それでちょっと、つらつらと思ったことを書いてみました。
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この日は、まずは上野の寺町美術館というギャラリーで開かれた「紘遊会」▼の着物の展示会にお邪魔しました。
こちらの会では、皆さん、機織りを習っていらっしゃるのですが、カイコから糸を紡いで、染色されて、そして機を織り、出来上がったものを京都まで送ってのして、それを着物に仕立てるという工程をすべてご自分でされていらっしゃる方たちの作品展でした。
気の遠くなるような作業でしょうが、世界に一つだけの反物ができるということ、工夫すればするほどいろいろな模様なども作れるということ、そしてとにかく美しい光沢が魅力的でした。
説明役の方にこっそり伺うと、糸の材料費そのものはそれほどお高くはなく、そして長い間、たとえば三か月、半年、その材料で楽しめるというのは、最上の趣味であるというお話でした。
もちろん着られるようなモノを織るまでには、いろいろと技術の習得をしなければならないでしょうし、すべての人がそのような技術に到達できるかは分からないのですが、趣味として考えると、とても素敵な世界であると思いました。
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ここは、1万円からの着物や帯を扱っている若向きのお店ですが、カラフルで洋服感覚のものが多いので、時々お邪魔しているところです。
今回は、「ろっこや」▼さんの反物があるというので、行ってみました。
播州木綿ですが、特別な仕様になっているようで、とてもしなやかで、光沢があり、木綿とは思えないような手触りの反物でした。
お仕立て付きで49,000円というものでした。
お店の方に、反物を巻きつけていただいたところです。
気に入れば、マイサイズに仕立てていただいて、1か月後くらいには着物として完成して手元にやってきます。
反物で見た場合と、着物になって、着てみたときのイメージの差はありますが、それでも手ごろなお値段で入手することができる着物でした。
このイベントは11月16日まで開かれているそうです。
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きれいな江戸小紋が、サイズが小さいという理由で半額になっていて、7500円で買えるものがありました。
身丈148センチ、裄63センチは私にぴったりでしたが、羽織ってみるとちょっと顔写りが良くなかったので、イマイチ、心が動きませんでした。
でも、リサイクル着物は、本当にサイズさえ合えば、そしてお財布と相談してOKならば、すぐその場で着物を手に入れることができます。
ただし、そのようにして手に入れたものは、飽きるのも早いかもしれませんね。
何も買わないのも悪いと思って、濃い紫の帯揚げを買ってきました。
お店の方のハロウィン帯が可愛らしかったので、写させてもらいました。
カボチャと猫ちゃんがコラボしている帯でした。
こんなふうにして、一日を振り返ってみると、着物が手に届くまでは、
1.反物からすべて自分で作る。
2.反物は自分で選び、仕立ててもらう。
3.出来上がったリサイクル着物を選ぶ。
という3パターンがあることがわかります。
もちろん他にも自分で仕立てるとか、プレタ着物を買うとか、人からいただく、またはレンタルで揃える、などのパターンもあります。
洋服の場合は、ほどんどの場合は自分では既製品を買って着るだけ、というパターンだと思います。
それに比べて着物はいろいろなチョイスがあるので、選択の幅がありすぎて、かえって悩ましいのだろうと、つらつらと思いました。
そして、思うことは、私は着物の何に興味があって、着物を着ているのだろう、ということです。
「和の伝統文化を伝えたい」というような、たいそうな気持ちはあまりありませんし、お茶やお花とも深いご縁はありません。
また染色や織物に興味はありますが、あまりにも奥が深くて難しそうで、この年で学習を始めるのも大変そうです。
ただ単に、着物を着た方が気持ちが良いから、という理由くらいしか見当たりません。
そういう理由で着物を着ていても、構わないですよね。
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この日の装い。
織物の展示会に行くので、きれいな色の紬にしました。
神楽坂のフリマで買ったものです。
織物をしている方は、さすがに目の付け所が違いました。
この着物は、よじれた糸(という表現が正しいのか分かりませんが)を使っているようなのですが、その糸の太さや織り方をじっくりと見ていらっしゃいました。
この着物は、よじれた糸(という表現が正しいのか分かりませんが)を使っているようなのですが、その糸の太さや織り方をじっくりと見ていらっしゃいました。
新緑のような色なので、秋らしさを出そうとして、黄土色の帯揚げをしてみました。
顔がちょいときつい表情になってしまいましたが、いつもはヘラヘラとしています。
蚕から糸をつむぐのは大変ですね。
返信削除私が習っていたところでは羊毛は紡いだこともありますが、絹は染からです。
糸によりをかけたりはしていましたが。
先生は着尺も織っていましたが、できるとしたらせいぜい帯くらいではと
思います。地下に織り機はあるのですが綜絖も錆びているのではと思うとなかなか
持ってこれません。そういえば糸紡ぎの車もあります。
私はまだ着物始めて1年しかたっていませんが、としちゃんはもう着物が当たり前の
生活になっていて、着るのが楽しくて、草履が足にはいいし、考えることもないかと思います。
人それぞれの楽しみ方があって、私の場合着物は日常ではなくやっぱり特別なもので
できれば娘にもつないでいってほしいと思っています。私も最後は日本人というか
日本にいることを活かして生きていきたいという気持ちです。
「着物を着た方が気持ちが良いから」というのは、シンプルですが一番大切なことかなと思います。
返信削除洋服も、着ていて気持ちがいいことが一番ですものね。まぁ、若い人は見た目の方が大事かもしてませんが。
ところで、作家の宇江佐真理さんが昨日亡くなりましたね。先ほど新聞で訃報を目にして、真っ先にとしちゃんのことを思いました。愛読者でしたものね。66歳というから同世代ですね。
まだまだ活躍できたのにと思うと、残念です。
カンカンもかなり本格的に織物を習っていたのですね。
返信削除またやり始めたらどうですか?
私たちの世代は、親や祖母が着物を着るのが当たりまという時代に育っているから、
今の若い人たちとは受け止め方が違うでしょうね。
私は自然なものとして着物を着ていたいですね。
娘は着てくれるとも思えないので、今は孫娘に期待しているわ。
マサさん、そうなの、今朝は新聞を開いて、本当にショックで呆然としてしまいました。
返信削除宇江佐さんの小説はシリーズものが多くて、主人公がだんだん年をとっていくスタイルなのですが、もう彼ら、彼女らの活躍が読めなくなると思うと、本当に残念で、惜しい方をなくしました。
文藝春秋の闘病記も読んでいましたが、治るものばかりと思っていました。
同年代の方が亡くなるというのは、身に沁みますね。
最近は着物も軽いものが楽になりました。
どっしりと重い着物もいいけれど、肩が凝るわ。
そうそう特別なものだけど着たときは
返信削除洋服と同じようなその場所に融けこんで違和感のないことを
願っています。そういう点では自然にです。
しかしそれを作るのにとてつもない手間がかかっていることを
思うと布は特別な大切なものという感じです。
これから着物を着る機会を増やしていきたいと思っています。
まったく、着物は手がかかっていますね。
返信削除ただし、手作業を機械にとって代われる部分は代わってもよいのではないかと思うことがあります。
それは伝統工芸などを見た時、年老いたおばあさんが身体を丸めて、指もカサカサになって、細かい作業をしているを見ると、なんだか申し訳なくなってしまうのです。
それなら誰にでもできるように機械化できるところは機械化して、値段も安くした方が、流通しやすいですよね。
着物が特殊なものであるほうが高級感があってよいと思う人もいると思いますが、
私は誰でも手にできて、気軽に着られるもののほうを選びたいですね。
もちろん工芸品の価値は認めますが。