その代わりに出かけたのは、ちょっとレアな関所跡▼でした。
新居関所跡を見学した後は、近くにある本陣を見学することにしました。
「旅籠紀伊国屋」という本陣跡がありました。
本陣というのは、参勤交代などで大名クラスの偉い人が泊まるところです。
玄関の入り口も大名が通るところと、お付きの人が通るところがあるくらい、きっちりと分かれていました。
この旅籠は、江戸時代には12の部屋があり、この辺りでは最大の規模だったそうです。
この宿がいつから営業を始めたかははっきりしていないそうですが、元禄16年(1703年)には、すでに紀州藩の御用宿となっていたそうです。
主は紀州の出身で、最初は茶屋を営業していて、その後、旅籠になったそうです。
新居宿には江戸時代には20数軒の旅籠がありましたが、中でも紀伊国屋は御用宿としての地位がありました。
下の地図のうち、オレンジ色のところは旅籠だったところです。
紀伊国屋は、ちょうど通りの真ん中に位置していました。
明治7年に大火がありましたが、その後、平屋から2階建てに建て替えられました。
その後、昭和30年代に廃業するまで、ずっと旅館業を続けたそうです。
江戸、明治、大正、昭和と多くの人が利用したのですね。
紀伊国屋名物だったウナギのかば焼きと、アサリの佃煮が展示されていました。
後ろの壺にはきっと秘伝のタレが入っていたのでしょうね。
お庭には水琴窟もあり、なかなか風情のある旅籠でした。
その後は舞坂の脇本陣▼に行ってみました。
新居と舞坂(駅名は舞阪)の間には弁天島があり、江戸時代は浜名湖を船で渡りましたが、現在は東海道線を利用するとこの二つの宿の間は10分くらいでしょうか。
舞坂宿は東海道五十三次の30番目の宿場となります。
浜名湖の東岸にあり、今は漁港があるところです。
現在の住所は浜松市西区になっています。
こちらも江戸時代には20数軒の旅籠があったそうです。
本陣は残っていませんでしたが、脇本陣が1軒だけ残っていました。
こちらがその脇本陣の入り口です。
本陣は大名クラスが泊まるところで、脇本陣はもう少し格下の人が利用するところです。
現在は周囲は普通の民家やお店になっていて、探すのに苦労しました。
こちらは入場無料でしたが、ガイドのおばさんが丁寧に案内してくださいました。
天保年間に建てられたそうで、当時は「茗荷屋」と呼ばれていたそうです。
入り口は間口が狭くてあまり目立ちませんでしたが、奥行きがとても深いところでした。
坪庭のようなところもあり、感じが良かったですね。
灯籠もあり、落ち着いた雰囲気でした。
ここにはいろいろな資料も保存されていて、古い建物が好きな人はとても楽しめるところだと思います。
舞阪駅の近くには旧東海道の松並木もありました。
700メートルも続いているのだとか。
写真は撮り損ねましたが、江戸時代の面影を残しているところでした。
このような町並みを保存しているのは「ふくろうの森委員会」▼というところです。
歴史や文化の継承に力を入れているのが、よく分かります。
(この項、続きます)
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