、暁斎は天保2年(1831年)に生まれ、明治22年(1889年)に亡くなったそうです。
コンドルよりも20歳ほど年上でした。
なんと6歳にして、浮世絵師・歌川国芳に入門したのだとか。
9歳の時に狩野派に展示、その後「画鬼」と呼ばれたそうです。
すごい早熟だったのですね。
この方は59歳でお亡くなりになりましたが、もっと長生きをされたら、もっと多くの素晴らしい作品が生まれたことと思います。
こちらは写真撮影OKのコーナーに拡大されて映し出された「化け猫」(私が勝手に呼んでいるだけ)です。
正式名は「惺々狂斎画帖(三)」。27歳の時の絵だそうです。
実物はハガキ大ほどの小さな作品でしたが、このように大きくしてみると、化け猫らしさが漂ってきますね。
左の方には、「あれ~!」と言って驚愕している人の姿が描かれています。
化け猫と一緒の私。
館内はとても寒いので、チェック柄のストールを借りて羽織っていました。
暁斎の天才ぶりに圧倒されて、言葉もないほどでした。
型破りという絵師でしょうか。
こんなにすごい絵を描く人が、北斎などの影に隠れてしまったのか、あまり有名ではないのがちょっと不思議でした。
こちらはコンドルが建てた三菱一号館の模型。
中でお仕事をしている人たちもちゃんと並んでいました。
鑑賞後は併設されているカフェ「CAFE1984」でお茶でも飲もうと思ったのですが、満席で順番待ちの人がたくさん並んでいました。
それで諦めて、代わりは新宿「追分団子」の宇治金時。
小豆の甘さが絶妙で、値段は少し高いのですが、満足度も高いかき氷です。
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「画鬼暁斎 ~幕末明治のスター絵師と弟子コンドル~」は9月6日(日)まで、東京駅近くの三菱一号館で開催中です。
展覧会のキャッチコピーには「狂っていたのは、俺か、時代か?」とありましたが、彼は狂ってはいないと思いますよ。
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