先日、
文化学園服飾博物館▼で開かれていた「更紗」の展覧会最終日に間に合ったので、出かけてきました。
この博物館は私のお気に入りの場所なのです。
その理由として、
▼安い(入場料はワンコイン)
▼近い(新宿なので便利です)
▼狭い(広すぎる博物館や美術館は疲れるので苦手)
▼分かりやすい(説明の文章が分かりやすくて的確)
▼人が少ない(穴場のようで、ゆっくりと鑑賞できます)
などが挙げられます。
「更紗」というのは、広義にとらえると、インドで生まれた技法で、主に木綿布に手描きや型を使って文様を表したものです。
その頃は当然、化学染料はありませんでしたので、茜で色を付けていたようです。
この茜にミョウバンを加えると赤になり、
茜に鉄を加えると黒になる、ということを利用して、美しい文様を作り出したのが、更紗の原型のようでした。
そのインド更紗ですが、当時の大航海時代の影響で、西に行ってアラビアやアフリカ、イギリスやフランスなどのヨーロッパに伝わりました。
また東に行くと、インドシナや中国、日本に伝わりました。
そしてそれぞれの地域で、独自の発展をしていきました。
日本へ更紗が入ってきたのは、室町時代だと言われています。
インドやヨーロッパから伝わってきました。
最初は袱紗や、お茶道具を入れる袋物や、武士の陣羽織などに使われていたようです。
その後、鍋島更紗が独自のものとなり、反物にもなり、着物や帯にも使われるようになりました。
こちらは江戸時代の三井家に伝わる小袖ですが、更紗模様と杜若の絵ががミックスされているものです。
その後、明治時代になると型友禅となり、また化学染料の発達により、量産できるようになりました。
そして戦後は更紗の素材も絹、ウール、ポリエステルなどに広がっていき、留袖や訪問着にも更紗が応用されました。
いろいろな地域、いろいろな時代の更紗が展示されていましたが、私が注目したのは、昭和30年代の婦人雑誌でした。
当時の着物ページが開かれていましたが、今見ても、モデルさんはかっこいいし、スタイルもよいのです。もちろん更紗の着物も素敵でした。
たぶん、母親世代はこのような雑誌を見ていたのだろうと、懐かしく感じました。
更紗というと特別なイメージがありましたが、この展示会を見ると、どんな模様でも更紗が変化したもののように思われました。
あれもこれも、更紗の仲間のように感じました。
こういう衣類の展覧会を見ていると、いつも思うことがあります。
それは衣類は本来は暑さ寒さに対応するものであり、周囲の敵から身を守るものにすぎません。
ところがいつの時代でも、どこの地域においても、他人とちょっと違ったものを着てみたい、目立つものを着てみたい、という個性的な人がいたおかげで、様々な色や文様が生まれてきました。
初めは単に人との区別だったかもしれませんが、だんだん、お洒落をする心や、もっと違ったものを着てみたいという意欲が増加したのでしょうね。
そして現代の私たちは、あらゆるジャンルの衣類を楽しむことができるのです。
先人たちの知恵や苦労に、感謝しないといけませんね。
*******
この日の装い。
リサイクルの大島紬です。
ちょっと身幅が広すぎるのですが、黄色の模様が気に入って買ってしまったものです。
(写真では模様が分かりませんね。)
帯は、更紗展ということで、ちょっと異国情緒のある、鹿の模様の帯にしました。
鹿は有栖川文様にも描かれていて、高貴な動物なようです。
ただし私はクリスマスシーズンになると、鹿がトナカイのようにも思えて、よく締めている帯です。