(旅行記が飛び飛びになって、失礼します)
さて私が旅行をするときは、朝、起きた後に、ふらりとホテルの周囲をお散歩するのが習慣となっています。
団体旅行だと、それが自由にできないので、団体旅行は好きでないのです。
今回の松阪でも、朝食を取った後に、ちょっとお散歩をしてみました。
この時間帯は、まだ着物ではないので、パンツ姿の私がホテルのガラス扉に写り込んでいます。
このホテルは駅のすぐ近くにあり、近隣には商店もありましたが、古いお寺もありました。
ちょっと覗いてみました。
「継松寺(けいしょうじ)」というお寺でした。
日本最初の厄除け観音のお寺だそうです。
左下に、東京の展覧会「奇想の系譜展」▼で見た絵が描かれているのに気が付きました。
曽我蕭白の「雪山童子」です。
こちらは、その展覧会のパンフレットに使われたものです。
右上に同じ絵画が見られますね。
それでこちらのお寺で、もう一度、この絵画を鑑賞したいものだと思いました。
ちょうどお寺の人が朝の清掃をしていたので、この蕭白の絵画を見たいと声をかけてみました。
すると、「この絵画は現在は、松阪市文化財センターに展示のため貸出してある」とのこと。
ちょっと残念に思いましたが、その場所はそれほど遠いところでもないというのでした。
この日は、松阪城址に行く予定でしたが、予定を変更して蕭白の絵を見に行くことにしました。
それでいったんホテルに戻り、着物に着替えて、文化財センターまで。
場所は松阪城跡のすぐ近くのようなので、歩いて行きました。
阪内川という川沿いに歩きましたが、地図で見ると近そうでしたが、実際は大違いで、歩いても歩いても到着しませんでした。
それでも暖かい日でしたので、テクテクと気持ちよく歩けました。
ようやく「松阪市文化財センター」に辿り着きました。
このレンガの建物は、かつては鐘淵紡績の工場だったそうです。
鐘紡は、大正12年(1923年)にここで綿糸の生産を始めました。
とても広い敷地ですので、たくさんの従業員もいたのかもしれません。
太平洋戦争中には、この工場は国の要請により航空機を作る工場になり、そして戦後になり、カネボウの工場に戻りました。
その後は繊維産業の不況になったため、平成5年(1993年)には操業を停止して、そして松阪市の文化財センターと変身をしたところなのでした。
赤レンガの倉庫がとても素敵なところでした。
私はちょっと顔がむくんでいたので、隠していますが、とても良い雰囲気のところでした。
昔の銘仙着物なら似合ったところかもしれません。
あいにくと東レシルックで、残念でしたが。
そしてこの文化財センター内にある「はにわ館」というギャラリーで、蕭白の絵画展をしていたのです。
曽我蕭白は、江戸時代中期の画家です。
生まれは京都という説がありますが、はっきりしていません。
分かっていることは、蕭白は松阪とは縁が深く、2回以上、松阪に訪れているそうです。
展示場の絵画は撮影禁止でしたが、こちらはタペストリーとしてロビーの壁に飾られていました。
この絵画は、三重県指定有形文化財とのことでした。
他にも、唐獅子を描いたもの、中国の衣装をまとった人たちを描いたもの、松阪牛を描いたものなど、たくさん展示されていました。
なんという不思議なご縁だったでしょうね。
上野で見た蕭白の絵に、旅の途中の松阪で再会できたのですから。
嬉しかったですね。
おまけの発見です。
それは松阪市は近くに宝塚古墳というのがあり、ここには船の形をした埴輪があるのでした。
こんな形の「船形埴輪」を見たのは初めてです。
学術的にもとても貴重なものだそうです。
文化財センターの庭には、たくさんの埴輪の模型が置かれていました。
私は松坂市については、商人の地であるという印象が強かったのですが、とても古くからの文化的歴史もあるところだということを新発見しました。
偶然の結果とはいえ、収穫のあった一日でした。
この後、松阪城跡に行きましたですが、そこでも面白い話を聞くことができました。
旅行は、自分の足で歩いてこそ、意外な発見があるのだと、つくづく思ったのでした。
(この項、もう少し続きます)
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