もうだいぶ前のことになってしまいましたが、3月中旬に、去年の秋に新しくできた豊洲市場を見学してきました。
まだオープンして半年経っていない市場です。
メトロで豊洲駅まで行って、そこからゆりかもめに乗り換えて、豊洲市場前駅まで行きます。
豊洲市場駅周辺は、まだこんな感じで、全部は出来上がっていないように見えました。
ここが市場の入っているビルです。
歩道の下を眺めると、業者さんのトラックがたくさん並んでいました。
市場は、魚関係の棟と、青物関係の棟に分かれています。
まずはお魚の方に行きました。
こんな感じの長い廊下を歩きます。
ビルは5階建てですが、一般人が入れるところは限られています。
長い廊下には、魚の種類のポスターとか、
「手やり」のポスターなどがありました。
一度は乗ってみたかった「ターレ」です。
もちろん動きません。
こちらは1階の市場を、上の階の隙間から眺めたもの。
ここは魚市場の雰囲気がありました。
ここは一般人が買い物できるフロアです。
すごくたくさんのお店がありました。
「つま」ばかり売っている「つまや」さんとか、お店の提灯などを売っているお店とか、いろいろありました。
こちらは包丁屋を眺めているつれあい。
料理人なので、こういう店は気になるようです。
八百屋はちょっと気になりましたが、家まで持ち帰ることを考えると、重そうなのでやめました。
市場のキャラクター「イッチーノ」
あまり知られていないようですね。
ここは、昔の築地市場からの変遷などが展示されているところです。
こういう展示物にはお目にかかれますが、本物の魚には出会えませんでした。
上から眺めると、こんな感じでした。
もっと早い時間に来れば、せりも見られるのかもしれませんが。
今度は青果棟に行きました。
こちらも上から眺めるだけ。
活気があるのかないのか、あまり伝わってきませんでした。
豊洲市場はよく管理されているところで、衛生的にもきちんとしているところだと思いますが、築地とはまるで違う感じですね。
とにかくオフィスビルにいるようでした。
私はいつもは着物で草履ですが、この時は洋服で行きましたが、ずいぶん歩いたのでけっこう足が疲れました。
食事ができるところもありますが、かなり高額です。
寿司関係だと4000円くらいしたのではないかしら。
それに行列ができていて、
ということで、豊洲での食事は諦めて、ゆりかもめで新橋まで行き、そこでランチにしました。
会社員が行くような安い店で、生姜焼き定食。
なんのために豊洲まで行ったのか分かりませんね。
いつもテレビニュースで見ているところを実際に見てみたかったのですが、うーん、ゆりかもめの車内から外を眺めて東京見物をしている時が、いろいろな風景が見えて、面白いと思いました。
2019年3月31日日曜日
2019年3月30日土曜日
永岡慶之助「宮崎友禅斎」
図書館で借りた文庫本「江戸夢あかり 市井・人情小説傑作選」を読んでいたら、その中にとても面白い短編がありました。
永岡慶之助という人の「宮崎友禅斎」です。
この作家は、歴史小説家ですが、「小説・日本名匠伝」を書いていて、実在の人物の伝記モノが得意な方のようです。
さて、宮崎友禅斎といえば、友禅染めの創始者として有名ですが、詳しいことはあまり分かっていない人です。
元禄時代に活躍しましたが、生まれも京都という説があったり、金沢だという説もあります。
亡くなった場所も金沢という説もありますが、あまりはっきりしていません。
分かっていることは、それまで京都の知恩院前で扇面に絵を描いていたが、ある時から小袖の模様を描いて急に名声を博した人であるということ。
それで「友禅染め」という言葉が生まれたとか。
また元禄時代に「ひな形本」を刊行したことは有名です。
当時のデザイナーのような存在だったのでしょうか。
ただし、扇面のように紙に絵を描いていた人が、どうして急に布地に絵を描くようになったかは不明です。
永岡慶之助はその謎に目を付けて、彼なりの物語を作りだしました。
そこには、「梶女」という女性とのめぐり会いがあったというお話です。
梶女は元は祇園の茶屋の娘でしたが、美人で有名で、また和歌の名手でした。
友禅斎にとっては、理想の女性でした。
この2人の間はプラトニックだったようですが、小説では「定家葛の塚」(藤原定家と式子内親王との恋愛)での運命的な出会いがありました。
彼女の和歌集「梶の葉」には友禅斎の挿絵がありました。
その出会いによって、友禅斎の人生が変わったというお話です。
いずれにせよ、友禅斎と梶女の関係は想像の世界でしかありませんが、その二人の出会いにより、友禅斎が一介の扇絵職人から、「友禅染め」の発案者として後世に名を遺すまでになったという物語は、新鮮に感じました。
私は、こういう実在の人物の裏話のような小説が大好きです。
なお、永岡永岡慶之助は、会津生まれの人なので、会津藩の戊辰戦争については非常に強い思い入れをしている人です。
今は「戊辰の時代(会津戦争始末記)」というのを読んでいますが、これは小説ではないので、ちょっと読みづらい内容です。
永岡慶之助という人の「宮崎友禅斎」です。
この作家は、歴史小説家ですが、「小説・日本名匠伝」を書いていて、実在の人物の伝記モノが得意な方のようです。
さて、宮崎友禅斎といえば、友禅染めの創始者として有名ですが、詳しいことはあまり分かっていない人です。
元禄時代に活躍しましたが、生まれも京都という説があったり、金沢だという説もあります。
亡くなった場所も金沢という説もありますが、あまりはっきりしていません。
分かっていることは、それまで京都の知恩院前で扇面に絵を描いていたが、ある時から小袖の模様を描いて急に名声を博した人であるということ。
それで「友禅染め」という言葉が生まれたとか。
また元禄時代に「ひな形本」を刊行したことは有名です。
当時のデザイナーのような存在だったのでしょうか。
ただし、扇面のように紙に絵を描いていた人が、どうして急に布地に絵を描くようになったかは不明です。
永岡慶之助はその謎に目を付けて、彼なりの物語を作りだしました。
そこには、「梶女」という女性とのめぐり会いがあったというお話です。
梶女は元は祇園の茶屋の娘でしたが、美人で有名で、また和歌の名手でした。
友禅斎にとっては、理想の女性でした。
この2人の間はプラトニックだったようですが、小説では「定家葛の塚」(藤原定家と式子内親王との恋愛)での運命的な出会いがありました。
彼女の和歌集「梶の葉」には友禅斎の挿絵がありました。
その出会いによって、友禅斎の人生が変わったというお話です。
いずれにせよ、友禅斎と梶女の関係は想像の世界でしかありませんが、その二人の出会いにより、友禅斎が一介の扇絵職人から、「友禅染め」の発案者として後世に名を遺すまでになったという物語は、新鮮に感じました。
私は、こういう実在の人物の裏話のような小説が大好きです。
なお、永岡永岡慶之助は、会津生まれの人なので、会津藩の戊辰戦争については非常に強い思い入れをしている人です。
今は「戊辰の時代(会津戦争始末記)」というのを読んでいますが、これは小説ではないので、ちょっと読みづらい内容です。
2019年3月29日金曜日
2019年3月 ちょいと京都へ 8 土産
今回の京都旅行では、自分用のお土産は何一つ買いませんでした。
珍しいことです。
それでも帰りがけに、駅ビルで日本酒だけは買いました。
これは俳優の佐々木蔵之介さんの弟さんの「佐々木酒造」▼が作っているものですが、「聚楽第」は割と気に入っています。
もう一つは、丸ごとのすぐき。
みじん切りにしたすぐきはどこでも手に入りますが、丸ごとのは東京ではあまりないので、京都で求めます。
といっても季節によっては販売されていないのす。
すっぱくて、私はそれほどおいしいとは思わないのですが、家人の好物なのです。
それとお土産ではないのですが、一度は行ってみたいと思っていたお店に行くことができました。
四条の橋のたもとにあるこの古い建物。
「東華菜館」▼という北京料理のお店です。
日本最古というエレベーターがありました。
1924年にアメリカで作られたそうです。
自動運転ではなくて、運転手さんが操縦しますが、乗るとガタゴトと音がして、ちょいと心配になりました。
2階の席に行くと、目の前には、南座が見えました。
そうそう、前夜はここで玉三郎さんの舞台▼を見たのです。
(料理の写真は撮り忘れました)
2019年3月の京都旅行記、これにておしまいです。
また近いうちにお邪魔したいですね。
珍しいことです。
それでも帰りがけに、駅ビルで日本酒だけは買いました。
これは俳優の佐々木蔵之介さんの弟さんの「佐々木酒造」▼が作っているものですが、「聚楽第」は割と気に入っています。
もう一つは、丸ごとのすぐき。
みじん切りにしたすぐきはどこでも手に入りますが、丸ごとのは東京ではあまりないので、京都で求めます。
といっても季節によっては販売されていないのす。
すっぱくて、私はそれほどおいしいとは思わないのですが、家人の好物なのです。
それとお土産ではないのですが、一度は行ってみたいと思っていたお店に行くことができました。
四条の橋のたもとにあるこの古い建物。
「東華菜館」▼という北京料理のお店です。
日本最古というエレベーターがありました。
1924年にアメリカで作られたそうです。
自動運転ではなくて、運転手さんが操縦しますが、乗るとガタゴトと音がして、ちょいと心配になりました。
2階の席に行くと、目の前には、南座が見えました。
そうそう、前夜はここで玉三郎さんの舞台▼を見たのです。
(料理の写真は撮り忘れました)
2019年3月の京都旅行記、これにておしまいです。
また近いうちにお邪魔したいですね。
2019年3月28日木曜日
2019年3月 ちょいと京都へ 7 全部お菓子@鶴屋吉信
京都旅行の続きです。
着物友だちのKさんと出かけた京都ですが、しっとりとした雰囲気の老舗にも寄りました。
それは享和3年(1803年)創業の和菓子屋さん鶴屋吉信▼です。
店内に飾られているお花は全部、和菓子で制作されているのでした。
お花に見とれてボーっとしている私です。
籠に生けられている草花も、和菓子で作られていました。
お雛様のお供えも和菓子。
ほんとうに見事な職人の技でした。
飾り物だけではなく、もちろんいただけるものも、美味しかったですよ。
左上は普通のぜんざいですが、右下はこのお店特製の粟ぜんざい。
粟がもちもちしていて、またあんはねり餡で、そこに絡ませていただくのでした。
ここは2階でしたが、中庭も素敵でした。
お見合いの後の席にも良さそう、なんて思ってしまいました。
日本画家・上村淳之(松園のお孫さんです)の筆による杉戸絵も見事でした。
丹頂鶴が描かれていました。
そういえば、こちらのお店のロゴマークは鶴でしたね。
こんな見事な調度品のあるお店でしたが、そこで私はなんと繕い物をさせていただきました。
実は羽織の裏地がビリッと破れてしまったのです。
それでKさんの携帯用裁縫セットをお借りして、チクチク。
広いテーブルがちょうど良かったのです。
これが役に立ちました。
いつもは私も持参しているのですが、今回の旅行かばんには入れてなかったので、Kさんのセットで助かりました。
着物友だちのKさんと出かけた京都ですが、しっとりとした雰囲気の老舗にも寄りました。
それは享和3年(1803年)創業の和菓子屋さん鶴屋吉信▼です。
店内に飾られているお花は全部、和菓子で制作されているのでした。
お花に見とれてボーっとしている私です。
籠に生けられている草花も、和菓子で作られていました。
お雛様のお供えも和菓子。
ほんとうに見事な職人の技でした。
飾り物だけではなく、もちろんいただけるものも、美味しかったですよ。
左上は普通のぜんざいですが、右下はこのお店特製の粟ぜんざい。
粟がもちもちしていて、またあんはねり餡で、そこに絡ませていただくのでした。
ここは2階でしたが、中庭も素敵でした。
お見合いの後の席にも良さそう、なんて思ってしまいました。
日本画家・上村淳之(松園のお孫さんです)の筆による杉戸絵も見事でした。
丹頂鶴が描かれていました。
そういえば、こちらのお店のロゴマークは鶴でしたね。
こんな見事な調度品のあるお店でしたが、そこで私はなんと繕い物をさせていただきました。
実は羽織の裏地がビリッと破れてしまったのです。
それでKさんの携帯用裁縫セットをお借りして、チクチク。
広いテーブルがちょうど良かったのです。
これが役に立ちました。
いつもは私も持参しているのですが、今回の旅行かばんには入れてなかったので、Kさんのセットで助かりました。
2019年3月27日水曜日
渋谷で大人遊び
先日は、夕方から渋谷で大人遊びをしてきました。
まずは、西武デパートで開かれている「樹木希林 遊びをせんと生まれけん展」▼へ。
入り口には、「内田裕也さんのご冥福をお祈りします」という黒枠の張り紙が出ていました。
普通の展覧会とは異なり、撮影OKでしたので、気に入ったものを少し写してきました。
私にとっては樹木希林さんは、お若い頃のテレビでの老け役の印象が強いのですが、年を取ってからは映画出演が増えてきたのですね。
映画のコーナー。
私は希林さんの映画はあまり見ていませんが、「日日是好日」には、若い着物友だちも出演していたので、そのスチール写真を写してきました。「東京タワー」もよかったな。
ご家族と一緒のところや、素敵なご自宅も公開されていました。
こだわりのあるセンスの良い空間でした。
白洲正子さんの邸宅のような雰囲気でした。
愛用の車は、別館の1階に置かれていました。
着物や洋服。
ドレスも、昔の着物をリメイクしたものが多くありました。
デザイン画もありましたが、ご自身が気持ちよく着られるような工夫がたくさん描かれていました。
私が気に入ったのは、吉永小百合さんとのツーショットの写真です。
お二人とも同じくらいのお年だと思いますが、これで小百合さんが亡くなってしまったら、ほんとうに昭和はなくなってしまうだろうと痛感しました。
KILINワールドに溢れた展覧会でした。
*******
その後は、狂言を見るために、セルリアンタワー▼へ。
41階建ての超高層ビルです。
ここは東急のホテルが入っています。
ゴージャスな雰囲気でした。
少し早く到着したので、ロビーでのんびりしました。
大きなお花がとてもきれいで、少し早いお花見ができました。
能楽堂は地下にありました。
清潔感に溢れたところでした。
入り口までの犬矢来がとても美しくて、すっきりとしていました。
席は自由席でしたが、満席。
狂言ファンの方、多いのですね。
第1回「狂言やんや座」が始まりました。
まずは最初に舞台でご挨拶がありましたが、この段階で笑いが巻き起こりました。
というのもサブタイトルに「あぢむらの~」とありますが、これは『狂言の内容である「砂糖」「なす」「ネギ」の3種類の味にムラがあるという意味ではない』と説明されたからです。
「あぢむらの~」は枕言葉で、「騒ぐ」という意味をもつ、とのことでした。
最初は「附子(ぶす)」
これは有名な狂言ですね。
笑い転げました。
次は「那須」
那須与一のお話でした。
一人4役を熱演されていました。
最後は「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」
これにはまだ10歳という若いお弟子さんが登場しましたが、とても可愛らしかったです。うちの孫を思い出しました。
最後には3人が登場されてご挨拶。
これも珍しいことだそうです。
とても楽しくて、お客様もみなさん、大満足されたと思います。
野島さんと川野さんは狂言のご家庭ではない出身だそうですが、狂言にかける熱意がよく伝わってきました。
どれだけお稽古を積まれたことだろう、と思いました。
また師であるお父上の善竹十郎さん、お兄様、いとこ様との共演も息があっていて、さすがだと思いました。
会場の入り口では、足袋屋さんが出張販売をしていました。
私のような小さい足の足袋はなかなか売っていないのですが、さすがにありました。
お値段も格安で、ラッキーなお買い物ができました。
「皆中(かいちゅう)」▼という会社で、ネット販売もしています。
******
この日の装い。
「太郎冠者」のような格子の着物にしました。
狂言の時には、これを着て行きたいと、前々から考えていたのです。
ただし、実際の狂言では、もう少し大きめの格子の装束でしたが。
身幅のサイズが少し大きかったので、背中にシワが寄っています。
帯は、さとさんからいただいた博多織の帯。
まずは、西武デパートで開かれている「樹木希林 遊びをせんと生まれけん展」▼へ。
入り口には、「内田裕也さんのご冥福をお祈りします」という黒枠の張り紙が出ていました。
普通の展覧会とは異なり、撮影OKでしたので、気に入ったものを少し写してきました。
私にとっては樹木希林さんは、お若い頃のテレビでの老け役の印象が強いのですが、年を取ってからは映画出演が増えてきたのですね。
映画のコーナー。
私は希林さんの映画はあまり見ていませんが、「日日是好日」には、若い着物友だちも出演していたので、そのスチール写真を写してきました。「東京タワー」もよかったな。
ご家族と一緒のところや、素敵なご自宅も公開されていました。
こだわりのあるセンスの良い空間でした。
白洲正子さんの邸宅のような雰囲気でした。
愛用の車は、別館の1階に置かれていました。
着物や洋服。
ドレスも、昔の着物をリメイクしたものが多くありました。
デザイン画もありましたが、ご自身が気持ちよく着られるような工夫がたくさん描かれていました。
私が気に入ったのは、吉永小百合さんとのツーショットの写真です。
お二人とも同じくらいのお年だと思いますが、これで小百合さんが亡くなってしまったら、ほんとうに昭和はなくなってしまうだろうと痛感しました。
KILINワールドに溢れた展覧会でした。
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その後は、狂言を見るために、セルリアンタワー▼へ。
41階建ての超高層ビルです。
ここは東急のホテルが入っています。
ゴージャスな雰囲気でした。
少し早く到着したので、ロビーでのんびりしました。
大きなお花がとてもきれいで、少し早いお花見ができました。
能楽堂は地下にありました。
清潔感に溢れたところでした。
入り口までの犬矢来がとても美しくて、すっきりとしていました。
席は自由席でしたが、満席。
狂言ファンの方、多いのですね。
第1回「狂言やんや座」が始まりました。
「やんや座」は、「やんややんやの拍手喝采」というイメージで名付けたのでしょうね。
狂言のおうちの善竹大二郎さん、そして野島伸仁さん、川野誠一さんの3人がタックルを組んで打ちあげた「やんや座」の初演でした。
狂言のおうちの善竹大二郎さん、そして野島伸仁さん、川野誠一さんの3人がタックルを組んで打ちあげた「やんや座」の初演でした。
まずは最初に舞台でご挨拶がありましたが、この段階で笑いが巻き起こりました。
というのもサブタイトルに「あぢむらの~」とありますが、これは『狂言の内容である「砂糖」「なす」「ネギ」の3種類の味にムラがあるという意味ではない』と説明されたからです。
「あぢむらの~」は枕言葉で、「騒ぐ」という意味をもつ、とのことでした。
最初は「附子(ぶす)」
これは有名な狂言ですね。
笑い転げました。
次は「那須」
那須与一のお話でした。
一人4役を熱演されていました。
最後は「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」
これにはまだ10歳という若いお弟子さんが登場しましたが、とても可愛らしかったです。うちの孫を思い出しました。
最後には3人が登場されてご挨拶。
これも珍しいことだそうです。
とても楽しくて、お客様もみなさん、大満足されたと思います。
野島さんと川野さんは狂言のご家庭ではない出身だそうですが、狂言にかける熱意がよく伝わってきました。
どれだけお稽古を積まれたことだろう、と思いました。
また師であるお父上の善竹十郎さん、お兄様、いとこ様との共演も息があっていて、さすがだと思いました。
会場の入り口では、足袋屋さんが出張販売をしていました。
私のような小さい足の足袋はなかなか売っていないのですが、さすがにありました。
お値段も格安で、ラッキーなお買い物ができました。
「皆中(かいちゅう)」▼という会社で、ネット販売もしています。
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この日の装い。
「太郎冠者」のような格子の着物にしました。
狂言の時には、これを着て行きたいと、前々から考えていたのです。
ただし、実際の狂言では、もう少し大きめの格子の装束でしたが。
身幅のサイズが少し大きかったので、背中にシワが寄っています。
帯は、さとさんからいただいた博多織の帯。