2021年4月30日金曜日

玉川上水を歩く その13(独歩橋~小金井橋)

今回の玉川上水ウォークは、東京に緊急事態宣言が発令される以前に実施されたものです。

歩いたルートは「玉川上水を歩く 11」▼で確認できます。中央線の三鷹駅から武蔵小金井の文字があるところまでです。

さて玉川上水は、昔から多くの文人に愛されていました。

中でも明治の小説家である国木田独歩は、玉川上水とはとても縁が深い関係がありました。彼の「武蔵野」という作品には、玉川上水付近を散策した様子が描かれています。

こちらは独歩の文学碑です。

また独歩橋という名の橋もありました。

その先には「境水衛所」の跡がありました。

江戸時代に作られた施設ですが、そこには<水番人>という人がいて、玉川上水の水量を確認したり、流れてくる落ち葉の掃除などをしていたそうです。

ここは、明治維新以降は、東京市水道部が管理することになりましたが、ずっと後の昭和55年に廃止されたそうです。

ところで玉川上水は、ほぼ五日市街道と並行して走っています。


街道沿いには、うどん屋さん、お寿司屋さん、焼肉屋さん、ファミレスなど食べ物屋さんばかりが並んでいる地域がありました。

こちらは新橋の近くです。まだツツジがきれいに咲いていました。というか、今年は花の開花時期が早すぎますよね。本来ならツツジは連休の頃に咲く花だと思いますが。

玉川上水の水は、ところにより、とても水量が多いところもありました。覗くとちょっと引きこまれそうになりました。

この辺りの上水は、本当にまっすぐで、遠くが見渡せる素敵な場所でした。

またこのあたりの道はきちんと整備されています。両側に桜並木がずっと続いていて、桜のシーズンはさぞ美しいだろうと思いました。並木のフェンスには、桜の花や花びらをかたどった飾りが付けられていて、可愛らしい雰囲気になっていました。

「名勝 小金井櫻」という石碑も建てられていました。

ようやく小金井橋まで辿り着きました。

こちらは歌川広重が描いたこの辺りの風景です。桜の向こうには富士山が見えていますね。

小さなお社もありました。

小金井橋で左折して、そこのバス停からバスに乗り、JR武蔵小金井駅に行き、この日の日程は終了しました。三鷹から小金井橋までおよそ5.1キロ、約14,000歩くらい歩いたと思います。

Nさんとはここでお別れ。一緒に歩いていただき、ありがとうございました。また機会があればご一緒したいですね。

武蔵小金井はとても変化していて、かつて駅前にあった西友ストアはなくなり、南口にはかっこいいビルが立ち並んでいました。

≪2021年4月23日≫

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「一日一句」

風光る 上水の道 まだ続く



2021年4月29日木曜日

玉川上水を歩く その12 周りの風景(三鷹駅~境浄水場)

今回の玉川上水ウォークは、東京に緊急事態宣言が発令される以前に実施されたものです。

今日のブログは、「玉川上水を歩く その11」▼と同じルートの内容ですが、ここでは出会った風景や、お友達について紹介します。

さてJR三鷹駅から西へ向かいました。出発したところは、ちょっとした和風庭園のような風情のあるところでした。


上水の道の構造は、まず普通の自動車が通る舗装された道があり、その隣には一段高くなった草が生えている境目の道があり、その隣には土と細かい砂利を敷き詰めた道があり、そのまた隣には樹々が生えていて、そしてその隣には玉川上水の水が流れている、という何層にもなっていました。下の写真は、歩く人のための土と砂利でできた道です。


こんな感じの道が、ずーっとまっすぐに続いていました。
どんな方向音痴の人でも、間違えるはずのないストレートな道でした。

途中、いくつもの公園を右手に見て、通り過ぎました。保育園の子供たちが楽しそうに遊んでいました。
こちらは西久保公園。

いくつもの橋を通過しましたが、詳しい説明がある橋もありました。

上の写真は「大橋」という橋ですが、「大」は深大寺の「大」からとったとも言われているそうです。というのも、この道を南に行くと、調布に到着します。それで「大橋」という説もあるとのことです。

また調布にある深大寺には、元三大師▼が祀られていますが、そのためこの道は「大師道」とも呼ばれた、と書かれていました。玉川上水に来て、地元・調布のことが書かれている看板を発見して、少し嬉しく思いました。

しばらく歩いていくと、とても広大な浄水場がありました。東京ドームの何倍か、というくらい広々としたところでした。


境浄水場でした。

現在は工事中でしたが、正式に申し込みをすれば、中を見学することも可能なようでした。

そういえば、私が小学生の頃、新宿にあった淀橋浄水場を見学したことを思い出しました。今では高層ビル群になっている場所です。

ところで、のんびりと歩いていると、どこからもなく私の名前を呼ぶ声が聞こえました。

えっ、こんなところで私のことを知っている人がいるなんて?

空耳かしらと思ってキョロキョロしていると、向こうから自転車に乗ってくる人が、自転車から降りて、私たちの方へ歩いてきたのです。

なんと、この近くに住んでいる着物友だちのTさんでした。吉祥寺までお買い物に行く途中だったそうです。

まさか玉川上水でそんな出会いがあるとは!

コロナ禍のため、ずっとお会いできなかったのですが、ひょんなことでお会いできました。

一緒に記念撮影です。


お話できて、楽しかったですね!
コロナが終息したら、また一緒に着物でお出かけしましょう、と挨拶をして、左右に分かれたのでした。

この道を左折すると、JR武蔵境の駅に着きます。最初の予定ではそこまでにしようかとも思っていたのですが、まだまだ気楽に歩けるので、もう少し進むことにしました。

≪2021年4月23日≫

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「一日一句」

春日傘 嬉しい出会い 上水路



2021年4月28日水曜日

玉川上水を歩く その11 18の橋制覇(三鷹駅~小金井橋)

今回の玉川上水ウォークは、東京に緊急事態宣言が発令される以前に実施されたものです。

「玉川上水を歩く その10」▼の続きになります。

これまで住まいに近い京王線沿線や、井の頭線沿線を歩き、ようやくJR中央線の三鷹駅まで到着しました。

この一連の記録をfacebookでも知らせたところ、ご覧になった方から、一緒に歩きたいというお申し出がありました。

中央線沿線にお住いの着物友だちのNさんからでした。一緒に歩いていただけるのは心強いので、三鷹駅で待ち合せて、ご一緒することにしました。

私は三鷹は駅の周辺は何回か来たことがありますが、その先はまるで未踏の地です。ですから、このあたりにお住いの方が同伴されるというので、心強くなりました。

Nさんは、今回のルート周辺は、自転車でよく通っているということです。また、息子さんが小学生の時、社会科の時間に玉川上水のことを習ったので、関心があったということです。そういう方とご一緒できたのは、ラッキーでした。

デニム着物に、更紗の名古屋帯というかっこいい着姿でした。


さて、三鷹駅北口を出て、左の方へ向かいました。
最初の橋は欅橋です。駅の続きのような場所にありました。知らないと、ちょっと見過ごししてしまう場所かもしれません。

その先に大きな交差点がありましたが、そこにはぎんなん橋と、いちょう橋がかかっていました。


ぎんなんも、いちょうも、漢字で書くと、どちらも「銀杏」となりますね。

この先はたくさんの橋がありましたので、まずはまとめて橋のご紹介をしてみましょう。

東から西へ向かって、松美橋、桜橋、独歩橋、うど橋、境橋、もみじ橋、くぬぎ橋、曙橋、新橋、梶野橋、関野橋、平右衛門橋、新小金井橋、陣屋橋、そしてこの日の終点の小金井橋です。

三鷹駅からは18もありました。古い橋、新しい橋、木の橋、鉄の橋などさまざまでした。


(写真では桜橋の位置を間違えてしまいました)

地図で確認すると、だいたい以下の位置まで到達しました。
かなり進んできましたね。


次回は、このルートでの楽しい出会いについてご紹介します。

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この日の装い。

外歩きにはやはりポリ着物です。これはちょっと上等なポリなので、単衣ですが、厚手で、しっかりしています。


帯は木綿の帯です。芯が入っていないので、軽くて、歩いても楽ちんです。


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「一日一句」

若葉燃え 更紗の帯で 軽やかに



2021年4月27日火曜日

玉川上水を歩く その10 緑道の風景七変化(三鷹台~三鷹)

今回のレポートですが、歩いた個所は「玉川上水を歩く その9」▼と同じ場所になります。緊急事態宣言が発令される前に散策しました。

この緑道は、いろいろな顔を持っていました。単に緑が多い道というだけではなく、いろいろな風景が次々に変化して現れ、歩いていても飽きない緑道でした。

そうそう、太宰治が入水したところも、この辺りですね。石碑があるということでしたが、気づきませんでした。遺体が井の頭公園近くの万助橋のところを流れて行ったという話を聞いたことがあります。

こちらは農家のある風景。収穫した農作物を売っている農家がありました。その農作物を買うのが目当てで散歩している人も見かけました。

少し行くと、途中に明星(みょうじょう)学園の校舎がありました。明星(めいせい)学園という学校も府中市にあり、ちょっと紛らわしいですね。

緑道は土の色もさまざまで、こちらは赤土でした。強い風が吹くと、土が舞っていました。雨が降ったらぬかるみになって大変そうです。


途中で井の頭公園を通りました。1917(大正6)年5月1日に開園された日本で最初の郊外公園だそうです。そこにある井の頭池は、花見やデートの場として有名です。

ここを右へ行くと吉祥寺に着きます。左へ行くと三鷹です。井の頭公園は、ちょうど二つの駅の真ん中あたりになります。

ここは本当に自然の宝庫でした。川の流れが、さやさやと聞こえている道でした。

杉並木の道です。まるで江戸時代の街道を歩いているような気分になれました。


この日はとてもよく晴れた日で、青空に面白い形の雲が見られました。

こちらは2年前に来たこともある「山本有三記念館」▼です。戦前のお洒落な洋館です。

高級そうな住宅が並ぶ「風の散歩道」です。この道は名前のとおり、風の吹き抜けが良すぎて、歩いていると風が体にぶつかって大変でした。

だいぶ三鷹駅に近づいてきました。高いビルや商業施設が並んでいる地域です。


三鷹駅もすぐそこになりました。あと200メートルです。がんばれ。

駅まで辿り着き、三鷹駅からは、バスに乗って調布まで戻りました。

≪2021年4月21日≫

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「一日一句」

風浴びて 歴史を辿る 散歩道



2021年4月26日月曜日

玉川上水を歩く その9 橋と地図(三鷹台~三鷹)

「玉川上水を歩く その8」▼の続きです。

今回の玉川上水ウォークの出発点はこちら。井の頭線の三鷹台という駅からでした。


そして終点は、JR中央線の三鷹駅でした。
この間は、距離にすると2~3キロだと思います。歩数は7700歩くらいでした。

三鷹台と三鷹。似た名前で紛らわしいですね。このあたりには昔は鷹が多くて、将軍も鷹狩りにやってきたのでしょう。

今回歩いた地域は、すべて三鷹市内です。(杉並区と隣接しています)

ちなみに、この地域は「世田谷領」「府中領」「野方領」という3つの領地にまたがっていたため、「三つの領地にまたがっている鷹場の村々」ということから「三鷹」という言葉が誕生したのだそうですよ。

三鷹市の紋章は、三本線と鷹の絵が描かれていました。

ここからの緑道にも、橋がたくさん架かっていました。


出発点の「みやしたばし」ですが、変体仮名で書かれていました。

橋の上から下を眺めると、かなりの量の水が流れていました。


通過した橋をまとめてみました。上の地図と合わせてみてください。
(写し損なった橋もあります)

井の頭橋、松影橋、新橋、幸橋、蛍橋、万助橋、むらさき橋です。

ところで緑道を歩いていて、気になることがありました。それは看板にある地図の方向についてです。

私は北半球に住んでいる場合、常に北が上にあると思っていますが、地図を製作する人はそういうことに無関心なのか、方向がバラバラなのです。それでとても見づらいのです。頭を逆にしないと、正しい方向が分かりません。地図の看板を描く人は、是非、北を上にしてもらいたいと思います。

上の橋の図も方向が違いますね。

こちらの看板は、北が下になっていました。


こちらの看板は、北が左になっていました。


看板のスペースの関係などで仕方ないかもしれませんが、少なくとも官庁が出す地図は、北を上側に統一してもらいたいと思います。

≪2021年4月21日≫

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「一日一句」

新緑や川のせせらぎ聞き歩く