今年の5月に着た着物をまとめてみました。
9回、着ていたようです。
5月はすごく暑い日があったり、反対にひんやりとした日もありましたね。
真ん中 水色系 単 ポリ。
右上1 ピンクとベージュ 夏大島。
右上2 青と黒の波模様 ポリ。
右上3 ピンク、水色、クリーム色の袷。
右下 紫に白の小梅 ポリ。
暑い日は汗もかくので、ポリ着物は帰宅後、すぐに洗えるので助かります。
ただし、あまりに暑いときはポリは着ませんが。
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「一日一句」
衣替え 夏日続きで 新ルール
今年の5月に着た着物をまとめてみました。
9回、着ていたようです。
5月はすごく暑い日があったり、反対にひんやりとした日もありましたね。
真ん中 水色系 単 ポリ。
右上1 ピンクとベージュ 夏大島。
右上2 青と黒の波模様 ポリ。
右上3 ピンク、水色、クリーム色の袷。
右下 紫に白の小梅 ポリ。
暑い日は汗もかくので、ポリ着物は帰宅後、すぐに洗えるので助かります。
ただし、あまりに暑いときはポリは着ませんが。
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「一日一句」
衣替え 夏日続きで 新ルール
昨日は東京でも30度超えの暑い日でした。
都内某所で所用がありました。そこは30階の高さにあり、よく晴れた東京都心を見渡すことができました。
東京タワーよりも高そうなビルがありました。
こちらは海側の風景です。遠くにはクレーンがたくさん並んでいました。
屋上緑化のビルもありました。
社会で働く現役のみなさん、どうもご苦労さまです。
年金世代の私達は、どのように対処すればよいのかしら。あまり人様のお世話にはならないよう、健康で過ごすようにしたらよいのかしら。
近くには目黒川が流れていました。
このあたりには、かつて古東海道と考えられる古道が通っていて、古道の関所がこのあたりにあったらしいので、小関という地名がついたそうです。
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この日の装い。
もう夏用着物の登場です。
ポリの絽の着物です。
アザミのような葉っぱの花が咲いています。
「着物警察」のような人がいたら、「5月なのに絽の着物なんて規則違反です」というかもしれませんが、昔の5月と今の5月は気候がまるで違いますよね。体感温度が一番です。
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「一日一句」
夏の街 東京タワーが 低く見え
今年の4月の末に、西荻窪の「一欅庵」で開かれた和の小物展に行きました。
その時、5月に同じ場所で源氏物語の朗読があるというので、すぐに申し込んでみました。
昨日は、その催しに参加してきました。
イベントに先立ち、一欅庵のご当主(私の友人の友人)が、登録有形文化財であるお宅の案内をしてくださいました。
昭和8年に建てられた和洋折衷のおうちです。
ご当主のお祖父様の趣味が、随所にあふれる室内でした。
一欅庵にはこれまで数回、お邪魔していますが、やはりここで育った方から直接、説明を受け、これまでとはまるで違った感じがしました。
窓を開けると、すぐ緑のお庭が見えるというのが嬉しいですね。
一番驚いたのは、2階から見えたお隣のおたくは国語学者の金田一先生のおウチだったということです。ご当主と同じ年頃の子供さんがいて、仲良く遊んでいたという話は、さすがご本人ならではのお話だと思いました。
今回の催しは、佐々木亜希子さんによる源氏物語の朗読と、明楽みゆきさんのチェンバロ演奏のコラボレーションでした。
源氏物語とチェンバロがどのように組み合わされるのか、興味がありました。
佐々木さんは活動写真弁士としてご活躍中の方で、阪妻の映画の弁士もされていらっしゃいます。そのため、滑舌も良く、超長編小説である源氏物語のあらすじをうまくダイジェストにして、70分間の朗読劇に仕上げていました。
有名な「桐壺」の巻から始まりましたが、たとえば雨夜の品定めとか、末摘花の話などはカットして、光源氏の人生だけを抽出した物語に仕上げていたので、話が分かりやすくなっていたと思いました。
お話の効果音や、区切りの部分にはチェンバロ演奏がうまく組み合わさっていました。
また登場人物の相関図も配布されたので、源氏物語初心者にも、お話がよく見えたと思いました。
その後に、チェンバロの解説と演奏がありました。
朗読と演奏の後には、洋間でお茶の接待もありました。佐々木さんの故郷である山形のお菓子を頂戴しました。古鏡(こきょう)という和菓子でした。
以下はちょっと蛇足です。
私は山形県には行ったことがありませんが、今読んでいる川の本に、山形県を流れる最上川のことが書いてあるので、山形県にも興味を持ちました。
その本の中で、芭蕉の俳句
「五月雨をあつめて早し最上川」は、当初は
「五月雨をあつめてすずし最上川」だったということが書いてありました。
これは芭蕉が最初は想像で作った俳句であり、実際に最上川に行って舟に乗ってみると、その水量に驚き、そして「早し」に直したのではなかろうかということでした。
佐々木さんは北前船の大使もされているそうなので、また機会があれば、いろいろなお話を聞いてみたいものだと思いました。
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この日の装い。
急に暑くなったので、夏用の着物です。サッカー生地のようにでこぼこがあるので、肌に着く部分が少なくあまり暑さを感じないのです。
この春、ご近所に洒落たカフェがオープンしました。
緑色の爽やかな外観です。
前回、築地川を歩いたときは、千代橋(せんだいはし)から先は川(現在は高速道路)が見えなくなってしまいました。それでなんとなく銀座中学の方へ歩いてしまい、結局、電通の方まで行くことになりました。その後は浜離宮の入り口方面を通過して、最後は月島まで行ってしまったという結果になりました。
その時のブログです。
https://toshiko72.blogspot.com/2022/05/blog-post_47.html?m=0▼
それはそれで面白いコースでした。
ただ、私はどうしても千代橋の次にある新尾張橋を見つけたくて、新橋演舞場で「東をどり」を見た後で、また築地川歩きを試みたのでした。
私は意外と執念深いのです。
この日はかなり暑くて、私はポリの着物に日傘という姿。その格好で炎天下のビル街をウロウロしていたので、周りの通行人たちからは、かなり妙な人だと思われたかもしれません。
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まずは新橋演舞場を出て、もう一度、采女橋まで戻りました。この日は平日でしたので、築地川采女橋公園には、近くのサラリーマンのランチ休憩する姿が多く見られました。
築地川采女橋公園は、ゆっくりするには絶好の無料の休憩所です。
前回はこの采女橋から金田中の方に向かいましたが、今回は采女橋を通過して、東へ向かいました。
采女橋の上から写した新橋演舞場の姿です。橋の透かし模様がきれいですね。
信号を渡って、高速道路沿いの道を歩きました。
どんどん歩いていくと、こんな石碑がありました。
「海軍兵學校寮阯」と掘られていました。
右側のフェンスから下を覗くと、首都高速道路が見えました。トラックがたくさん走っていました。ここがかつては川だったと知っている運転手さんは、少ないかもしれませんね。
気がつくと、ここは国立がんセンターの敷地内のようでした。一般の人は立入禁止のところかもしれませんが、なんとか抜け出ることができました。
やはりがんセンターなのでした。知らずに歩いていてすいません。
がんセンターのすぐお隣は、都営大江戸線の築地市場駅でした。
周囲を見渡すと、目の前には国税庁、お隣は朝日新聞社の東京本社ビルが建っていました。
なんだか場違いのところに来てしまった気分になりましたが、とにかく橋を探しました。
千代(せんだい)橋が見つかりました。
前回は、この橋から右方向へ行ったわけです。
それで今回は、左方向へ行くことにしました。
左へ進むと、更地になった築地市場が見えました。中はがらんどうでした
右手には浜離宮朝日ホールがありました。よくコンサートなどが開かれるところですね。ここの土地の様子も面白そうでした。
その先は道路工事の最中で、着物でウロウロしていたら怒られそうな雰囲気のところでした。それで写真を写すこともなく、さっさと歩いて通過しました。
それでもなんとか新尾張橋を探して歩き回りました。
ようやく見つけました。位置的には、朝日新聞社の裏側にあったのです。
ここには由来の説明がありました。
以下のように書かれていました。
「この場所は、江戸時代尾張徳川家の築地下屋敷のあった場所です。
敷地内に、水運のために入堀を設け、江戸における尾張藩の物流の拠点となっていました。
明治時代になると、海軍の施設となり、関東大震災後は東京都中央卸売市場などの用地となりました。
尾張藩は、この地点から下流約100メートルの場所には江戸時代初期(寛文1661〜72)のころから築地川に架橋された築地と銀座を結んでいましたが、その後、道路計画により新大橋通りの道路敷となり、昭和40年はじめ撤去消滅しました。
この橋は築地市場の再整備にあたり、汐留から市場への鉄道引込線を一般区道に改修することになり、新たに鉄道橋を道路橋に架け変えたものです。
架替えにあたり尾張藩の名を残すために橋の名を新尾張橋と命名するものであります。
平成4年」
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橋の隙間から、下を通る高速道路を写しましたが、トラックが走っているのが、分かるでしょうか。
築地川が見える部分はここで終了して、その先は浜離宮となります。
この地域は、今後、どのように変化するか分かりません。それでもかつて江戸時代や明治、大正時代には築地川という川があり、堀として利用されていて、そして高度成長期には高速道路になった、ということが少しでも記録に残っているといいなと思います。
この後は銀座郵便局を通過して、昭和通りへ出ました。
先日、新橋演舞場で「東をどり」を見てきました。今回で97回目の開催でした。
初回は大正14年、新橋演舞場の杮落しの時です。この年は関東大震災の翌々年であり、私の母も大正13年に生まれて、この近くに住んでいました。ということで母と同じ年月を経てきた東をどりには、親しみを感じて見てきました。
コロナの前には、舞台の合間にはロビーに芸者さんたちが接待してくれていました。とても華やかな雰囲気に溢れていました。
それがコロナのために中止になり、今年はようやく再開されましたが、ロビーや座席では飲食禁止なので、ちょっとあっさりとした雰囲気でした。
それでも舞台は素敵でしたよ。芸者さんたちの美しい衣装、化粧、踊り、どれも粋でかっこよかったです。特に男役の人が素敵でした。
そして私の三味線の先生も、地方として出演されました。第一幕では「花の春 月の秋」と、「秋の色種」を演奏。実は「秋の色種」は、教えて頂いている曲なのですが、踊りと一緒に演奏すると、一段と素敵な曲に思われました。
先生は姿勢も美しく、髪型もきれいにきまっていていました。他の地方の方も、唄と三味線がよく合っていたと思いました。
第二幕には口上がありました。
そして最後のフィナーでは芸者さんを始め、長唄の人も清元の人も、全員が舞台に上がりました。とても楽しい演奏で、「あれなら私にも弾けるかも?」と思うほど、同じフレーズが何回も繰り返し演奏されました。
一日3回、3日間の公演、お疲れさまでした。
ということで東をどりに満足して、演舞場を後にして、それからは築地川歩きを始めたのでした。
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この日の装い。
さすがに着物姿のお客さんが多くいました。格調高い訪問着、涼しげな薄羽織などチラチラ見てしまいました。
私は暑くなるかと思い、ポリの一重にしましたが、会場は涼しくて、かえって、ひんやりしてしまいました。
梅のような花の、絞り風の小紋です。
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「一日一句」
和のをどり 一陽来復 華やかに
埼玉県越谷市にある香取神社で、浄瑠璃の演奏があるということを知りました。
この神社は、私の孫が生後100日ごろ、お食い初めの行事をして、その後でお参りした神社でした。
その時の写真です。今から11年前になります。境内には特別な木があり、これを子供になすりつけると、その子は元気に育つという言い伝えがあるそうです。
孫はちょっと嫌がっていますが。
ということで、先日、越谷まで出かけてきました。
まずは娘の家族が住むマンションへ。
高層マンションからの眺め。
ここには孫が二人います。
上の孫は習字と絵画が得意で、また御朱印を集めるのが趣味という古風な面もあるのですが、水泳も励んでいる小5の男の子です。
下の子は、オシャレでアクセサリーを集めるのが大好き。シルバニアファミリーの玩具をかわいがっている小1の女の子です。
二人の部屋を見せてもらいましたが、それぞれ個性が出ていて、これからどんなふうに育っていくのか、楽しみです。
一緒にお昼ごはんをいただいて、その後、私は香取神社へ。
この日は「ぎょうだいさま」という鳥のような行者さまのお話でした。地元に住む竹本泉太夫さんが創作されました。
会場は神社の集会所で、広い和室を3部屋繋げていました。80人〜100人ほどのお客様が集まっていました。
今風だと思ったのは、紙芝居とともに、それをスクリーンに写し出していたこと。どこの席からもよく見えて好評でした。
その後は、鳴り物の説明がありました。太鼓の叩き方によって、雨や雪や川を表す様子を実演してくれました。
最後は「吉野山」でした。静御前と佐藤忠信という従者が、吉野山から川連方眼の館へ向かう場面でした。静御前が可愛らしかったです。
あまりよく写っていませんが、終わった後は、こんな感じでした。
この会は、「越ヶ谷宿で古典にふれよう会」が主催していました。古くから伝わるお話を浄瑠璃にして、広く伝えようという意気込みが感じられました。
今回は地元のFMのスタッフが来ていて、そのうちラジオでも義太夫が聞けるとのことでした。
演奏の後、境内で写真を写していただきました。5月なので鯉のぼりが泳いでいました。
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この日の装い。
それほど暑くもなかったので、袷の大島紬にしました。