2015年11月14日土曜日

「FOUJITA」

竹橋にある東京近代美術館▼藤田嗣治の全所蔵作品展▼が開かれていて、なんと65歳以上のシニアは入場無料だというので、喜んで出かけました。

会場はさすがに中高年がたくさん来ていましたが、修学旅行の中学生や高校生も大勢、来場していたようです。


私は藤田嗣治というと、乳白色の肌をしたちょっと幻想的な女性を描く画家だと思っていました。
しかし彼の82年の人生は波乱に満ちていて、いろんなジャンルの絵を描いていた人だったのでした。

藤田嗣治は明治19年に東京で生まれました。
子供の時から絵を描くのが得意だったようです。
そして東京美術学校に入学しましたが、当時はまるで評価されず、27歳の時にフランスに渡り、そこで自由奔放な才能が開花しました。
そしてフランスでは「FOUJITA」と呼ばれ、大人気の画家となりました。
その後、日本に帰国して、第二次世界大戦中は従軍画家として活躍して、多くの戦争画を描きました。
しかし敗戦後は戦争協力者として世間から排除されるようになり、63歳で再度フランスに渡り、フランスに帰化して、フランスからは勲章を授与されるほどとなりました。

この作品展では初期の自画像や晩年の少女像の他に、多くの戦争画が展示されていて、驚きを禁じ得ませんでした。
それらの戦争画はとても大きなサイズで、またそれまでの絵画とは全く違う手法で描かれていました。アッツ島やサイパン島での玉砕の絵画などがたくさん展示されていました。
それらの戦争画は、兵隊たちの英気を高揚させるために描かれたものだと思いますが、死と向き合う、リアルで暗い内容のものでした。
当時は芸術家といえども戦争に加担しないと生きていけなかったのかもしれませんが、そのような絵画の中にも、西洋画の面影を取り入れていたところが彼らしいところだったのかもしれません。

この展覧会は12月13日(日)まで開催されています。

左の裸婦像と、右の戦争画、同じ人物の作品とは思えないですね。


ちょうど今日から小栗康平監督の「FOUJITA」▼が上映されます。
私の好きなオダギリジョーが藤田役なので見たいと思っていましたが、予告編を見ると、かなり暗そうな映画でした。

たまたま教育テレビで、この作品展と映画を扱った番組▼をしていましたが、藤田は晩年には自分ですべてプロデュースした教会を建てたそうです。
その内部を紹介していましたが、戦争画を描いた人とは思えないほど穏やかで明るく、良い老年を過ごしたのではないかと思い、ちょっとホッとしました。
またその番組では藤田の明るい肉声も聴けました。
人間にはいろいろな側面があり、人物像をひと言で決めつけてはならないものだと思いました。

映画では彼の晩年は描かれていないようですが、私の個人的な感想としては、63歳になってフランスに渡った藤田の心情と、老年になってからの生活も映画で紹介してもらいたかったと思いました。

さて、近代美術館の本館を鑑賞した後は、工芸館まで足を延ばしてみました。
この建物が好きなのです。


ここはかつては近衛師団司令部庁舎だった建物です。明治43年に建てられたそうで、重要文化財に指定されています。
8月に「日本のいちばん長い日」を見ましたが▼、その中で最後まで徹底抗戦をして反乱を起こした舞台は、ここだったのか、と思い出しました。


工芸館の作品展はちょっと興味の対象外だったので中には入らず、武道館を通り、北の丸公園を九段下までお散歩。
少し赤く色づいた樹々がきれいでした。

私は普段はあまりお昼はたくさん食べないのですが、この日は結構歩いたので、しっかりと焼き鳥肉のお重にしました。
ポン酢と大根おろしが乗っていて、さっぱりといただけました。


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この日の装い。

着物交換会でいただいてきた大島の反物を仕立てたものです。

洗い張り済みの反物だったのですが、広げてみたら、これがなんと男ものだったので、着丈が143センチくらいしか取れなかったといういわくつきの着物です。
それでもなんとか着ています。


男もので細かい模様でかなり地味なので、帯は明るく朱色のものにしました。
デパートの催事で1000円で買った名古屋帯です。

FUNNY COCOさん▼のリバーシブル帯締めは赤と青の両面遣いができるので便利です。
この日は青の方を出してみました。





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