前にもブログに書きましたが、私が三味線を始めたきっかけは、母をグループホームに入れた後、母の部屋の整理をしていたら三味線が見つかったことからでした。
その三味線は、皮が破れていて使いものにならないように見えました。
ところが、FM放送の番組でゲスト出演された地元の和楽器屋さんに相談したところ、ちゃんと直していただきました。
そしてその三味線でお稽古をするようになった、といういきさつがあるのです。
母は家にいたときは、いつもあちこちが痛いと言って不機嫌な様子でしたが、ホームに入ってからは、すっかりと穏やかになり、スタッフの皆様とも仲良く暮らしています。
もうすっかり記憶がなくなり、1分前に話したことも覚えていませんが、なんとか生きています。
政智先生から、ボランティアで演奏をしましょうというお話をいただいたとき、母やホームのスタッフの皆様に、なんとか恩返しができるのではないかと思い、是非、やってみたいと思うようになりました。
そして今回、先生と仲間たちと、演奏をすることになりました。
演奏の内容は先生が考えていただき、曲のアレンジをして下さいました。
前半は、古典の曲、
後半は、年配の人でも知っている懐かしい曲を演奏することになりました。
当日は、仲間のみなさんと車に三味線を積んで、ホームに到着。
お仲間のIさん手づくりの、立派な金屏風を設置しました。
ホールには、お年寄りが20人ほど集まって下さいました。
まずは、ご挨拶をさせていただきました。
そして全員で、「越後獅子」でスタートしました。
その後は、Iさんの独奏でした。
粋なお声で、「お江戸日本橋」と「奴さん」を歌いながら弾いて下さいました。
私たちも、「はぁこりゃこりゃ」などと掛け声をかけました。
そしてまたみんなで「松の緑」の「前引き」の演奏。
スタッフの方は、カメラで私たち一人ひとりを撮影してくださいました。
ここでは、母の位置からみた私の演奏姿を載せておきます。
(こちらの写真は、現代の曲を、歌いながら演奏しているところです)
その後は先生の独奏で「勧進帳」から「瀧流し」。
素晴らしい演奏に、みなさん、聞き入っていました。
後半は、雰囲気を変えて、「花は咲く」を歌いながら演奏しました。
そしてお年寄りもご存じの曲を弾きました。
「かごめ かごめ」
「あんたかがどこさ」
「手をたたきましょう」
最後は「幸せなら手を叩こう」でした。
おばあさんたちも、一緒に手を叩いたり、足で床を鳴らしたりしていただきました。
演奏の後、感想を述べていただきましたが、とても楽しかったとのこと。
そしてあるおばあさんが、
「私も昔は三味線を習っていたけれど、空襲で三味線も焼けてしまった」というお話を聞いた時には、やはり平和な時間が大切なのだと思いました。
ホームのスタッフのみなさんには写真を撮っていただいたり、お世話になりました。
帰る前に、母のところに行きましたが、
「私が三味線を弾いていたのよ」と言っても
「ふーん、そうかね」と言うばかり。
すでに記憶の彼方へ行ってしまったようです。
私たちは、それから場所を移して、お茶を飲みながら反省会をしました。
今回の演奏のために、みんなで練習したのは1回だけでしたが、先生からは、その割にはみんな揃ってうまく弾けたと、褒めていただきました。
お揃いの赤いポロシャツに、白のスカート・パンツというのも、良かったですね。
よい体験をさせていただきました。
ホームの皆さん、先生や仲間のみなさま、どうもありがとうございました。
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