2024年11月26日火曜日

「花嫁のれん」@千駄木 旧安田楠雄邸庭園

またまたブログの投稿間隔が空いてしまいました。

その原因の一つはWindows11アップデートに関わるトラブルでした。おまけにWi-Fiのトラブルも重なり、踏まれたり蹴られたり状態が続きました。

おまけにその後はコンクリートの地面に顔面から突っ込む、というドジをやらかしてしまいました。

一応なんとか修復(?)しつつありますが、眼鏡もブーツもパーになりました。それでも私の身代わりになってくれたと思い、とりあえずブーツは新調しました。眼鏡はとりあえず手持ちのもので、なんとかやりくりしています。

そういうトホホな日々が続いておりました。

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さて、11月9日には、文京区千駄木にある「旧安田楠雄邸庭園」で石川県七尾市からやってきた「花嫁のれん」という展覧会に出かけました。

「きもの倶楽部」の皆さんとご一緒でした。

メトロ千代田線の千駄木駅で待ち合わせて、駅から坂道を上り、静かな住宅街のお屋敷へ。

同行者さんたちの後ろ姿を隠し撮り。


さてお屋敷に到着。
このお屋敷は「日本ナショナルトラスト」という日本の優れた文化財や自然の風景を保全して活用する活動をしているグループの保護対象になっています。


こちらは大正8年(1919年)に建てられたそうですが、関東大震災や戦災からものがれ、古き良き時代を保ったお屋敷でした。安田善四郎という豊島園の創業者が住まわれていたところです。


お屋敷の中には、防空壕に続く抜け道があったり、昔の磨りガラスが使われていたり、ゴブラン織の応接セットがあったり。。。。と、まるでドラマの世界のようでした。

そちらで「花嫁のれん展」が開かれました。


   (写真はカタログより)

花嫁さんが結婚するにあたって、実家で準備した大きなのれんを、嫁ぎ先の仏間の前にかけ、のれんを分けて中に入り、「こちらの家の嫁になり、実家には戻りません」と宣言するのだそうです。のれんといっても、サイズがベッドカバーほどあり、とても立派なものでした。

友禅染めののれんは美しく、ため息が出るほどでした。そしてどののれんにも、それぞれの物語があることが説明されていました。

面白いことに、男性が婿入りするときに用意するという「男のれん」もありました。色は青や緑などの色を使っていました。(こちらは撮影可)

美しいパンフレットもいただきましたが、こののれん、お値段はもちろん非公開ですが、いったいいくらほどするのでしょうね。著名な絵師に依頼するのであれば、非常に高価でしょう。世界に一つの手描きなのですから。

ところでこちらに伺った翌日、たまたまテレビを見ていたら、NHK「首都圏ニュース」でこの展示会が取り上げられていました。

会場は撮影禁止でしたので、テレビ画面で見た豪華なのれんをちょっとご紹介します。


いわゆるのれんのイメージよりも、ずっと大きなのれんです。


今回は能登の復興を支援するために、東京で開催されました。


七尾市では、商店街のおかみさん達が、町を元気にするために、平成16年からのれん展をスタートさせました。
地元の「一本杉通り」では明治から平成までののれんを見ることができるそうです。

お屋敷の前でみなさんと写真撮影。


(写真は「きもの倶楽部」ぶちょーさん提供)

それにしても能登の婚礼文化は、古き良き歴史を保ってすばらしいとは思いましたが、お金がかかりそうですね。「仏間」のあるおうち、北陸では普通のことなのでしょうか? 少なくともマンション暮らしの家では、現実離れで、映画の世界のように感じました。これは庶民のひがみかもしれませんが・・・

この後、千駄木を散策しましたが、それはまた別のブログで。

2024年11月18日月曜日

「江島生島」一人噺@吉原

もうだいぶ前になってしまいましたが、かの吉原で、すてきな江戸人情噺を聞いてきました。

かつては「劇団四季」の女優さんであり、現在では舞台やテレビ、声優さんとしても活躍されている駒塚由衣さんの一人芝居噺でした。生粋の江戸っ子です。

江戸紫というのでしょうか、艶やかな振り袖がとても素敵でした。

お話は、江戸時代の奥女中の絵島と、歌舞伎役者の生島の恋物語。実話を元にしたお話ですが、かなりアレンジされていて、面白いストーリーになっていました。

色っぽいお話でしたので、聞いているだけでドキドキしてしまいました。

すごい熱演でした!それにしても駒塚さん、何人の登場人物を演じたのでしょうか。迫力がありました。

会場は吉原の桜鍋別館で、有名な建築家が建てたという由緒ある建物の大広間でした。

独演が終わった後に、駒塚さんを囲んで記念撮影。


私たちも一緒に並んで写していただきました。
女優さんのポーズを真似してみました。


豪華な振り袖をご覧ください。


会場に到着する前に、近くにある吉原神社にお参りにいってみました。かつて吉原に遊郭があったころの遊女たちを慰霊する神社です。弁財天が祀られています。


現在、神社の周囲はマンションに変身してしまい、なかなか当時の面影はありません。それでも若い女性と遊べるようなお店も何軒かありました。

「花吉原名残碑」がありました。昭和35年にこの地域の有志によって建てられたものだそうです。

吉原はもともとは日本橋人形町あたりにあり、かつては葦(よし)の生い茂る湿地を埋め立てて作られた遊郭です。
「明暦の大火」により、吉原は現在の地に移転して、ここは「新吉原」とよばれるようになりました。
江戸時代は遊興地として栄え、江戸文化の花となりました。
しかし昭和35年の売春防止法によって吉原は廃止されました。

江戸人情噺を堪能し、また吉原神社のお参りができて、江戸時代にタイムスリップしたような日でした。

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この日の装い。

11月とはいえ、まだまだ気温が高い日でしたので、型染めの木綿着物にしました。
木綿とはいえ、かなり厚手の生地なので夏には汗だくになるので、秋ならちょうど良いのですが、まさか11月に着られるとは。


帯は頂きもの。締めやすくて重宝しています。



2024年11月15日金曜日

「多摩川上流水再生センター」訪問

このところパソコンのトラブルが続き、その対応に時間を費やしていました。

原因は、Windows11の大幅アップデート。いやはや、ほんとに疲れました。自分では対応できないほどのトラブルだったので、サポートセンターに電話をしたり、遠隔操作をしてもらったりしで、身体も頭も悲鳴を上げてしまいました。

ということで、本日のブログはもう1週間以上も前の出来事です。かなり忘却の彼方となりました。

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先週、大学のフィールドワークの一環として、東京の西部地区にある「多摩川上流水再生センター」▼を見学しました。

ここは私たちが使った水をきれいに処理し、多摩川に流せるようにしている施設です。

つまり私たちが使う水は、「多摩川から始まり、多摩川に戻る」という循環スタイルなのです。


   (東京都下水道局のパンフレットから)

広々とした敷地内にありました。子供向けの公園も隣接していて、良い環境のところでした。

今回の見学は大学から大型バスに乗り込んで出かけました。

現地に着くと、アースくんがお出迎え。


高い展望台からの見学→処理施設の見学→都庁職員の講義という流れでした。講義よりも見学が楽しかったですが。

高い階段を昇って、展望台から見た景色です。







すごかったですね~。いろいろ説明していただきましたが、とにかく巨大設備はかっこ良かったです。

驚いたことはたくさんありましたが、中でもこの施設(昭島市)と多摩川を挟んだ向こう側の施設(八王子)は、川の底で繋がっているということでした。連絡管といいます。


川底から約6㍍下で、二つの市の間に連結管が繋がっていました。長さは約570㍍です。誰が多摩川の下に、トンネルがあると思うでしょうか?


この連絡管を途中まで歩くことができました。


長いですよ~。

他にも、臭かった汚水が、何回も繰り返していくうちに浄化されていく施設も見学しました。最後には鯉が泳げるようなきれいな水になるのです。


技術系の職員の説明はとても分かりやすく、どんな質問にも答えていました。

実は私の住まいは、ちょうど多摩川が中流から下流になるあたりの地域なのでが、その地域に流れている多摩川の水量の半分は、処理された水だと説明を受けてびっくり!

満々としてゆったり流れる多摩川は、全部が山梨の奥地からの水ではなかったのです。

下の図のうち、紫色の部分は、処理された水でした。

          (東京都下水道局のガイドブックより)

またたくさんのマンホールが展示され、「ミニ水族館」もあり、子供でも楽しめる施設でした。


処理された水を使った水槽の中に、ヤマメとかいろいろ泳いでいました。

都内には13の水再生センターがあるそうです。

家庭から出た汚水は25センチの管を通って流れます。その後、集められて、この水再生センターで浄化されるのです。

たくさんの電力を使用しているとか。

その電気代や、諸々の無駄を省くためにも、私たちは水について、生活の意識を変えなければならないと思いました。

春には桜がきれいなところでしょう。

私たちも水はきれいに使いたいと思います。

調理に使った道具や食器の汚れは、まずは古布などで拭き取ってから使いましょうね。

とても有意義な見学でした。


2024年11月12日火曜日

「源氏物語を楽しむ会」76回 2024年11月 ~先月の訂正~

早いもので今年も11月になってしまいました。残りわずか一月半です。

ところで前回の10月分に、間違いがありましたので、訂正します。

それは近江の君が作ったおかしな句として、

「常陸なる駿河の海の須磨の浦に 浪立ち出でよ箱崎の松」を紹介しました。

ところがこの句は、近江の君の作ではなく、弘徽殿女御のおそばの女房・中納言が、女御の代作として、わざと下手に作った句でした。

近江の君が作ったのは、こちらの句です。

「草わかみひたちのうらのいかが崎いかでもあひ見む田子の浦浪」

リンボウ先生の訳ではこのように書かれていました。

「まだ萌え初めた草の未熟さに、あの常陸の浦のいかが崎ではございませんが、いかにしてお目にかかることができましょうか。田子の浦の波のような私は」という意味でした。

ということで、この回は「常夏」をもう一度、復習したのでした。

大事なところを間違えて、大変、失礼いたしました。

近江の君は素っ頓狂な女性として、書かれていますが、それでも句は作れるし、愛嬌があるようですので、私としては可愛い女性だと思いますよ。上級の女性からは見下されているようですが。

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この日の装い。

Uさんは、ぐっと落ち着いた黄八丈。黒い帯とよくマッチしていますね。「大人の黄八丈」といった感じです。

私は深緑色の紬(単衣)と、同系色のざっくり帯。芥子色の帯締めが、Uさんとリンクしていますね。

うしろ姿はこんな感じでした。




2024年11月10日日曜日

先輩の着物イベント訪問

今日のブログの主人公は、私よりもだいぶ年下の方なのですが、あえて「先輩」と呼ばせていただきます。

というのも、それは彼女は、現在、私が通っている大学の先輩だからです。

彼女の存在を初めて知ったのは、今年の1月に、入試の二次試験の面接時、私はいつもの習慣で、着物姿で臨んだ時です。

面接官の先生は私の姿を見て、「以前、こちらの大学で着物の研究をした人もいますよ」と教えていただきました。「えー、着物をテーマに研究した人もいるのか、自由な大学なんだな」と嬉しくなったのを覚えています。

その後、私は入学を認められ、大学に通うようになりました。江戸東京の授業で、担当の先生が「江戸小紋や男性の袴の研究で論文を書き、そして起業して着物の事業をしている卒業生がいる」と教えていただきました。

そんな人素晴らしい人がいるのかと思い、彼女の論文に目を通しました。あれこれ検索してみると、ちょうど11月の連休中に、中央線の西荻窪で展示会のイベントがあるという情報を見つけました。

西荻窪は私のテリトリーですし、是非、お目にかかってお話を聞かせていただきたいと思い、ギャラリーに向かったのです。


お店のドアを開けると、にっこりと微笑んだ女性がいました。

その方こそ、「KIMONO SMILE」を起業したHさんなのでした。

わー、嬉しかったですね。

ギャラリーにはインド更紗の切りばめ半幅帯や、木綿やポリの素敵な着物が並んでいました。手入れが簡単で、手軽に扱える着物が一番だと言うことは、私も同感なので、ほっとしました。


お人形さんは、ダンガリー生地の振り袖に半幅帯。
そして見えても可愛い三重紐。

大学のこと、論文のこと、着物のこと、などあちこち話が飛びました。

在学中はコロナ禍のため、オンライン授業が続いたとのこと。そんな中で起業してしまうとは、並大抵の努力ではなかったはずです。

何よりも「着物を着て、笑顔になろう」というコンセプトに同感しました。

私自身は、なんとかの式のため、親類づきあいのため、など形式張った着物はいやですね。日常的に着る着物、そして少しはオシャレな気持ちになって、年齢とは関係なく背筋がピンとなるような着物、気分が上がる着物が一番だと思っています。

そんな思いをしていたので、「KIMONO SMILE」さん、フレーフレーと応援したいですね。

個人で活動している着物関係の知り合いはたくさんいますが、大学の先輩である方は初めてです。

今年の着物サローネでは、あの近藤サトさんのYouTube番組に出演されました。反響がすごかったそうです。

きりばめ半幅帯の魅力が伝わってきます。サトさんもテンションが高い!

https://www.youtube.com/watch?v=wzLjoXcYw-Y

(1分35秒から登場)

私もペイズリー模様のコットンの半襟を記念に購入しました。

すごい先輩だな〜、と思いつつ、ギャラリーを後にしたのでした。

ホームページはこちら。笑顔になれる着物です。

    KIMONO SMILE▼

インスタ、ラインなどでも展開されています。

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この日の装い。

初対面の方にお会いするのに何を着て行こかと、ちょっと迷いましたが、骨董市で求めた濃い緑の無地の着物と、「着物お譲り会」でいただいたオレンジ色の袋帯。



上に羽織ったのは、「ろっこや」さんからアイデかをいただいた洋服ポリ生地の羽織です。





2024年11月9日土曜日

2024年10月の着物

このところ、いろいろと用事が立て込み、ブログ更新が遅れています。

2024年10月を振り返ってみると、前半は真夏のような暑さが続き、後半になり、ようやく単衣着物が着られるようになったのでした。

順不動ですが、10月に着た着物をまとめてみました。


2024年10月は12回でしたね。
ほとんどがポリか麻か木綿着物でした。

また主に通学時に着用していたので、なるべく目立たぬよう(着物というだけで目立っていますが)、地味着物にしたので、上の写真のピンク大島と赤のチエック木綿以外は、似たような目立たない色合いの着物でした。

学校に着物姿で行くときは、着物はとにかくとして、帯は地味なものを選びますね。後ろの席の人にとって、目の前に大きなお太鼓があると目障りでしょうから。

そしてようやく袷が着られる季節になりましたね。
とはいえ、厚手の木綿の着物もあるので、まずそちらを着用しようかと思っています。

そして大学に行くときは、MOZのスニーカーです。カレンブロッソの底だと、階段の滑り止めシール(?)が吸い付いて、歩きにくいのです。
大学ではうるさいことを言う人もいないので、知らん顔して着物でズックです。



2024年11月6日水曜日

大学祭に行ってみました & トホホの顛末

文化の日、私が学んでいる大学の文化祭(今はそういう単語は使わないのかな?)に行ってみました。イマドキの大学祭の様子をちょっと覗いてみたかったのと、私がどんなところへ通っているかを夫にも見せようと思って出かけたのでした。

大学のある駅に着いたらあまりの人混みにびっくり!信じられないくらいの人が集まっていました。

ところがそれは大学祭に来た人たちではなくて、「パン祭り」というイベントに来た人たちなのでした。たくさんのテントが出ていて、どこのお店も長蛇の列。

私は行列に並んでまでパンを買いたいとは思わないのですが、とにかくギューギューで歩けないほど。

それでもなんとか大学の正門に到着。写真を撮ろうとしても、人混みに流されてしまいました。

立て看もイマドキ風。

当たり前ですが、私の知っている全共闘の立て看とは大違い。

来場者は、来年の受験に向けての高校生やその家族が多かったように思いました。

模擬店が並ぶのは、どこの大学でも同じですね。

私は「スイーツクラブ」?というクラブが製作販売しているマカロンやマドレーヌを購入。丁寧に作られていましたよ。

他にも食べ物屋さんがたくさん並んでいましたが、どこも行列だし、夫はこのようなお店で食べるのは好きでない人なので、チラ見をしただけでした。

構内をどんどん歩いて行くと、一般市民のバザー会場になりました。

その中で、明治時代の和皿というのがあり、なかなか良い感じなので、2枚購入。何を乗せようかと夢が広がる淡いグリーンのお皿でした。

バザー会場を抜けて、人が少ないところまで歩きました。

こちらは体育館の入り口だったかな?

人混みを歩かされて不機嫌な夫をなだめながら、森の方へ。

一枚だけ写してもらいました。

この後、なんとか人混みを抜けて駅に戻り、ランチをする店を探したのですが、どこも大混雑でイマイチ。

仕方なく、安くてすぐ食べられそうな松屋を見つけて、お店のドアをあけたとたん、上がりかまちに足をぶつけて、ドタンと躓いてしまいました。痛くてしばし立ち上がれず。

脳裏にはどういうわけか、大谷翔平がスチール失敗して左肩を亜脱臼したシーンがよぎりました。

そして手に持っていた明治の和皿は粉々に・・・・

おまけに食事はなかなか出てこないし、おなかは空くばかり。夫は不機嫌なまま。

ぐったりして家路に戻ったのでした。

夕方、居間から見た富士山だけが救いの一日でした。