2023年2月9日木曜日

【二ヶ領用水13】溝の口〜武蔵中原へ その3(二子坂戸緑道と石碑)

ブログの順番がバラバラになってしまい、すいません。

今回の内容は、2月6日のブログの続きになります。

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二ヶ領用水を溝の口駅近くにある大石橋から歩き、二子塚橋まで来ました。

ここから先は、2つのルートがあります。

一つはこのまま用水をまっすぐに歩く方法。

もう一つは旧二ヶ領用水だった「二子坂戸緑道」を歩く方法です。

地図で見ると上の直線コースと、下の曲線コースが良く分かりますね。

黒い直線とピンクの曲線です。

なぜ2つあるかというと、これは江戸時代に作られたもともとの二ヶ領用水の曲線コースを、昭和16年に直線コースに作り替えたのでした。

理由はよく分かりませんが、久地の円筒分水でも分かるように、このあたりは水の分配方式でずいぶんと騒動があったところです。それで直線にして、騒動が起こらないようにしたのかしら。

その工事が行われた昭和16年というのは、円筒分水が完成したのと同じ年です。ということは、そちらの工事のついでに、直線に変更する工事もやってしまったのでしょうか。

なお昭和16年といえば、太平洋戦争が12月8日に開戦した年ですので、世の中はかなり騒然とした年だったのかもしれません。そのような時に、用水を直線化させる工事を行ったというのは、この川崎あたりはあまり戦争の影響は少なかったのでしょうか。

分からないことが多いですね。

そして現在では旧用水は緑道となっていますが、あまりお金をかけて管理されていないようで、それほどおすすめする緑道ではないように思いました。

ただし冬の時期に歩いたのでそのように感じたのかもしれません。春や秋には良い雰囲気の緑道かもしれません。

緑道を抜けて、振り返って見ると、直線と曲線の差がよくわかりました。

くねくねの旧コース。


まっすぐな現在の二ヶ領用水。両岸にはしだれ桜の木がありました。満開になったら美しそうです。


この2つが交わるところにある「境橋」。

亀の絵がカワイイ橋でした。


鯉だかフナだかも泳いでいますね。

そしてここには「石橋供養塔」がありました。


寛政5年(1793年)、それまで木の橋が架けられていましたが、石橋に架け替えられました。土地の荻島利佐エ門という人が発願したそうです。石橋が完成した時にこの供養塔が建てられたようです。
「国土安全」という文字が見えます。


このあたりの村内には日蓮宗と真言宗の信徒がいたため、供養塔には「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」の文字が刻まれています。

坂戸橋改築の碑が後ろにありました。このあたりには昔は旧平瀬川が流れていたようです。「坂戸橋」と「境橋」は同じものなのかな。

江戸時代の名残りを感じさせる石碑でした。

この後も、橋がどんどん続きます。またの機会に報告しますね。

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「一日一句」

春となり 江戸の名残りを 懐かしむ


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