ブログの順番がバラバラになってしまい、すいません。
今回の内容は、2月6日のブログの続きになります。
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二ヶ領用水を溝の口駅近くにある大石橋から歩き、二子塚橋まで来ました。
ここから先は、2つのルートがあります。
一つはこのまま用水をまっすぐに歩く方法。
もう一つは旧二ヶ領用水だった「二子坂戸緑道」を歩く方法です。
地図で見ると上の直線コースと、下の曲線コースが良く分かりますね。
黒い直線とピンクの曲線です。
なぜ2つあるかというと、これは江戸時代に作られたもともとの二ヶ領用水の曲線コースを、昭和16年に直線コースに作り替えたのでした。
理由はよく分かりませんが、久地の円筒分水でも分かるように、このあたりは水の分配方式でずいぶんと騒動があったところです。それで直線にして、騒動が起こらないようにしたのかしら。
その工事が行われた昭和16年というのは、円筒分水が完成したのと同じ年です。ということは、そちらの工事のついでに、直線に変更する工事もやってしまったのでしょうか。
なお昭和16年といえば、太平洋戦争が12月8日に開戦した年ですので、世の中はかなり騒然とした年だったのかもしれません。そのような時に、用水を直線化させる工事を行ったというのは、この川崎あたりはあまり戦争の影響は少なかったのでしょうか。
分からないことが多いですね。
そして現在では旧用水は緑道となっていますが、あまりお金をかけて管理されていないようで、それほどおすすめする緑道ではないように思いました。
ただし冬の時期に歩いたのでそのように感じたのかもしれません。春や秋には良い雰囲気の緑道かもしれません。
緑道を抜けて、振り返って見ると、直線と曲線の差がよくわかりました。
くねくねの旧コース。
寛政5年(1793年)、それまで木の橋が架けられていましたが、石橋に架け替えられました。土地の荻島利佐エ門という人が発願したそうです。石橋が完成した時にこの供養塔が建てられたようです。
「国土安全」という文字が見えます。
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