2025年1月31日金曜日

地図や地名の講演会

「地図でたどる八王子と多摩地区の地名」という講演会に行ってきました。

会場は八王子駅近くの「クリエイトホール」という市の施設。かなり老朽化した建物でした。それでも市民向けの講座や、グループ活動をいろいろと開催している場所でした。

講師は地図の世界では有名な今尾恵介さん。多くの地図本を執筆されています。

見かけはごくフツーのおじさんですが、かなり強烈なオタクの方です。


今回は多摩地区に限っての地図や地名のお話でしたが、後から後から地図の知識が飛び出してくるようでした。

いろいろなお話が聞けましたが、面白かったのは市などの合併後の名前の付け方でした。市の力関係にもよるのでしょうが、単に文字を二つ組み合わせた地名にするタイプから、とんちのような名前の付け方をするところもありました。

たとえば「津田沼」というのは「谷津」+「久々田」+「鷺沼」を合成したもの。

「六ヶ所村」は単純に6つの村を統合した名前。

「富里」は13の村を合併したので「十三里」になりますが、それをもう一ひねりして→とみ里→富里。

「柿生」は丸柿の名産、藍園村は「藍」の名産地、桑田村は「蚕」の村。

合併するときには、それぞれの村や市の有力者が登場するのだと思いますが、なかなか決まらないことも多いでしょうね。けんかになることもあったかもしれませんね。

とにかくいろいろな例を教えていただき、笑い出しそうなものまでありました。

市町村の変遷はかなりすさまじく、明治16年には70,000くらいの村があったそうです。

それが明治22年に大合併があり、39の市と、15,000くらいの町村になったそうですが、当時は市のない県もあったそうです。

その後、大正、昭和、平成と何回も合併があり、現在は市町村を合わせると1,700程度あるようです。

いろいろな古地図も見せていただきましたが、懐かしい名前の市などもたくさんありました。昭和の思い出がよみがえってきました。

こんな楽しい講演が200円だなんて、信じられませんね。八王子市、太っ腹です。

ということで、図書館で今尾さんの本を数冊借りてきて、読んでいるところです。


2025年1月29日水曜日

たましん美術館

 「たましん」グループというのは、多摩地方で経営している信用金庫会社の組織です。

金融はもちろんですが、いろいろと社会的なことも運営してます。

その中の「たましん美術館」に行ってみました。

立川駅の近くにあります。

今回は「源氏物語の新世界」というテーマの展示会だったので興味がありました。

ただし、きらびやかな絵画や美術品などの出展は少なくて、文字で描かれた物が多かったかな。

千年前の資料に接することができるというのは、和紙の素晴らしい点ですね。

与謝野晶子の現代語訳の初版があり、目をひきました。

他にも昔の豆本とか、偽紫田舎源氏とか、現代アート作家の作品もありました。

千年前に書かれた物語が、これほど長く人気があるということは、すごいことですね。


この後、同じたましんグループが運営している「歴史・美術館」(お隣の国立駅にあります)まで行ってみましたが、リニューアル工事のため、なんと休館。


先週も休館のところに行ってしまったので、今回はちゃんとネットで調べていったのに、またもや休館!

がっくりして、急におなかが空いてしまいました。
国立の駅ビルでおにぎりをいただきました。
好きなおにぎりを二個を選び、それに味噌汁、小チキンフライ、ひじきの煮物がついていて700円くらいでした。


このくらいの分量のランチが、ちょうどよいな。


2025年1月25日土曜日

「双仮名手本三升 裏表忠臣蔵」

先日、団十郎の忠臣蔵を見てきました。

見どころは四役早替りと、宙乗りとのこと。

夜の部でしたので、祇園の一力茶屋の場面と、高家に打入をした雪の場面が見ものでしたね。

早替りは、「これから替わるな」という場面と、まるで分からずにあっと驚く場面がありました。

そして団十郎の娘と息子のお軽勘平の舞踊シーンはとても良かったですね。娘のぼたんちゃん、手のひらがとてもきれいでした。中学生なのでしょうか、みごとに舞っていました。

団十郎のお芝居はそれほど期待していませんでしたが、結構楽しめました。

正月公演でしたので、会場の飾りも華やかでした。


なんと言っても、通路側の席が取れたこと、そして反対側の席が空いていたことが、いちばん良かったです。

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この日の装い。


水色に白い椿のようなお花の訪問着にしました。
私は着物の上に、和装コートを羽織っていたのですが、なんとレースの羽織の人がいて、寒そうでした。ショールでも羽織ったら、と思いましたが、暑がりのひとだったのかもね。



2025年1月24日金曜日

情けない日

先日、とても情けない日がありました。

よく晴れた日曜日でしたが、ドジが続き、無駄ばかりで、たいした収穫もない日になってしまいました。

そもそも家を出発した時点で間違っていました。

当初の予定では、まず近くの図書館まで歩いて行き、数冊の借りていた書籍を返却して、身軽になってから次の目的地に行く予定でした。

それが家を出た途端に本の返却などすっかり忘れてしまって、すぐに電車に乗ってしまいました。気づいた時はすでに遅く、今さら図書館に寄るわけにもいかず、仕方なく重い数冊の本を抱えたまま、次のところに向かったのでした。

この日の目的地は中野区江古田にある「中野区立歴史民俗資料館」というところでした。それで大江戸線を利用して行くことにしました。

車内には「だるまちゃんとてんぐちゃん」のイラストが描かれていました。加古里子さんの絵本です。昔、子供が大好きなシリーズでした。


新江古田駅で下車しました。初めて利用する駅でした。ちなみに江古田は、「えこだ」ではなく、「えごた」と言うのですね。

ここから資料館まで歩きました。坂道を下ったり上ったり、15分ほど歩いたでしょうか。

こちらは水が流れていない川に架かっていた「江古田憩い橋」


下は江古田川だそうです。近くには「江古田の森公園」がありました。

お次は「西原橋」です。やはり江古田川に架かっているようでした。


「北江古田公園」の入口近くにありました。

そして目的の中野区立歴史資料館に到着したところ、「本日は閉館」との看板が目に付きました。

えー、嘘でしょ。月曜日なら閉館は分かりますが、この日は日曜日だったのです。ところが案内をよく見ると、第三日曜日は休館と小さく書いてあったのでした。がーん。なんのために重い本を抱えてここまで来たのか。


資料館のいわれが書かれていましたが、なんだか読む気になれませんでした。

このあたりは住宅街で、他に見るべきもものないので、仕方なくJR中野まで出てみることにしました。

丁度、運良くバスが来たのでシルバーパスを利用して乗りました。

(この時だけはラッキーでした)

中野駅まではかなり乗りでがありましたね。

そして噂に聞いていた、ブロードウェイ地下にあるリサイクル着物屋さんを探してみました。

ブロードウェイは学生時代、古本屋さん目当てによく通ったところですが、地下街は初めて。食べ物屋さんなどがたくさんあり、市場のような雰囲気のところでした。

リサイクル着物屋さんは見つかりましたが、うーん、あまり買いたい気持ちになれないようなお店でした。清潔感がないというか。

それでもちょっと良さげな帯揚げがぶら下がっていたのですが、5500円もしたのです。それならもうすこしマシなお店で買った方がよいと思いました。

ということで時間をつぶしただけで、半日が終わってしまいました。

何の収穫もなく、情けない日となりました。

JRのプラットホームから見た中野駅周辺。解体予定の中野サンプラザの建物がまだ残っていました。

この日、歩いたルートです。


中野区というと、JR中野駅周辺しか知りませんでしたが、以外と広いし、アップダウンがある場所だと思いました。

2025年1月22日水曜日

「源氏物語を楽しむ会」78回 2025年1月

2025年になって最初の「源氏物語を楽しむ会」でした。

今年もよろしくお願いいたします。

会場に咲いていたストックです。鮮やかな色がきれいでした。

今回は「野分」の巻でした。一月の気分ではないのですが。

光源氏たちの住まいにも野分がやってきました。野分とは今の台風です。

風も強く、雨も降ってきました。

御簾が風に吹き上げられています。

光源氏と愛妻の紫の上も心配していました。

その時、中将(光源氏の息子の夕霧)がお見舞いにやってきました。強風のため、その隙間から二人の場面をチラリと見てしまいました。

あんなに美しい人がいるなんて、と父親をうらやましく思ったようです。

夕霧はその後、おばあさま(亡くなった母親の母)をお見舞いに行きます。おばあさまは野分を大変、こわがっていたので、孫の見舞いに一安心。

その後、夕霧はまた父親のところに向かいます。

そして息子に「中宮のところも見舞いにいってくれ」と言われます。若者は使い走りをさせられて、何かと大変ですが、あちこちで美しい人に会えるので、それも役得かもしれませんね。

この後には夕霧は玉鬘もチラリと見ることになるのですが、愛人がたくさんいる父親がいると、何かと大変ですね。

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この日の装い。

モノクロの着物に、白地の染め帯。








2025年1月17日金曜日

パスポートの更新

パスポートの期限が迫ってきたので、都庁まで更新手続きに行ってきました。とても混んでいました。

10年前にも同じ場所で手続きをしたはずですが、まるで記憶がありませんでした。

今のところ、海外旅行の計画はないのですが、妹が海外に住んでいるので、また10年更新をしました。

せっかく都庁まで来たので、45階にある展望室に行ってみました。


かなり混雑していました。

四方の景色もよく見えました。



こちらはピアノの演奏をしている人。草間彌生さんのピアノでしょうか。

都庁は外国人だらけでした。

パスポートは1週間後に受け取れるそうです。



2025年1月12日日曜日

お正月 世田谷の富士山

だいぶ前のことになってしまいましたが、1月2日には世田谷区まで出かけて、美しい富士山を眺めてきました。

それは私の論文に関係があるのですが、都内のどこから富士山が見えるかを検証するため、世田谷区まで足を延ばしたのです。

まずは自宅近くから二子玉川行きのバスに乗り、東名高速近くの永楽寺で下車しました。ここは2023年にも来た場所です。お寺もお正月らしい雰囲気でした。


近くには水神社もありました。
以前、来たことのある場所は懐かしいですね。

この地域には、少し歩くと野川や仙川が流れていて、水神橋という立派な橋が架かっているところです。

「このあたりに六郷用水(次大夫堀)が通っていました」とも書かれています。

前回、トイレ休憩に立ち寄ったファミリーマートもありました。

さてそこから周囲をぐるりと目をやると、一段と高い土地がありました。


そこから富士山が見えるのだろうと見当をつけて、坂道を登ることにしました。とても急な坂でした。上りはきついけど、下りも大変そう。自転車に乗った若い男性が、さーっと走り降りていきました。
「せたがや百景」にも選ばれている坂です。


やっと坂の上まで行ったところ、「関東の富士見100選」という案内板がありました。

この場所で一度振り向けば良かったのですが、私は何を勘違いしたのか、その先の道まで歩いてしまいました。どこまで行っても富士山は見えず、その周辺をぐるぐると歩き回りました。

正月2日の午前中、住宅街を歩いている人はほとんどいませんでした。

なんだか不安になって、横道をチラリと見たところ、おー、富士山がくっきりと見えました。


遠くにすっきりと立っていました。まるで静岡県あたりにいるように、大きい富士山でした。

そしてもう一度スマホで地図を確認したところ、先ほどの場所のほうがよく見えるようなので戻ってみることにしました。

こちらが岡本3丁目の坂の上から見た富士山です。

下の方は、普通の住宅街が並んでいます。

ひーこらと登ってきた坂も見えました。


嘘のようにすっきりと見えました。


富士山だけを写すと、少しぼけてしまいましたが、美しい姿でした。

都内からの景色とは思えないほど、美しくて品がありました。

誰にも邪魔をされずに、じっくりと拝むことができました。

このあたりに住んで居る人はラッキーですね。

ということで大満足して富士山を拝み、先ほどの急坂を下りました。

とても気分が良かったので、そのまま仙川に沿って野川の方まで歩きました。

砧南小学校とか、砧南中学とか、懐かしい場所でした。野川にかかる鎌田橋も大分修理が進んでいました。

そして天神森橋を過ぎて、バス停まで。

ここからバスで家まで戻りました。

お正月、美しい富士山を眺めることができて、とてもよい気分でした。



2025年1月11日土曜日

「近衞家と細川家 着物が紡ぐ家族の記憶」

杉並区立郷土博物館に出かけてきました。井の頭線の永福町にあるのでした。


行きは永福町駅からバスに乗って出かけました。
郷土博物館は善福寺川沿いにありました。

今回の展示は、荻窪にある近衞文麿の荻外荘の復元が完了したことに合わせて開催されたようです。

近衞文麿の次女・温子(よしこ)さんと、細川護立(もりたつ)の長男・護貞(もりさだ)の家族史の一部として、温子さんが実際にお召しになっていた着物や帯の展示でした。

ちなみに以前、総理大臣だった細川護熙(もりひろ)は、このご夫婦の長男になります。

彼女は大正7年生まれで、昭和12年に結婚されましたが、なんと22歳の若さでお亡くなりに亡ってしまいました。

この二つの家族はとても仲が良かったようで、すてきな家族写真がたくさんありました。

いかにも大正時代の上流家庭といった感じでした。

お着物も若い女性向きの華やかで鮮やかな彩りの大柄模様でした。振り袖や羽織もありました。また刺繍の帯も素敵でした。

詳しくはこちら▼をどうぞ。

杉並区の古い歴史も見てきましたが、家康や秀吉もこのあたりで戦っていたようですね。

博物館からの帰りは、歩いて戻りました。

そんなに寒くなかったので、助かりました。

以前、ここを訪れたときはちょうど修理中でしたが、今回は善福寺川にかかる「宮下橋」もきれいになっていました。

その先には大宮八幡宮があります。


ここは「東京のへそ」と呼ばれています。


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この日の装い。

展示に合わせて、ちょっと古い時代の着物を着てみました。


もちろん上流階級のものではありませんが。

黒地に朱色の竹の模様です。お正月もまだ11日なので、こんな着物でも良いかなと思いました。







2025年1月9日木曜日

今年度最後のフィールドワーク ~気象庁変遷の歴史を探る~

昨日は今年度の大学最後のフィールドワークに参加しました。

今回の担当教授は気象学が専門なので、気象庁跡地や靖国神社の標準桜など、気候に関するところを歩いてきました。

集合は以前、気象庁があったところ。大手町です。


ところで、気象庁の前身(当時は「東京気象台」)は明治8年(1875)にできましたが、当初は赤坂の溜池にあったそうです。当時の測量はイギリス製のものを使っていました。ただし地震計についてはイギリスでは地震がないので、イタリア製だったそうです。

そこはかつての大名のお屋敷でしたが、その後、武器商人だった大倉喜八郎がその土地を買って、ホテルオークラを建ててしまいました。

そのため東京気象台は移転を余儀なくされて、明治14年(1881)に皇居の旧本丸に移転しました。ここは地盤強固、見晴らしの良さなどから選ばれたそうです。

そして大正12年(1923)に当時の麹町区元衛町(KKR東京付近)に移転。その後、昭和39年(1964)に大手町に移転。

そして令和の時代になり、今度は溜池に引っ越し。ということは昔の土地に戻ったわけですね。何回も引っ越ししているのですね。

こちらは「気象庁旧生物季節観測の木々」の案内板です。


桜やイチョウが植えられていました。
ここは以前、一人で歩いた場所なので懐かしかったですね。

以前の気象庁のビルですが、塔などはまだそのまま残されています。

気象庁の後は、消防庁が入居していました。

その後は予定外の場所、「平将門の首塚」へ。ここも以前、訪れた場所です。


気象庁の向かいのお堀端で「震災イチョウ」がありました。これは100年前の関東大震災にもめげずに生き残ったイチョウの木です。


傍には、和気清麻呂の銅像。ここも以前、訪問したところです。

その後、平川門から皇居に入りました。簡単な手荷物検査がありました。


立派ですね。
外国人がとてもたくさん来ていました。


石積みの塀をあれこれ調べている人もいました。


天守台へ。

現在、周囲は高層ビルばかり。


実はこの天守閣跡で、かつて気象庁の測量が行われていたのです。
その場所をみんなで探しました。

こちらは香淳皇后の還暦をお祝いして作られた「桃華楽堂」です。
カラフルでとてもオシャレな建物でした。

江戸城は明暦の大火(1657年)によって、天守閣も焼けてしまいました。江戸の町の大半を焼いてしまった大火事ですが、「振袖火事」とも呼ばれていますね。

皇居の後は北の丸公園に行きました。

現在、気象観測はこの公園の中で行われています。誰でも見られる場所にありますが、普通の人は行かないようなところですね。

右の柵の中に観測機器があります。この地は「露場」(ろじょう)と言われています。

昔は百葉箱が使われていましたが、現在はむき出しです。


これは積雪量を量る装置だったかしら?


右に見える白いタワーは、科学博物館ですが、このタワーで風速と風力を計測しています。


この日の気象が1分ごとに更新されます。

周囲は緑の木々に囲まれて、環境の良いところでした。

武道館を通過しましたが、「white tail」とかいうグループのライブが行われるそうで、会場周辺は若い女の子がうじゃうじゃいて、びっくりしました。ユーチューバーだそうですが、全然、知りませんね。

また歩いて今度は靖国神社へ。

高灯籠(常燈明台)。


大鳥居を写したつもりでしたが、写っていませんでした。
桜の標準木をみました。
この木に5輪咲くと開花宣言が行われるのですね。


かなり老木なので、ちょっと心配でした。

ということで1万歩くらい歩いたようです。

みなさん、お疲れ様でした。

晴れ男の教授のおかげで、雨に降られれずに助かりました。

気象庁移転の歴史、面白かったです。