2018年12月14日金曜日

2018またまた彦根・長浜へ 7 埋木舎

旅行記の間隔がだいぶ空いてしまいましたが、「6」の多賀大社▼の続きです。

多賀大社からは1時間に1本の近江鉄道で、彦根に戻り、彦根城へ向かいました。
彦根城で一番行きたかったのは、お城のお濠の外にある「埋木舎」(うもれぎのや)です。
井伊直弼が若い頃住んでいたところです。


彼は1815年に井伊家11代藩主・直中の14男として生まれましたが、「捨扶持にて養われる庶子」でした。
「部屋住み」という存在でした。
藩主になる希望もなく、17歳から32歳までの15年間をここで過ごしたのでした。
そして自らを、「花の咲くことのない埋もれ木」に例えてここを「埋木舎」と名付けたのでした。


直弼はこの埋木舎において、学問や和歌、また茶道や書、禅、楽焼、武術、馬術、能などさまざまな修練をしていたそうです。


現代の感覚からいうと、かなり広々としたお屋敷でしたが、ここで直弼は悶々として過ごしていたのでしょうか。


また彼の親友であり、知恵袋であった長野主膳とは、この埋木舎で3日3晩、人生論を語り合ったともいわれています。
つまりここは直弼の青春時代を過ごしたところなのでした。


「奸婦にあらず」のヒロイン・たか女とも、この時代に知り合っています。
この屋敷で、学問や勉学に励んでいた若い直弼が、6歳年上のたかに魅かれたのも、分かるような気がしました。
埋木舎で、直弼と主膳、たか女の3人で語り合ったという場面もあったのかもしれませんね。

その後、直弼は32歳の時、世継ぎの兄が亡くなったため、彦根から江戸に出ることになりました。
そして幕府の中で活躍しますが、大老に就任して、日米修好通商条約の調印、安政の大獄を行い、46歳で桜田門外の変で死去してしまいます。

若い時の人生と、江戸に行ってからの人生は180度変わってしまったようです。

「奸婦にあらず」を読んでから、どうしても行ってみたかった埋木舎に行くことができて、満足しました。
若い時の直弼に惚れ込んだたか女ですが、彼が中年になって、政権の中心に上りつめ、そして正妻や側室をたくさん持つようになった男のこと、たか女はどう思ったのかしらね。
小説では最後まで愛していたということでしたが。

ここは、大河ドラマにもなった舟橋聖一の「花の生涯」でも有名なところです。
そちらの小説も読んでみたいですね。

「埋木舎」を後にして、彦根城の敷地内にある玄宮園まで足を伸ばしました。

(この項、続きます)

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