この関所跡は浜名湖の西岸にあり、現在は静岡県湖西市というところに位置しています。
昔は漢字の使い方があまりきちんとしていなかったようで、新居、新井、荒井などといろいろな表記がありました。
新居関は、広重の東海道五十三次にも描かれていた関所です。
ここは国指定特別史跡として、今も昔と変わらない姿を保っていました。
松の姿がなんともいえず風流ですね。
まずは隣接する関所資料館へ。
ここは撮影禁止でしたので写真はありませんが、とてもたくさんの歴史資料がきちんと保存・展示されていました。
この町の人たちのご苦労がしのばれました。
この建物は、現存する唯一の関所なのだとか。
ここができたのは1600年、ちょうど家康が江戸に幕府を開いた年に当たります。
家康は天下を統一した時、まずは交通路の整備に努めました。
江戸を中心に5つの街道を作り、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道を定めました。
各街道の要所には関所を設けました。
関所では、幕府から派遣された新居奉行が管理していたそうです。
関所を通行するには、通行許可書というべき手形が必要でした。
現在のパスポートやビザに当たるものでしょうね。
関所と言えば「入り鉄砲に出女」と言われるように、女性の通過はとても厳しかったそうです。
他にも乱心、囚人、死骸などはもちろん厳しく取り締まられました。
そして関所破りが見つかった場合には、重い刑が書されました。
建物内には、こんな人形がいました。
こちらは下調べをする役人。
こちらはその後の取り調べをする上級の役人。
着物の色が違いました。
新居関所は、江戸時代には今切関所と呼ばれていていました。
このあたりは元禄の高潮や宝永の地震による津波の被害が大きくて、関所の場所を2回、西へ移動したそうです。
その後、元禄15年以降は、吉田藩(現在の豊橋市)の城主がここの管理をしたそうです。
今はこのような印が残されています。
関所跡にいると、江戸時代にタイムスリップしたようなところで、時代小説ファンの私には参考になりました。
(この項、続きます)
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