2017年6月19日月曜日

横浜さんぽ 2.「麗しき東西交流」

横浜さんぽの続きです。

お洒落なイタリアンでランチをした▼後は、レストランの目の前にある横浜美術館▼に行きました。

展覧会の正式な名前は「ファッションアート 麗しき東西交流」でした。


これは、ざっくり言うと、幕末から明治維新、文明開化のころの日本のおしゃれな世界をまとめた展覧会でした。

入館料は着物割引があり、100円引きでした。

みなさま、思い思いのお着物で。


(私は、着物が裾広がりになってしまい、恥ずかしい!)

美術館のある「横浜みなとみらい」のあたりは、以前は造船所や埠頭があったところですが、それ以前の幕末の頃はまだ人も少なく、「横浜村」と呼ばれていた漁村だったと思います。
21世紀に入った頃から急激に発展して、今では近代的なビルが立ち並んでいます。


美術館のロビーには彫刻もたくさん展示されていました。


今回の展覧会の内容ですが、江戸幕府の末期、安政年間に横浜の港が開港され、世界から外国人が訪れ、そして彼らから影響を受けて日本文化の洋風化が始まりました。
しかしそれだけではなく、日本にあった文化もまた、西欧諸国にも影響を及ぼしていたのでした。
それはジャポニズムと呼ばれて、着物文化や美しい刺繍などがヨーロッパにも伝わったのでした。

着物からイメージされたガウンや室内着がたくさん並んでいました。
当時のヨーロッパの高貴な女性は、コルセットでお腹をきつくしめたドレスを着ていましたが、きもの式のドレスはゆったりとしていて、きっと彼女たちには着心地が良かったのだろうと思いました。

国内では明治天皇夫妻が、正式な服装を西欧風にしたため、その後の鹿鳴館文化も華やかなものになりました。

すごいなと思ったのは、昭憲皇太后が着用された裾の長いドレスです。
これは明治末期のもののようですが、裾は3~4メートルほどありました。
皇太后は割と小柄な方のようでしたので、これを着て歩くのは大変だっただろうなとも感心しました。


いつの時代にあっても、またどこに住む人であっても、美しいもの、豪華なものを愛する気持ちは同じなのだろうなと感じた展覧会でした。

それにしても、海外の文化や技術をすぐに取り入れて、それを発展させるのは、昔から日本人の特性だったのかもしれませんね。

この日は梅雨とは思えないほど良い天気で、美術館前の前にある池では、小さな子供たちが大勢、水遊びをしていました。
とても気持ちよさそうでしたよ。


(この項、続きます)

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