だいぶ時間が過ぎてしまいましたが、続きを書くことにします。
三島に行ったら、是非、韮山反射炉に行ってみたいと思っていました。
なにしろ、世界遺産ですから。
それで三島から伊豆箱根鉄道に乗って出かけたのですが、反射炉は韮山にあるものだと思い込んで、切符は韮山往復にしてしまいました。
ところが、韮山反射炉というのは、韮山駅の次の伊豆長岡駅で降りないとならなかったのです。
駅員さんに事情を話して、追加料金を払いましたが、
「本来は、往復切符を払い戻してからでないとダメなんですよ」と注意されてしまいました。
ごめんなさい。
初めから失敗してしまいました。
伊豆長岡駅のプラットホームです。
韮山反射炉のPRだらけでした。
ということで、こちらが伊豆長岡駅です。
とても小さな駅で、コンビニのほうが目立ちますね。
伊豆長岡駅から反射炉までは、土日などはバスが出ているのですが、私が行った日は運休日でした。
それでタクシーで行こうかとも思いましたが、20分ほどなら歩いてもたいしたことがない、と思ったのが間違いでした。
なんの変哲もない道をひたすらまっすぐ歩きましたが、遠かったですね。
上の写真は駅の近くの風景なので、まだ建物がありますが、少し行くと何もない土地で、日差しはきつくて、そこを着物姿で日傘のおばさんが歩いているのは、さぞ妙な風景だったでしょう。
反射炉までの道のりでは、人や車にはほとんど出会いませんでした。
ほんとうにこの道で良いのかと不安になりましたが、「蛭ヶ小島」という出ていたので、
ここが頼朝さんの流刑地かと、ちょっと歴史の重みを感じました。
ようやく遠くに反射炉の建物が見えて、一安心。
こんな顔出しもありましたが、一人では写してくれる人も見当たらず、残念。
まずは下の建物の中で、反射炉についてのレクチャーがありました。
ここには、大砲の設計図や資料がたくさん保存されていました。
韮山反射炉は、「明治日本の産業革命遺産」ということで2015年に世界文化遺産に登録されました。
19世紀半ばから20世紀初頭にかけては、幕末から明治に当たりますが、日本が工業国となる土台を築いた時代でした。
製鉄、鉄鋼、造船、石炭産業などの重工業において、飛躍的な発展がありました。
その歩みは、西欧の技術を取り入れることでしたが、オランダ語の辞書を片手に、一単語ずつ翻訳して、試行錯誤しながら学んだのでした。
たとえば「レンガ」という言葉も、昔の日本語にはなく、「焼いた石」のように訳されていたそうです。
1840年ごろから、日本では世界の列強に対抗するため、軍事力の強化が課題となりました。
薩摩藩や佐賀藩などでは、西洋の先進的な技術が導入されました。
江戸幕府も韮山の代官・江川太郎左衛門(英龍)などを中心に、近代的な軍事技術の導入が進められました。
そして鉄の大砲を鋳造するために必要とされたのが、反射炉でした。
どうして「反射炉」と呼ばれたかというと、炉のドーム型の天井に反射させて、1300℃以上の高熱で鉄を溶かしたため、反射炉と呼ばれたそうです。
レクチャーの後は外へ出て、今度はボランティアガイドさんの説明を聞きました。
反射炉は2本あり、高さは約15.7メートルです。
(鎌倉の大仏より高いそうです)
とても上手に説明していただきました。
反射炉は初めは下田市で工事が着工されてそうですが、ペリー軍隊の水兵が敷地内に侵入したため、山の中にある韮山に移されたそうです。
反射炉の建設はなかなか予定通りに進まず、江川太郎左衛門は安政2年(1855年)に亡くなってしまい、彼の息子の時、安政4年(1857年)になって完成されました。
この大砲は、品川にあるお台場まで運ばれて、試運転をしたそうです。
江戸までどうやって運んだのだろうかと、思いました。
その後、約150年に渡り、この反射炉は地域の人の協力により、現在まで保存されています。
かつては日本には11の反射炉があったそうですが、現存されているのは、この反射炉だけです。
下の写真にある外部の補強は、昭和60年に竹中工務店によって工事が行われたときに、このようになりました。
反射炉を背景に、記念に写真を写してもらいました。
とても大きいので、全部は入りませんね。
お土産屋では「本邦初のパン」が売られていました。
江川さんが長崎でパン作りを知ったそうです。
一つ買ってみましたが、はっきり言って固くて、美味しくありませんでした。
当時の武士は、これを携行食としていたそうですが、飲み物がないとボソボソして、食べられませんね。
こんなお花も飾られていました。
額のようになっていて、なかなか良いアイディアでした。
反射炉の少し上の方に、展望台がありました。
晴れていると、富士山と反射炉がこのように見えるのだそうです。
周囲はすべて茶畑です。
緑がとても美しい風景でした。
韮山反射炉見学に満足しました。
私は歴史上の実在の人物を描いた歴史小説が好きなのですが、江川さんが主人公になった小説はないものだろうか、と思っています。
帰りの鉄道は、こういうアニメ鉄道でした。
三島や沼津はアニメが非常に人気があるそうで、沼津にはアニメの聖地と呼ばれるところもあるそうです。
今の若者には、反射炉よりもアニメの方が人気があるそうですね。
翌日、反射炉弁当をお土産に買って帰りました。
ちまちまと詰め合わされた、きれいなお弁当でした。
それぞれの献立は、大砲に見立てたものや、レンガに見立てたものだそうです。
黒米ごはんや、梅ご飯は、反射炉のドーム型をしていました。
また、それぞれの材料は、伊豆の食材を使ったものだそうで、美味しかったですよ。
(この項、続きます)
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