ぼちぼちと思い出したように綴っている「思い出の絵葉書シリーズ」です。
3回目は、江戸時代初期の絵師・土佐光起が描いた紫式部像の絵葉書を取り上げてみます。
文机に向かって、源氏物語を執筆中の紫式部さんの姿が描かれています。
ちょっと休憩中のところかしら。
石山寺に行った時に購入した絵葉書です。
これを描いた土佐光起という人は、元和3年10月23日(1617年11月21日)に生まれ、元禄4年9月25日(1691年11月14日)に亡くなっています。
生まれは現在の堺市、74歳まで生きたというと、当時としては長寿の部類に入るのでしょうね。
「宮廷の絵所預に任じられて土佐家を再興。細密な用筆と巧緻な彩色で古典的題材や花鳥を描いたが、江戸時代初期の趣向に合せ、探幽ら狩野派の画法を取入れたため、従来のやまと絵の伝統性は次第に失われ、形式化、装飾化が進んだ。」という説明がありましたが、土佐派の画風に狩野派の画風をプラスしたので、伝統的でなくなった、ということでしょうか。
当時は狩野派が主流だったようですから、影響は大きかったのでしょうね。
江戸時代の人にとって、源氏物語や紫式部は、どんな存在だったのでしょうね。
滋賀県大津にある石山寺は、2008年4月に行ったのですが、その時の旅行ブログは今とは違うところにアップしていたのですが、それが見えなくなってしまっていました。
石山寺の写真だけは残っているので、その頃の思い出を、こちらにアップしておきます。
石山寺は、とても大きくて立派なお寺でした。
ちょうど「源氏物語千年紀」ということで、日本中でいろいろな催しが開かれていました。
こちらの看板も、土佐光起の絵画を利用したものですね。
紫式部のお人形さんがいたところ。
桜が美しい季節でした。
もうあれから12年も経ってしまったのですね。
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「一日一句」
石山寺若紫は今いずこ
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