2018年12月31日月曜日

今年の旅行 2018 

2018年も終わろうとしています。
今年の旅行をざっと振り返ってみました。

京都に2回、東北も2回お邪魔しました。
孫と一緒に南紀白浜のアドベンチャーワールドに遊びに行ったり、時代小説の舞台をこの目で見るため彦根にも行きました。

おかげでいつも楽しい旅でした。
無事に戻ってこられるとホッとしていますね。

2018年1月 京都・伏見の旅
    ラッキーな旅▼


伏見の「月桂冠」でさとさんと一緒。


2018年3月 浜松・天竜の旅
    いとへんの町▼ 


浜松「いとへんの町」の会場で。


2018年4月 東北復興支援バスの旅
    コース▼ 


あの時の時計が止まったまま。


2018年4月 孫と一緒に南紀白浜
    アドベンチャーワールド▼ 


パンダさん、たくさん見ました。


2018年6月 梅雨どきの京都
    まとめ編▼ 


京都市内をあちこち歩きました。


2018年9月 東北ミステリーツアー
    ルート▼ 


このバスで東北を廻りました。


2018年11月 彦根・長浜の旅
    まとめ編▼ 


たそがれの琵琶湖


2019年も元気で、あちこち旅行することができますように。
そのためには、自分の足で歩けることが一番ですね。




2018年12月30日日曜日

大♥地図展@東洋文庫ミュージアム

私が「東洋文庫ミュージアム」▼の存在を知ったのは、12月初旬に、都内の紅葉見物バスツアーに行った時▼のことでした。
六義園に寄った際、自由散策時間があったので、周辺をぶらぶらと歩いていると、立派な建物を見つけました。
それが東洋文庫ミュージアムだったのでした。


何となく気になって近寄ってみるとアジアムードたっぷりの看板が出ていました。


そして地図の展覧会が開催中だということを知りました。
「伊能忠敬没後200年&歌川広重没後160年」▼というサブタイトルの、古地図と浮世絵の展示会ということでした。


詳しく検索してみると、12月23日には、伊能図を元に小説を書いた作家の講演会もあるというので、何としても参加してみたくて、もろもろの用事をキャンセルして駆けつけたのでした。

まずは展覧会のご紹介です。


日本で地図として一番古いものは、「行基図」というものだそうで、現存している最古の地図は14世紀のものだとか。

そして18世紀になると、石川流宣(とものぶ)という人の地図が登場します。
この人は元々は浮世絵の絵師だったそうです。
その後、長久保赤水が登場して、正確な地図を作成します。
この赤水の地図に関しては、こちらの展覧会の様子▼をご覧ください。
シーボルトが持ち帰った地図は、赤水のものもあったということです。
かなり正確に日本の地形を表していました。
ただし北海道はまだ存在していませんでした。

これは初期の関東地方の地図です。
富士山の登山道も詳しく描かれていました。


伊能忠敬測量隊の足跡。
初めに東日本に行き、後半は西日本に測量に出かけました。


展覧会には、日本各地の風景や名所、旅の様子をえがいた浮世絵もいろいろと展示されていました。
葛飾北斎も鳥瞰図のような地図を描いていたのには、驚きました。


このミュージアムにはあっと驚く書庫がありました。
「モリソン書庫」というものです。


東洋文庫の創設者の岩崎久彌(三菱の三代目)が、北京駐在のオーストラリア人モリソン博士から、東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子など約24,000点をまとめて買い取ったそうです。
今のお金に直すと、70億円ほどだったとか。


壁という壁が書籍で埋まっていました。
天井まで隙もありませんでした。
圧倒されました。


展覧会の後は、太田俊明さんの講演会に参加しました。
タイトルは「伊能図の小説的解釈」▼

伊能忠敬は今の千葉県の九十九里で生まれ、佐原で商人として家業を継ぎます。
その後、49歳で隠居して江戸に出て、地図作りに人生をささげた人です。
第1回測量の時は55歳で、これは今の年齢にすると78歳に相当するとか。
すごい人だったのですね。
当時の将軍は徳川家斉、そして葛飾北斎とはほぼ同時代を生きた人でした。
その頃は、ロシアやアメリカの船が日本近海に出没して、幕府は国防のために正確な地図を作る必要があった時代なのでした。

太田さんご自身も、伊能忠敬と同じように、大手の会社に勤め、そして中年になってから作家としてデビューされた方です。

伊能忠敬の生涯を辿り、そして彼の歩いた道を小説「一身二生」にされたときの取材旅行の苦労話などを語っていました。
ちなみに一身二生とは、一生に二つの人生を生きる、という意味の伊能忠敬の言葉だそうです。


私も伊能忠敬の人生はだいたいは知ってはいましたが、10回も測量をして、最後の遠征時にはなんと72才(今の年齢にすると100歳以上)だったとは驚きました。
気力・体力ともに充実した人だったのでしょうね。

彼自身の真の興味は「地球の大きさを知りたい」ということでしたが、それでは幕府の許可が下りないので、「地図作製」という名目を立てて測量を始めたのだそうです。
それが結果的には、地図のほうが目的となったということでした。

また伊能忠敬にとっては、年下の尊敬する天文学の師・高橋至時の存在は非常に大きく、また二人の奥さんもいたということも知りました。

彼の境地は「道楽から道心へ」ということだそうです。
好きなことだけをするのは道楽かもしれませんが、道心というのは悟りを開く、という意味でしょうか。
伊能忠敬は自分の知りたいことを追求していき、それが世のため人のためになったのでしょうね。

太田さんの講演を聞いて、是非とも伊能忠敬記念館▼に行ってみたいと思いました。

こちらはお土産に買ったガイドブック。
手ごろな大きさで持ち運びにも便利。
東洋文庫の若い学芸員さんの執筆によるものです。


東洋文庫ミュージアムではこのような講演会を定期的に開催していて、知的好奇心を求める多くの方が参加されています。

なお、上記の展覧会は2019年1月14日まで東洋文庫ミュージアムで開催中です。

2018年12月29日土曜日

オリエント・カフェ@東洋文庫ミュージアム

今年のことは、今年の記事にしておこう、と思いつつ、書き留めておきたいことがいろいろあって、なかなか今年中に終わりそうもありません。

という言い訳は後にして、先日、東洋文庫ミュージアム▼で伊能地図についての展覧会があったので、行ってきました。
その前に、ミュージアムに隣接する「オリエント・カフェ」▼というところでランチをいただきました。


「オリエント・カフェ」は小岩井農場が運営しています。
小岩井農場というのは、小野さん(日本鉄道会社副社長)、岩崎さん(三菱社長)、井上さん(鉄道庁長官)の三人の頭文字を取って、「小岩井」と名付けたそうです。

当時は岩崎弥之助(三菱の二代目)が社長でしたが、その後、岩崎久弥(三菱の三代目)が継ぎました。
その岩崎久弥さんが大正13年に設立したのが、この東洋文庫なのでした。

ふーん、そういうつながりがあったのですね。
そういうわけで、東洋文庫のミュージアムショツプには、小岩井クッキーなどがお土産品として売られていました。

「オリエント・カフェ」の入り口にある樹々はちょうど紅葉の季節でした。


赤、黄色、緑の植物の色と、建物の色のコントラストがとても美しいところでした。


こちらは、なんとも不思議な色合いの紅葉の葉っぱ。
銘仙の柄にありそうですね。


こういうの柄の帯があったら素敵だな、なんて眺めていました。


レストランの中には、バーカウンターや、ピアノが置いてあったりして、なかなかお洒落な雰囲気のレストランです。


「大人の休日」が過ごせるような落ち着いたところでした。


私はオムライスを選びました。
卵の中のご飯は、チキンライスではなくて、混ぜご飯のようにいろいろと具が入っていました。
ソースはあっさりとした感じ。


サラダとスープ、これにコーヒーが付いていました。


レストランの中から見えるお庭は、「シーボルトガーデン」というそうです。

不思議な動物の白い像がありました。
大理石なのでしょうか。
シンガポールのマーライオンのような、動物でした。


明治から大正にかけての大富豪というのは、たくさんの本を集めたり、農場を経営したりと、粋なことをしていたのだな、と思いましたよ。

この日は小雨がパラパラしていたので、着物はやめてジーンズで出かけましたが、こういう雰囲気のところなら、着物にすればよかったかなと、悔やまれたのでした。

こちらのレストランは、JR駒込駅から歩いて数分、六義園の近くになります。

「伊能図」については、また別の機会にご紹介する予定です。



2018年12月28日金曜日

邦楽ライブふたつ

このところ、続けて邦楽ライブに行ってきました。

一つは東日本橋で行われた野澤松也さんの義太夫のライブ。
このライブは、毎月一回、定例的に開かれていますが、今回は「日本橋きもの倶楽部」の会場「わなびば333」で開かれました。


会場にはすてきな着物が飾ってありました。


この日の演目に合わせて、お茶菓子は、忠臣蔵の特製和菓子でした。
一つひとつ、お話の内容に合わせた違ったお菓子で、どれにしようか、悩みました。


オープニングはクリスマスソング。
「赤鼻のトナカイ」は私も弾いた曲ですよ。


みなさん、赤いサンタの帽子をかぶって軽快に演奏していました。


次は笠地蔵のお話を元にした創作浄瑠璃「降積雪六笠地蔵」。
三味線2丁、琴、お囃子の合奏でした。
太鼓の音が、深い雪がシンシンと降る様子をよく表していました。


メインは「仮名手本忠臣蔵」の三段目 裏門の段でした。


スペシャルゲストの高丸えみりちゃんの語りの素晴らしかったこと。
凛としたお声で、きっぱりと語っていました。
紋付羽織がこんなに似合う女の子はいないでしょうね。


小学3年生にして、30分ほどある浄瑠璃をすべて暗記して、立派に舞台をつとめていました。

この後は、お馴染みの三味線解体ショーなどがありました。

じっくりと演奏を聞いていたかったのですが、この日は朝から財布を持たずに外出してしまい、現金もカードもなく、あるのはパスモに数百円だけ、というみじめな日でした。
それで演奏を聞いていても、あれこれと心配ごとが思い浮かんで来て、心ここにあらずでした。
幸い、財布は自宅に置き忘れていたので、ほっとしましたが。

この日の装い。
「クリスマスにちなんだ着物で」というので、派手なオレンジ色の着物にしました。
実はこれはハロウィン用に求めたのですが、10月末ごろはまだ暑くて、袷を着る気分になれなかったので、クリスマスの時期に着てみたのです。
帯は黒、帯揚げは緑、帯締めは赤というクリスマスカラーにしてみました。


かなり派手な着物でしたが、「おばさんでも大丈夫」と言われた着物です。

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もう一つは、世田谷の呉服屋さんで行われた「新内」のライブです。


こちらは「千代の会」のみなさんの熱演でした。


千代さんは、私が三味線を初めて間もない時、「歌謡三味線」というジャンルの三味線を教えていただいた先生です。

お弟子さんたちもとても芸達者で、三味線や太鼓を、時にはリズミカルに、時にはしっとりと演奏していました。

今回のメインの出し物は新内「お富さん」
春日八郎の歌謡曲「死んだはずだよ お富さん~」で有名ですが、お富さんの人間関係の解説があったので、へー、お富さんってこういう人だったのね、と良く分かりました。
プロジェクターでお富さんをレクチャーされているところです。
イラストもとても素敵でした。


「千代の会」のメンバーさんは、お客さんを喜ばすサービス精神に溢れていて、こんなダンスシーンもありましたよ。
腰をフリフリして、お富さんを踊ってくれました。
みんなノリノリになりましたよ。


「大江戸クイズ」というコーナーもありました。
クイズに正解した人は、キャンディーやチョコのお土産をいただきました。

他にも色っぽい新内や端唄、小唄などをたっぷりと聞かせていただきました。
楽しいライブでした。
ありがとうございました。

先の浄瑠璃ライブにしても、こちらの新内ライブにしても、お客様に親しんでいただくためにいろいろと工夫をされて、新しいことに挑戦されています。
邦楽は「昔ながらの伝統を守る」という傾向が強い世界ですが、それに接したことのない人の方が多いのですから、多くの人になじみやすいスタイルで邦楽を広めていただくのは、嬉しいですね。
私自身も端唄や小唄の違いもあまり良く分かりませんでしたが、千代さんに教えていただいて、あーそうだったのか、と思いました。

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会場の呉服屋さんでは、着物に合わせたクリスマス向けの生け花のディスプレイもありました。
これは友人のSさんたちが生けたものです。


豪華な赤の訪問着とよく合っていました。


この時の装いは、お富さんモードで、縞の着物にしました。


これは浜松に旅行に行った時に、リサイクル着物屋さんで見つけたものです。


この年になると、洋服では絶対に着ないような色のものでも、着物なら着られてしまう、というのは、楽しいですね。



2018年12月27日木曜日

幕末明治からのメッセージ@憲政記念館

先日、「憲政記念館」▼というところに行ってきました。
ここは、日本の議会開設80年にあたる昭和45年(1970年)を記念して、昭和47年(1972年)に開館されたところだそうです。


憲政記念館は国会議事堂のすぐ近くにありました。


こちらは国会議事堂。
ここへ来たのは小学校の社会科見学以来でしょうか。


議事堂の道を挟んだ斜め向こうに、すんなりとした時計台が見えますが、そこが憲政記念館です。


日本の議会政治に関する資料などを展示している施設です。

中庭には尾崎幸雄の銅像が立っていました。
この方、「憲政の神様」と呼ばれている方ですよね。
尾崎幸雄コーナーは充実しているようです。


館内には模擬の国会会議場があったり、資料もたくさん保存されています。
これは模型。


おまけに入館無料、フラッシュなしの写真撮影はほぼOKというのに、あまり知られていないようで勿体ないくらいです。
という私も、知りませんでしたが。

今回は、シリーズ特別企画展「幕末明治からのメッセージ」▼という、著名人の色紙や愛用品の展示があるというので、出かけてみました。


すごいお宝がたくさんありましたよ。


とにかく昔の人は字がうまい。
堂々とした字を書いていたのですね。

西郷隆盛


坂本龍馬


勝海舟

大久保利通


伊藤博文


最近の政治家の色紙もありましたが、昔の政治家に比べて、なんとなくスケールが小さいようでした。
歴代総理大臣の色紙がずらりとありましたが、ああ、こんな人もいたわね、という感じ。
ちょっと残念なのが、民主党の野田さん。
小学生のような文字でしたよ。


男性陣ばかりの中で、際立っていたのは、天璋院篤姫のお姿。
綺麗に描かれていますね。


こちらは昭和の記録ですが、私が子ども心に衝撃を受けた事件でした。
浅沼稲次郎が刺された場面です。


あれこれと資料がたくさんありました。
憲政史シアターでは伊藤博文の一生などを写していました。

こちらは、「立体ビジョン」コーナー。初めて議会に登院する議員たちの姿です。


最初の議員さんたちの顔がずらり。


こちらは模擬体験ができる国会議事堂。


本物と同じものです。


センセイ達、ここで居眠りなんぞしないで下さいよ。


本物の投票箱と、票。


子供向けのクイズ形式のコンピュータゲームなどもたくさんありましたが、誰も使っていなくて、税金の無駄遣いのように思いました。


誰が使うのでしょうね。


お庭もなかなか良かったですね。


皇居を見下ろすロケーションも良く、お濠がきれいに見えました。


意外な発見もありました。
憲政記念館のある場所は、かつては加藤清正が住み、そして井伊直弼の上屋敷だったそうです。
そして明治時代には参謀本部・陸軍省となったところだそうです。
戦後は衆議院の所管となり、尾崎幸雄記念館となり、そして憲政記念館となったそうです。


そしてまた「日本水準原点」という場所もありました。


こちらは「標庫」というそうですが、とても素敵な建物でしたよ。
明治24年(1891年)に建てられたそうです。


国会議事堂も見たし、先人の書も見られたし、なかなか有意義な社会科見学でした。


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この日の装い。

国会周辺に行くので、あまり妙な恰好ではおまわりさんに呼び止められるかも、と思い、まともな着物で出かけました。


久しぶりに手を通した小紋です。
だいぶ前に神楽坂のたんすやさんで、着物と帯セットで1万円で買ったモノ。
白い塩瀬の帯がついていましたが、それはすでに私の手元にはありません。
というのも、この着物とその帯の組み合わせだと、いかにも「ザ・昭和」という感じなのでした。

今回はBerry工房さんの木綿のレース帯にしました。


黒の道行を着て、超地味なおばさんスタイルでした。