前日のブログの続きになります。
今回歩いたところは、前日の地図のオレンジ色の部分になります。
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西武拝島駅近くにある平和橋前のコンビニで昼食を調達して、また歩きました。目的地は日光橋公園です。
その前に線路上で、こちらの警告を見つけました。
立入禁止の標識でした。
これは西武拝島線の踏切にあったのですが、この先は米軍基地の引き込み線になるので、立ち入り禁止ということが書かれていました。
ここから米軍横田基地にジェット機などの燃料をタンク車で送るそうです。
横浜市の鶴見線安善駅にある米軍の貯油施設から、貨物列車が武蔵野貨物線、南武線、青梅線を通り、拝島まで来るのだとか。そしてここから横田基地へと運ばれます。
ここは戦前は陸軍の燃料倉庫として使われた場所のようでした。
私たちは、その燃料を積んだ飛行機が飛ぶのを眺めていたわけですね。
なんだか戦争が急に身近に感じられた一瞬でした。
次は日光橋でした。
きれいなアーチ橋でした。
国内で現存する最古のレンガ橋だそうです。
この橋の下を日光街道が通過していました。
八王子の千人同心が日光との往復に利用していたことで、その名前が付いたそうです。
その次はどんぐり橋。
こちらは平成に作られた新しい橋です。
このあたりには、子供向けの遊具がたくさんありました。
ここまでは雑木林のような道をでしたが、急に近代的な道となりました。今までの道は、路面が柔らかくて歩きやすかったのに、こちらは道が固いですね。
八高線の下をくぐりました。
このあたりの道は、ちょっと薄暗くて、1人では怖くて歩けないところでしたが、4人いたので、大丈夫。
こちらは私の姿です。
さて、このルートのメインの場所へ向かいしました。
「水喰土堀跡」です。みずくらいどほり、と読みます。
枯れ葉で敷き詰められた階段状のところを歩いて行きました。
下ったり、上がったり、大変なところでした。
こちらがその跡です。
今からおよそ400年前、玉川兄弟は上水を作る時、何回も失敗をしていましたが、そのうちの一つがこの水喰土でした。水が地中に吸い込まれ、工事を中止せざるを得ませんでした。
福生市の指定史跡となっていました。
ちょうどよい東屋があったので、コンビニで購入してきたランチをいただきました。
この場所は左右に電車が走っています。八高線と青梅線の走る音が、交互に聞こえてきました。
この辺りは水喰土公園となっていました。こちらが正門のようです。
名前は恐ろしいですが、きれいに手入れされた公園でした。
ここから出て、青梅線の線路際を歩きました。その踏切を渡ったところにあるのは五丁橋。
かつて五丁山という山林が近くにあったそうです。
昭和39年に架替えられたそうです。
このあたりは玉川上水緑道はなくて、住宅街を歩くことになりました。
踏切を渡ると今度は山王橋です。
こちらは人のための歩道橋です。
並んで架かっていました。
かなり大きくて新しい橋でした。長さは17メートルほどあるとか。
近くに山王大権現の石塔があるために、山王橋となったそうです。
太い水道管もありました。
また住宅地が続きました。
福生橋です。
ここは新奥多摩街道と交差するところにありました。玉川上水に架かっている橋の中では、最大の15メートルの幅だそうです。
その道を少し南に行くと、五日市線の熊川駅に着きますが、まだがんばれそうなので、その駅には行かないことにして、新奥多摩街道沿いを歩きました。
車がフツウに走る道でしたので、なんとも情緒はありませんでした。
こちらは、福生市の文化施設のようですが、名前にインパクトがありますね。
その後、青梅橋へ。
青梅街道とは別ですが、青梅橋です。
ここはまたの名前を「ほたる橋」というそうです。初夏のほたる祭りには、賑わうことでしょう。
橋の名前の由来が書かれていました。
江戸時代に上水を作るとき、作業道を兼ねて作られたそうです。
この辺りは用水には近づくことができず、普通の道路を大回りして歩きました。
牛浜橋です。
立派な橋でした。
急に風格のある橋に出会いました。
背の高いポールがありました。
この先は次回に歩くことにして、JR牛浜駅に向かいました。
五日市街道と新奥多摩街道が交差するところでした。
途中、創建600年という古い稲荷神社がありました。南北朝時代に作られたそうです。
JR牛浜駅に到着。なかなか立派な駅でした。
この日は、ここで終了。
みなさま、お疲れ様でした。
この日はかなり歩きましたね。5〜 6キロ、歩いたと思います。
通過した橋はこちら。
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「一日一句」
冬近し 友と一緒に 川歩き