2008年2月29日金曜日

モバイル


私の住んでいる市に新しい劇場ができたの。文化の発信基地になる芝居小屋というのがコンセプトのようよ。

それで、今夜はその劇場に行ってきました。

それというのも、先月、その劇の主人公である女優さんをインタビューしたのです。

この方とは妙な因縁があって、昨年の11月に仕事で北九州に行ったのだけど、彼女はその北九州の出身だったの。他にも繋がりがあって、世の中狭いな~と思いましたわ。

おまけにその女優さんを紹介してくれた翻訳者の方が、ボランティアでもぎり嬢をしているのです。

またこの劇場はかの有名な安藤忠雄さんが建築した建物なのよ。

もう一人のヒロインは、かつてテレビで活躍していた岡まゆみさん。

というわけで、どうしてもその劇を見ておかなければね。

今回の劇はスペイン人の書いた「モバイル」という現代劇。
登場人物はたった4人で、その4人ともが携帯電話を話しながらお芝居をするの。

とにかく信じられないほど膨大なセリフ。
どうやって覚えたのかしら、と想像すらできないほどの量なのよ。

私がインタビューした女優さんって、とてもスレンダーできゃしゃな人だと思っていたのだけれど、舞台に立つとすごく大きく見えるのよね。
女社長という役柄になりきっているのよね。すごいわ。

劇の中では例の4文字言葉とか、かなり汚い言葉が使用されていたので、ちょいと違和感があったわね。

そういう劇ってあまり見ることがないのだけれども、まあ見聞を広めるにはいいチャンスよね。

芝居は2時間30分の上演だったのだけど、途中の休憩で、なんとロビーではワインがふるまわれたの。
この劇場は市が運営しているのだけれど、粋なはからいよね。

舞台がはねてから、その女優さんにご挨拶。

ラジオ番組の音声をCDに入れて、似顔絵をつけてプレゼント。
喜んでいただけたみたいでよかったわ。

ISセミナー


今日はね、私の所属している研究室で発表会があったの。

「ISセミナー」と言って、毎年2月の終わりか3月の最初にあるのだけれど、もう15回も続いている発表会です。

「IS」の意味はInformation Systems というのがここの大学院の名前だからなのです。

研究室にいる修士、博士、研究員、教授、准教授、関係している研究者の方が1人15分ずつくらい発表するの。

もちろん内容は専門的な話ばかりなのだけれど、私も身近にいる人たちがどんな研究発表をするのか興味があるので、ちょいと覗いてみました。

順番は若い順よ。

最初の学生は、ラット(ねずみ)の脳みそを切り開いて、そこを冷たく冷やしてまひさせた時、ラットの運動はどうなるか?という恐ろし~い実験のお話。

私はそのラットを購入するための伝票を見たことがあるのだけれど、1匹2,000円もするのよ。

どうしてそんな可哀想な実験をするかというと、こうやって冷却することによって、神経の伝達が遮断されるのが分かり、そして温度を元に戻したときに以前と同じようになるなら、神経を切断しなくてもいいじゃない、という理由だそうです。

まあ、実験はうまく行ったそうで、次はサルで実験を試みるのだとか。
カットされるよりはクールにされるほうがまだまし、ということかな。

2番目の学生は、運動のばらつきをみるという実験。
これは前に私も被験者になったのよ。

どういう実験かというと、ゲームのコントローラーを持たされて、画面上にある1センチくらいの幅のところをずれないように、反復横とびみたいに動かすというもの。

でも、私なんか、ゲームをしたこともないし、コントローラーを触ったこともないので、全然実験対象の数値にもならなかったみたい。
まあ、そういう実験から何が分かるかというと、ある条件を変えたときに、人間はどういう反応をするかということらしいの。

でもさ、人間っていつもいつも同じ反応をするわけじゃない。いいときもあるし、悪いときもあるでしょ。
そこを平均を取って数値で表す、というほど、単純じゃないよね、と突っ込みたくなりましたわ。
常に同じ結果がでるなら、それは人間ではなくて、ロボットですよね。

3番目の学生は人間がものをキャッチする時、目を開いている場合と、目を閉じている場合、その腕の動きがどう変化するかとう実験成果を発表していました。

いろいろ取り組んだみたいだけど、結局、変わりはなかった、というのが結論だったみたい。

この実験は、机の上で、右手をまず体の左の前に置いて、そこから右前方に62センチ離れた場所にあるものを取る、という実験。

私なんかさ、そういう実験もいいけれど、どうせなら、好きな女の子の手を握りたい時に、明るい場所と暗い場所では手の動きはどう違うのか、なんてことを調べたほうが面白ろそうなんて、思ったりしたわ。

4番目の学生はちょいと気になる実験でした。

「アイコンタクト」と言う言葉があるけれど、「人は自分の顔のどこを見られたときに、相手から見られたかを認識するか」というのがテーマ。
つまり、おでこを見られたとき、あるいはほっぺを見られたとき、目を見られたとき、どんなときにアイコンタクトを知覚するかということ。

これなんかさ、好きな人に見られたときと、好きでもなんともない人に見られたときじゃ、全然違うと思わない?

それとこの実験は2人の間が60センチ離れて実験したそうなんだけれど、でも実際にはもっと何メートルも離れていても、見つめられたかしらと思うときと、そうでないときがあるでしょ。

おかしいのは、この実験は男同士でやっているの。
2人が実験室で向き合って、目を見たり、鼻を見たりしているのって、想像するだけでおかしいわよね。

いちいち文句ばかりつけてしまったけれど、でもね、私は彼らとは去年の夏に一緒にお勉強をした仲なの。

そのときは「プレゼンテーションの有効な方法を学ぶ」という研修だったのだけど、私も専門知識なんかないのに、図々しくお邪魔して、おまけにいろいろ質問したりして、変なおばさんと思われたことでしょう。

でもそこは、ラジオのインタビューで鍛えた技と、年の功で何とか逃げ切りましたけど。

その時から半年たって、すでにドロップアウトして退学してしまった学生も2人いたけれど、残った学生は自分なりの問題意識でちゃんと発表できて、良かったわ。

この後も発表会は続いていました。

でもあまりに専門的な研究は私には分からないし、お仕事中だったので、まずは午前中の修士の学生さんのまとめをしてみました。

「人間情報学講座」って、こんなふうにいろんな研究を自由にしているのよ。

面白そうだなと思ったら、来年の文化祭にでも来てみて下さいね。

2008年2月28日木曜日

読書室 4 神経の働き


私が仕事をしている研究室のサーバーが壊れている。

そこのサーバーにつまらない駄文をあげているのだけど、当分、陽の目を見ないでしょう。というので、ちょいとこのブログにお引越しをしてきました。

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◆学習図鑑:からだのひみつ 神経のはたらき◆


図鑑の掲載サイトはこちら

◆ この本を選んだ理由 ◆

脳やニューロンのことをわかりやすく書いた本を図書館で探していたの。もちろん私が探しているのは、子どもコーナー。
とにかく図がたくさんあるのがいい。

と思ってこの図鑑を選んだのだけど、絵は多いのに、内容はとても高度。

それもそのはず。原書はスペインで書かれたもの。カハール先生の後輩が書いたのかしら?
イラストもスペイン人の手によるの。だからちょっと日本人には風変わりな感覚があるかな。

◆ この本の監修者紹介 ◆

この図鑑は、大利 昌久先生という熱帯医学の専門家が監修しているの。

先生の経歴を見ると、1979~1981年当時はケニアで外務省医務官として勤務していたんですって。
まさにちょうどその3年間は、私がナイジェリアに滞在していた期間。

ナイジェリアにも医務官はいらっしゃったけど、精神科のお医者さんだったの。
そのため、現地の日本人の病気にはあまり役が立たず、重病になれば、仕方なくロンドンの病院に入院という時代でした。

大利先生のような方がいらっしゃったらなら、どんなに心強いことだったでしょう。

大利先生はその後も世界のあちこちで診療している様子。

とまあ、その先生が学習図鑑の監修をしている本です。

◆ 図鑑の内容簡単紹介 ◆

からだが寒さを感じると、それに反応してぶるっと震え、鳥肌が立つことってあるわね。
それに応じて慌てて服を着て、ストーブをつけたりする。
このような反応はどのようにして起こるのかしら?

からだの外の情報は、「受容器細胞」という細胞の中にある「レセプター」と呼ばれる特別な器官で分かるようになっているんですって。

これらの細胞で、外からの刺激が電気的信号(インパルス)に置き換えられるらしいのよ。

このインパルスは神経中枢に伝えられるそうよ。

神経中枢では、インパルスは感覚にかえられ、意識的または無意識的に適した反応が選ばれるそうよ。

それからまた別のニューロンを伝わり、あらかじめ一定の行動が決まっている「奏効体器官」へ伝えられるんですって。

つまり身体の仕組みというのは、外からの刺激→感覚→反応というコースをたどるのね。

◆ 神経細胞(ニューロン)のしくみ ◆

神経系はニューロン(神経細胞)とグリア(膠細胞)からできているそうです。

ニューロンは神経インパルスを作り、それを伝えるのがお仕事。
グリアはニューロンを保護し、栄養を与えるのがお仕事。

ニューロン体からは樹状突起と軸策が伸びているの。
神経インパルスは樹状突起を通ってニューロン体に届く。

樹状突起は短く、元でいっしょになっていて、先のほうは木の枝のように分かれている。
その絵はどこかで見たことがあるでしょう。

神経インパルスはニューロン体から軸策を通ってほかのニューロン体や組織へ伝わるというの。
軸策の長さは数センチから1メートルまでいろいろあるそうよ。

軸策は「ミエリン」というもので覆われていて、これはいくつかのグリアからなる「シュワン細胞」というものでできているというの。

この覆いはつながっていないで、ところどころ「ラヴィエ間鞘」という隙間があいているんですって。

ニューロンは灰色だけど、ミエリンは真っ白。

そのため、ニューロン体が集まっている神経系を灰白質、ミエリン鞘をまとった神経線維が多いところを白質というそうです。

ニューロンはたがいに結びつき、複雑なネットワークを作っていて、それにそって体のある部分から別の場所へと情報が伝わるんですって。

コンピュータの集積回路と似ているそうよ。

でも、どうしてインパルスというのが起こるのかしら。

インパルスは細胞膜の内外の電気的、化学的変化(信号)なんですって。

いずれにせよ、神経インパルスはなんらかの原因で細胞膜の透過性が変化したときにはじまるそうよ。

それによってプラスイオンが細胞内部に入ってくる。

この刺激が強いと、ニューロン内部のプラスイオンの濃度は細胞内外の電荷が逆になるまで増える。

この過程を脱分極とい、プラスになった電荷を活動電位というそうよ。

活動電位が神経細胞内でつくられると、細部膜付近で電流が発生する。
この電流は軸策の伸びた方向にそって神経インパルスを運ぶ。
軸策の直径がふといほど大きく、早く運べる。
ミエリン鞘に包まれた軸策ないでは神経インパルスはもっと速く伝わる。これを「跳躍伝導」というそうですけど。

うーん、このあたりの説明は、私には難しくて、よく分かりませんでしたわ。

◆ 神経インパルスの旅 ◆

ニューロンをたどって体中を動く。でも、それぞれのニューロンは直接にはつながっていないのよね。

それらの間には小さな隙間があって、インパルスの伝達はかなり複雑みたい。

インパルスが軸策の先端まで達するとシナプスという接続部を通ってジャンプするの。
二つのニューロン間の伝達は、伝える側のニューロンの軸策の先と受けて側のニューロンの樹状突起で行われるんですって。

ニューロンからニューロンへの神経インパルスの伝達は神経伝達物質という化学物質によって行われるそうよ。

神経伝達物質は軸策の先にあるいくつもの小さな袋に蓄えられているんですって。

それが隣のニューロンの膜にうつり、そこで受容器と呼ばれる分子と結びつく。
これにより受容器側の細胞膜に変化が起こり、神経の伝達が続けられるということです。

この接続部であるシナプスさん。

この伝達にも「刺激的なシナプス伝達(袋は長い)」と「抑制的なシナプス伝達(袋は丸い)」というのがあるらしいの。

ということが分かるのは、顕微鏡でその形が分かるかららしい。すごいものです。

私たちが「あっ」と思う瞬間には、シナプスで袋から化学物質が飛び出ていただなんて、知っていました?

◆ こんなこと、習わなかったぞ ◆

ミエリン、ランヴィエ節、とかいう単語をはじめて知ったわ。

小学生向けの図鑑とはいえ、侮れないわよね。

あなたはこういう単語を知っていましたか?

大昔、大学受験で生物を選択したが、受験勉強をしたときもランヴィエなんぞ記憶にない。
単に忘れただけなのか、それとももともとインプットされていなかったのか、今となっては調べる方法もないわね。

◆ もっとお勉強しましょう ◆

この図鑑にはニューロンの仕組みだけではなく、末梢神経のこと、自律神経のこと、大脳のことなどとても詳しく書かれていました。

またこの図鑑は全9巻からなり、骨や血液、消化器、筋肉のことなども説明してあるの。

もっとお勉強しましょう。

2008年2月27日水曜日

FMデー


今日は朝から一日、FMに関係したことばかりをしていました。

午前中はあまりにも風が強いので、部屋にこもって、収録済みの音声を編集作業。

たった12分の番組を編集するのにも、2時間も費やしてしまったわ。
それというのもこの収録はだいぶ前にしたものなので、改めて聴きなおしたりして時間がかかってしまったの。

午後からは市の施設にある編集室に出向いて収録。

今日のお客様は、私たちの住んでいる市役所のお役人さん。

どうしてそういうゲストかというと、この市役所では環境問題に取り組んでいて、その一環として市役所の建物にかかる光熱費を大幅に削減できたという理由で、経済産業省の省エネルギーセンターというところから「金賞」を受賞したという話があったので、それをお聞きしたの。

この市庁舎は昭和46年建築というので、かなり古いし、施設も当時のものなので、光熱費もすごくかかっていたそうなんですって。それを○○電力と共同で新しいものに切り替えた結果、年間2,000万円ものお金が削減できたそうです。

へー、そんなこと全然知らなかったわ。
エアコンをガスのものから電気のものに変えたり、エコキュートという給湯器に変えたりしたんですって。
そしてお金だけではなくて、CO2の削減も味の素スタジアム6個分、植林した場合と同じになったんですって。

そういうためになるお話をしていただきました。

安くない市民税を払っている立場としては、税金は有効に使ってもらいたいわよね。

お役人というとちょいと固定観念があったのだけど、とてもやる気のある人だったし、かなり本音のことを話していただけました。

収録の後は、場所を移して、メンバーとミーティング。

今後のゲストのことやあれこれ討論しましたけれど、おばさん集団だから、話があちこち飛ぶのよ。

でもゲストの方が経営しているおいしいお店に行く相談をしたり、楽しい時間でもあります。
いつもはMLで連絡をしているので、やはりたまには顔を突き合わせていろんなことを話す必要があるの。

ミーティングの後はFM放送局まで出向いて、そこの編集責任者の方と話し合い。
このFMも4月には開局10周年となるので、いろいろと番組の見直しもしているみたい。

そこで私たちの番組について、お褒めの言葉をいただいちゃったの。

「アナを一度も開けずによく続いている」

「幅広いゲストを呼んでくる人脈はすごい」

ふふ、今までFMの人にこんなふうに褒められたことはなかったので、嬉しくなっちゃいました。

何の金銭的見返りもないのに、よく5年間も続けていて、我ながら「お馬鹿さんだなぁ」と思うこともあるのだけれど、少しは認められたようで、ほっとしました。

夜になってようやく帰宅。

そしてミーティングの報告と、新しいゲストへの対応。

今日は、本当に一日中、FMデーでしたわ。

2008年2月26日火曜日

オフの日


昨日、あまりに肩と首が痛いので、はり治療をしてきたんだけど、やはり他力本願ではマズイと思って、今日は筋肉を強化するために、朝からスポーツクラブでトレーニングをしてきました。

足が弱らないようにステップ台を昇降するトレーニング、音楽に合わせたエアロビ、それにジョギングを1.5キロほど。

こういうトレーニングって、直接、肩や首に効くのではないけれど、全身に筋肉をつければ、肩や首のこりも治るかなと思ったの。

帰宅して今度は母をショートステイに連れて行く。
今回は4泊5日のステイです。
昨年の12月にもお泊りをしたところなのに、もうすっかり忘れているの。

私自身も最近はいろいろなことを忘れることが多いのだけど、でも2ヶ月前のことも忘れてしまうなんて、情けないな。
私もあと何年かしたら、母のようになってしまうのかしら、と思うとちょいと怖いわ。

写真はショートステイの施設に飾ってあったお雛様。

さて、毎週火曜日はフリーの日。

映画「陰日向に咲く」を見てきました。
これって、原作は劇団一人の本だそうです。
コミック路線なのか、深刻ものなのか、初めはちょっと分からないのよね。

登場人物が数人いて、それぞれ冴えいない人生を送っているのだけれど、それぞれが不思議な繋がりがあるの。人生の微妙なところをうまく描いていたわ。

Mさんのブログに「結末がうまく繋がっている」と書いてあったので、そのつもりで見ていたの。
だから岡田准一君と三浦友和が親子だろうということは途中から想像できました。
でも岡田君があのストリッパーの実のこどもだった、というのはちょいとできすぎかな。
それに私にとって三浦友和というのは、いまだに百恵ちゃんのだんなさん、というイメージが強いのよ。
どんなに彼が立派な役者になっても、百恵ちゃんの影がついて回るのは、可哀相ね。

それとね、若いときスレンダーだった男は、絶対に太ってはダメです。
自分のことは棚に上げて言うんだけど、若いときの体型をキープできない男はダメ。
昔から太っていた男の人なら納得がいくのだけれど、中年になってから太る男は、私の中では許せないの。
西田敏行みたいに昔から太っている人なら気にならないのだけれどもね。
だから三浦友和も痩せないとダメよ。

それとね、私としては岡田君よりも、塚本高史(でしたっけ?)が好みです。

それにしてもヒロインの宮崎あおいって、今、篤姫をしている子でしょ?
芸達者かもしれないけれど、ちょいと幼すぎ。
「戦艦大和」にも出ていたかしら?
それよりも平山あいちゃんが可愛かったわ。

役者さんって、台風の場面ではずぶぬれになり、顔にはパイを投げつけられたり、死人の役をしたり、ほんとうに大変なのね。

私たちの実際の人生を見渡してみても、いろんな偶然が意外な結末を招く、ということは往々にしてあることですよね。そういうところが身にしみる映画でした。

久しぶりに浅草にでも行ってみたい気分になりました。

こちらの写真は母がお泊りをしているショートステイの施設で写しました。

利用しているお年寄りが折り紙で作ったお花です。とてもきれいなので、一枚写してきました。


2008年2月25日月曜日

はり治療


肩こりと首が痛くてたまらない。
普通なら一日寝れば治ってしまうのに、今回は鼻風邪を引いてしまったせいか、全然、治らないの。

娘に肩をもんでもらったり、マッサージ器であちこちモミモミしてもダメなの。

今日はヨガの日なんだけど、ヨガをしたくらいでは治りそうもないのよ。

それで藁をもつかむ思いで、はり治療に行ってきました。
場所は○○銀座の中ほどにあるところ。

最初に問診をして、そして個室に。
私の治療をしてくれるのは、なんと若くて口ひげの生えたお兄さんだったの。
えー、女の人のほうがいいんだけどな、と思ったけれど、仕方ないわ。

手術服のようなものに着替えて、ベッドにうつ伏せになるようにとのこと。
言われるままにベッドに寝ます。暖かくて気持ちいいのよ。

お兄さんは手術服の背中にあるファスナーに手をかけ、「では、開けますよ」とそっとファスナーをおろすのよ。なんだか恥ずかしいわ。
そして背中を優しくもみほぐしてくれるのだけど、うーん、いい気持ち。

お兄さんは肩甲骨の辺り、首の付け根に何箇所もはりを打っては、もみほぐしてくれるの。
背中のあたりもゆすってくれて、気持ちいいわ~。

私の場合、仕事でもパソコンとにらめっこ、ラジオの音声を編集するのもパソコン、そしてこうやってブログを描くのもパソコン、とパソコンの前にいる時間が長いので、肩や首がこるのは半分は仕方がないのよね。

それに近視、乱視、老眼という三重苦。
めがねをかけていると疲れやすいし、かけていないとよく見えない。
ほんとに目には苦労が多いのよ。

おまけになで肩で首が細くて短い。そこに重い頭が乗っているのだから、支えるのも大変。肩こりは当然の結果よね。

最近は寒い日が続くので、ついついタートルネックのセーターを着てしまうのだけど、これが曲者で、そういう形のセーターを着ると、首が締め付けられてすごく肩がこるの。

また私はいわゆるネックレスというか、チョーカーというか、首にまきつく感じのアクセサリーはまるで苦手なの。お出かけのときなど仕方なくつけることがあっても、帰宅したらすぐにはずしてしまうほど、ダメなんです。

それもこれも、みーんな肩こりが原因。

お兄さんは肩のもみほぐしが終わると、今度は腕にもはりを打ってくれたの。腕をまげたあたりと、手首の辺りでした。

そして次は仰向けになって、足と手をもみほぐし。足首とひざの辺りにもはりを打ってくれたわ。

私の症状は肩こりだけだと伝えたのだけれど、こんなに全身をマッサージしてくれるのは嬉しい。

そして頭ももみほぐしてくれたし、もう言うことありませんわ。

はりとマッサージで〆て60分。これで6,000円は安いのかしら。

でもまだ完全にコリが取れたわけではないので、「できたら2週間に一度くらい、いらっしゃるといいですよ」と言われたけど、毎回6,000円では財布がもたないわ。

何とか自力で治したいな。

暖かいお風呂に入ってゆっくりと寝られればいいのだけれど、朝は早いし、夜は遅いし・・・・。

私には腰痛はないし、頭痛というのも経験したことがないのだけれど、この肩こりと首こり(?)だけはなんとかしてほしいな。


読書室 3 山口さん


私が仕事をしている研究室のサーバーが壊れている。
そこのサーバーにつまらない駄文をあげているのだが、当分、陽の目を見ないだろう。というので、ちょいとこのブログに引越しをしてきた。

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◆「視覚世界の謎に迫る」脳と視覚の実験心理学 ◆ 
 山口 真美著
 2005年 講談社ブルーバックス


◆ この本を読むようになったきっかけ ◆

ある日、いつものように本屋でぶらぶらとしていた。
何か、面白そうな本はないかなと新書の棚を見ていると、うら若い女性の書いた視覚の本が目に付いた。

中をパラパラと眺めると、可愛いイラストがたくさん盛り込まれている。
これならすらすらと読みやすいのではないか。
顔の認識ということが書かれている。すぐに人の顔を忘れてしまう傾向のある私は興味があったので、買うことにした。

◆ この本の面白かったところ ◆

山口真美さんの科学的な説明によると、顔を見た量により認識が深まるという。
そりゃ当然だ。何回も飽きるほどみていれば、顔も覚えるというもの。

顔認識空間モデルというものがあり、中心に軸がある。
何回も見た顔は中心に配置されるという。
その中心に近い顔ほど認識が良くできるという。

たとえば日本人にとって日本人と韓国人の区別はつく。
顔のどこがどのように違うのかと言われてもよく説明ができないが、微妙なところで違いが分かる。
ところが我々日本人にとって、ドイツ人とスイス人の区別はつくだろうか。
イタリア人とスペイン人の区別はつくだろうか。多分できない。
日本人にはできなくても、きっとユーロの世界にいる人たちには簡単に判別できてしまうだろう。

私は以前、ナイジェリアに住んでいたのだが、周りは黒人だらけだった。
住んでしばらくのうちは、誰が誰だかまるで区別が付かなかった。

自宅には使用人がたくさんいたが、ある黒人に給料のことを説明しても、また何回も尋ねてくる。
さっき話したのにと思うとこれがまるで別の人間なのだ。

それでも数ヶ月すると黒人の区別が付くようになり、黒人の中でもハンサムな黒人、美人の黒人、そうでない黒人などが分かるようになってきた。
それは見る量が増えて、黒人が認識モデルの中のほうにきたのだろう。

またナイジェリアにはイボ族、ヨルバ族などたくさんの民族に分かれているのだが、そのうちにこの人はイボ族の人だろう、ということまで分かってくるようになった。
種族によって背の高さや顔の形に違いがあることがわかるようになってきたのだ。
つまり山口さんがいうように、学習をしたわけである。

それでも私にとって不思議なのは、ユダヤ人のことである。
ある白人がユダヤ人であるかどうかはどのようにして区別をするのだろうか。
ユダヤ人迫害というが、白人にとってはどの人がユダヤ人であるか否かは、簡単に見分けられるのだろうか。

◆ 怖い病気 ◆

顔の認識ができない欠陥を持つ人がいるという。
相貌失認という難しい言葉があるらしいが、脳卒中などで人の顔が分からなくなる障害があるという。
そのような人は、人ごみで待ち合わせをするときには、顔が分からないので、服の色で相手を判別するらしい。

反対に顔だけが分かるという障害があるという。
面白いのはトランプのカードを見せると、それがトランプだとは分からなくてもキングやクイーンなどの札を見ると、「これは顔だ」と分かるらしい。

それから馬鹿げた質問であるが、たとえば猫などはどうなのだろう。
「この猫は私のお友達の猫」、「こいつは嫌いな猫」という判断は猫同士、顔を見て判断するのだろうか。
あるいは臭いやしぐさなどで判断するのか、猫に聞いてみたいものだ。

◆ 赤ちゃんの研究 ◆

山口さんの研究で面白いのは、生まれて間もない赤ちゃんの研究を数多くしていることだ。

その中でも、赤ちゃんというのは男性と女性をどのようにして覚えるのか、という研究。
赤ちゃんは初めはお母さんの顔を見ることが多い。
つまりまず女性の顔を覚える。
そのうち、お父さんつまり男性の顔を覚える。

実験すると、赤ちゃんは12時間以上、お母さんの顔を見ると、お母さんの顔を好きになるらしい。
そこで父親がよく面倒をみる家ではどうなのか、別の実験をしてみた。
するとやはり赤ちゃんは初めにお父さん、つまり男性の顔のほうがなじみが深くなる。
つまり男性の顔から学習が始まるというのだ。

また赤ちゃんは笑った顔が好きだという。
たしかに赤ちゃんに接するときは誰でもにこにことしている。
それで怒った顔をすると驚くらしい。

ただしこの脅しも小学生くらいまで。
それ以上になると、親の怒った顔も覚えてしまうので、怒っても効果が少ないかもしれない。

赤ちゃんの研究も面白いが、もう少し年かさの幼稚園児の研究も面白い。
つまり彼らにとっては同じ人間でも帽子をかぶったり表情をかえたりするだけで、同じ人だと分からなくなるという。
それだけ人の顔を見る経験が少ないからなのだろう。

よく犯罪で子供の目撃者はどの程度、信憑性があるかという話があるが、やはり経験が少ない幼児では無理なこともあるようだ。

ところで私たちは普通、人の顔を判別するときに、前向きの顔でも横向きの顔でも、それが誰であるか分かる。
そんなことは当たり前だと思っていたが、それが結構難しいことだそうだ。

また笑っている顔でも、怒っている顔でも、それが同一人物だとすぐ分かるのも、科学的に説明するのは難しいことらしい。

◆ 山口さんの関係サイト ◆

山口真美さんのインタビューページはこちら
顔についてのインタビューが盛りだくさん。気軽に読める。

山口真美さんの研究室のページはこちら
赤ちゃんの脳の発達や、実験方法、あるいは赤ちゃん募集が分かりやすく書かれている。

2008年2月23日土曜日

東京見物


日本を離れて30年以上過ぎ、もはや「変な日本人」と化している来日中の妹と、80年以上前は銀座を闊歩していたのに、今ではまるで外を歩けなくなっている母を連れて、東京見物をしてきた。

朝からよく晴れて、おまけに4月並という暖かさ。厚い上着は脱ぎ捨てて、軽いジャケットで出かける。
たまには親孝行もしなくちゃね。

母を車椅子に乗せて、妹と3人でタクシーに乗り込み、浜離宮まで。

ところがこのタクシーの運転手さん、まるで道を知らなくて、ナビがあるのに、浜離宮までうまくたどり着けない。
東京の地理には30年以上も知らないはずの妹が、「そっちじゃない、こっちですよ」と言う始末。
というので高速道路代も含んだので、タクシーに12,000円も支払ってしまった。

まあ、それでも東京のいろんなビルを見ながら走ってきたので、それでもいいか。

ようやく浜離宮恩賜公園にたどり着いた。

入園料を支払うところでは、牡丹が咲いていた。
大人は300円、シニアは150円でした。

寒い国で暮らしている妹は、冬に花が咲いているのを見ると興奮する。
「どうして2月なのに、花が咲いているのよ!」

さすがに私も牡丹が咲いているのを見たらぎょっとしたが、そんなに興奮しないでよ。

浜離宮の中を少し歩くと、300年松という老木が横たわっている。
すごい生命力。
徳川四代将軍のときから生きているそうだが、あと何百年も続きそうな大木でした。












お庭はちょうど梅の季節。
今年は冬が厳しかったので、梅もまだ満開とはいかない。
でも白、ピンク、赤といろとりどりの梅がとても可愛らしい。
モデルさんの撮影会もしていた。

お庭は広々としていてとても素晴らしい。
徳川の将軍様の離宮ということで、当時の将軍様は海のほうから船でやってきたそうで、その船着場跡というのもあった。
徳川家最後の将軍、慶喜さんが大阪から江戸まで船で戻ってきたときも、この浜離宮に着いたらしい。






そんなお庭を車椅子を押して歩く。
木の根っこや砂利道などは押すのも大変。

それでも妹と二人でなんとか母を連れ出すことができたので、冥土の土産にいいんじゃないかな。















浜離宮はその庭園も素晴らしいのだけど、なんといっても周囲の超現代的なビルとのミスマッチが面白い。
のんびりお散歩をしながら、大東京の街も味わえる。

いつもは異国の大都会で働いている妹にも、東京の良さを堪能してもらいたかったが、とても喜んでいて、誘ってきた甲斐があった。



こちらの写真は浜離宮で販売していた絵葉書をスキャンしたもの。
春の桜、秋の紅葉のシーズンに来るのもいいみたい。







途中、中ノ島というお茶席でお抹茶をいただく。
さすがに外国人観光客も多くいた。







お菓子は季節に合わせて、うぐいすでした。






このお茶席で、シニアのカメラマンという方とおしゃべりをした。
足の悪いおばあさんと、日本を離れて数十年と言うちょいとおかしい組み合わせだったので、目立ったのだろう。
その人の写した絵葉書までプレゼントをしていただいた。

その写真がこちら。
今年の初めの雪だそうだ。
椿がきれい。

クロサワさんとおっしゃいました。どうもありがとうございます。
スキャンしたのを、私のブログに使わせていただきました。


浜離宮を十分堪能した後は、銀座生まれの銀座育ちという母に今の銀座を見せてあげようと思い、八丁目から四丁目まで車椅子を押しながら歩く。

どこにいるのか分かっているのか分かっていないのか、きっと様変わりした今の銀座は、記憶に残っている銀座とはまるで違うのだろうな。


途中、妹が昔、働いていたという松坂屋の近くで、可愛いお店見つける。

外国の人にはきっと喜ばれるようなお雛様や小物をたくさん売っていた。






かなり歩いたのでお昼時間も過ぎてしまったが、車椅子なので、どこの店でもOKというわけにはいかない。
おまけに日本食を食べられるのは明日限り、という妹の満足も満たさなければならない。

というところで、皇居の近くまでずっと来てしまった。

ちょいとおしゃれな定食屋さんを見つけたので、そこに入ることにした。
皇居を目の前にして、ガラス越しに食事をするのも悪くはない。


妹は海外にいては絶対に食べることができない、という「ほっけ定食」をむさぼっていた。
なんでもドルに換算する癖がついていて、「わぁ、これがたったの7ドル」とか「10ドルでこんなにおいしいものが食べられるなんて、日本人はずるい」とか、のたまう。

そんなこと言ったって、仕方ないよね。
でも日本人は食に関しては恵まれている人種だと思う。
清潔でサービスもよく、チップもいらないお店で、世界中のいろいろな食べ物がいただけるんですもの。


東京見物の最後はお堀の前にできたペニンシュラホテル。
ここは私の好きな香港に本店のあるホテルだが、最近オープンしたてなので、見物客の多いこと!
アフタヌーンティーを求めて、若い女性が長蛇の列になっていた。

そして帝劇前まで歩いて、タクシーで帰宅。
このタクシーは下町の運転手さんだったが、道をよく知っていたので助かった。

たまの休みだったけれど、お天気もよく、昔の東京しか知らない母と妹が楽しんでくれて、私も一安心。

次に3人揃っての外出はいつになるか分からない。
おまけに今日の東京見物のことだって、いつまで母が覚えているかも分からない。

でも、貴重な時間を共有できて、それはよかったと思っている。

2008年2月22日金曜日

読書室2 カハールさん


私が仕事をしている研究室のサーバーが壊れている。
そこのサーバーにつまらない駄文をあげているのだが、当分、陽の目を見ないだろう。
というので、ちょいとこのブログに引越しをしてきた。

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「脳の探求ラモン・カハール」
萬年 甫著 中公新書 1991年発行


◆この本を読むようになったきっかけ◆

脳についての子供向け絵本を読んでいた。その本は小学生と思われる少年少女3人の質問に脳博士が答えていく形式。
その博士の名前がカハールだった。 カハールWHO? ということでGOOGLEでカハールを検索すると、カハール博士は実在の人だった。
なんとカハール博士は脳学者であり、ノーベル賞受賞者であった。

研究室の助教授にカハールの名前を尋ねたところ、彼の名前を知らない研究者はもぐりの研究者であるくらいの有名人であるという。そうだったのか!
おまけにカハール博士のことを書いた本が新書であるという。新書ならすぐにでも読めそうだと思い、図書館へ出向いた。本は図書館の地下倉庫に保管されていた。そして借り出しをして読み出したというのが事の始まりである。

◆本のあらすじ◆

一言で言えば、この本はスペイン生まれのラモン・カハールSantiago Ramon y Cajalの伝記。
彼の出生から子供時代、学生時代、青年時代、博士としての82年の生涯を萬年甫という東大の脳解剖学の教授が書いた本。
伝記とはいえ、本の中には神経細胞についての学説やスペインの政治的背景も書かれていて、そういうことに興味のない人にはとっつきにくいかもしれないが、カハールのエピソードもふんだんに盛り込まれているので、意外と読み易い。
またカハールが描いた繊細な図や写真も随所に見られるので、読んでいて退屈はしない。

◆カハールの一生◆

カハールはフランス国境に近いピレネー山脈の麓にある辺鄙な村で19世紀中ごろに生まれた。
当時は日本では江戸時代の末期。ちょうどペリーが浦賀に来航した頃である。

カハールの父親は外科医だった。彼はかなりの教育パパで、カハールが4歳の頃からフランス語を教えたという。
このことはカハールが学者になって、研究論文を発表するときに、スペイン語ではなくフランス語で発表したおかげで、世界的に認知されたというから、父の教えが役立った。

カハールは小さな時から絵を描くのが大好きで、父の目を盗んでは絵を描いていた。この絵は描写が正確、かつ緻密である。
彼の描く絵は人物、岩石、樹木、野菜、動物など絵が上手であるということも、やはり後年の組織学に大いに役立った。

カハールは子供の頃はかなりの悪ガキで、11歳の頃には悪さのせいで牢屋に入れられたこともあるという。
父にはいつも鞭打ちをされていた。
外科医の父は息子を医者にさせたかったが、カハールは芸術の道に進みたかった。父はそんな息子を床屋や靴屋に見習い修行をさせた。
カハールは器用なため、靴屋でも立派に働いた。

そんなカハールだが、16歳になって化学や博物学を学ぶようになると、突然、まじめな学生になった。
その後、サラゴサの大学で勉強をはじめ、その傍らで父の手伝いとして解剖図を描くようになったが、その絵はとても美しい。
またカハールは学生の頃から哲学に関心が深く、後に書くエッセイにも自然哲学の分野がかなりあったという。
また文学にも親しみ、当時のユーゴーやジュール・ヴェルヌ(世界一周)を読みふけり、自分でもSFっぽい小説を書いたという。
スポーツで身体を鍛えることにも興味を持ち、胸囲が112センチもあったという。

その後、カハールは軍医としてスペインが戦争をしていたキューバに22歳で渡る。
そのときが生まれて初めて海を見たときであった。
しかしカハールはキューバでマラリアにかかり、帰国後もその後遺症として喀血して結核にかかった。
彼の20代半ばまでは沈んだ人生だった。

その後、カハールは故郷に帰り、健康も取り戻し、サラゴサ大学で解剖学の助教授となった。

その頃、彼の心をとりこにしたのは顕微鏡である。なんと24時間連続で顕微鏡をのぞいていたという。
顕微鏡で生物の組織を観察するときには、その対象物を染色して周囲のものから浮き立たせるのだが、彼は独自の方法で観察をした。

最初の論文を書き上げたのは28歳のときであった。一応安定した生活ができるようになったので次は結婚である。
カハールが書いた若い研究者向けのエッセイに面白いことが書いてある。
それは「学者の妻」についての意見である。

カハールによれば女性には理知型、裕福型、芸術型、勤勉型の4種類あって、学者が妻を選ぶときは「勤勉型」を選ぶべき、という。
「順境にあっても逆境にあっても、常に学者のよき伴侶である女を妻とするためには家庭的で謙虚で、肉体的にも精神的にも健康で楽天的で気立てが良く、夫を理解し、その力になるのに十分な教育があり、愛情にあふれていて、簡素な生活に満足し、社交や虚栄を望まない女性が、学問を養い育てるために好都合」と書かれている。
ずいぶん都合がいいが、彼の妻はその理想にぴったりで、生涯6人もの子供とともに幸せに暮らしたという。

さて結婚もし、32歳になると今度はバレンシア大学の教授となった。
ただし大学での給料は安いため、課外授業を行い、研究費の足しにしていた。

当時、スペイン全土にはコレラが流行して、コレラ菌の研究にも携わった。
この頃から彼はたくさんの論文を書くようになり、また"Doctor Bacteria"というペンネームで雑誌にエッセイも掲載した。
かれは細胞がいかに魅力的であるかを書いている。
その文章は非常に哲学的で、また詩のようでもある。

またカハールの論文がヨーロッパの他の国でも認められるようになると、彼の愛国心は増してきた。
当時、彼は睡眠術にも凝っていたようで、非常に趣味の広い研究者だったようだ。

さて次の任地はバルセロナ大学である。
だんだん出世をしてきて、自宅には研究室や実験動物を飼う余裕もでてきた。

その頃、神経細胞についての論争があり、神経細胞の軸策の先端には網があり、この網を通して伝達が行われるという網状説が有力であった。
しかしカハールはこれに反してニューロン説を唱えた。つまり神経の興奮は網を通して伝わるのではなく、
神経線維と神経線維の接触によって伝わるという説である。

しかし科学の後進国であるスペインでの研究はあまり重視されなかった。
それでもドイツの学会に出席することにより彼の評判は高まった。

ところで神経細胞をニューロンと呼ぶようになったのは、1891年カハールが39歳のときにドイツ人学者が広めた。
もともとニューロンとはギリシャ語で糸とかすじ状のものを示す言葉である。

ただし幸せばかりではなく、彼の長男は腸チフスになり、それがもとで知恵遅れとなった。また三女は脳膜炎で死亡した。

バルセロナに5年間いたのち、いよいよ首都のマドリッド大学教授になった。40歳のときである。
ただしそれまでの大学とは異なり、教授同士も無関心で冷淡であった。

その年、神経向性説(ニューロトロピズム)というのを発表して、これが大きな影響を与えた。
カハールの研究対象はいつも小動物であったが、とくに網膜や脳の海馬を研究対象とした。
その後、カハールはイギリスから講演者として招待された。ケンブリッジでは名誉博士号を授与された。
そして、ドイツ、イタリア、ウィーン、パリなどから次々に栄誉が訪れた。
その頃の研究は眼の交叉(左右の視神経が脳の中央で交叉すること)であった。

47歳の時にはアメリカのクラーク大学から招待を受け、初めて大西洋を渡り、大脳皮質についての講演を行い、大拍手を受けた。

またモスクワ賞も受賞してその賞金で生物学研究室を作ることができた。
彼の研究意欲はまだまだ続き、顕微鏡の新しい染色法の研究を続けた。

その後、1906年にノーベル賞生理学・医学賞を54歳で授賞した。

そのとき、二人の受賞者がいたが、もう一人は彼と全く対立する学説を唱えるのゴルジという人であった。カハールは頂点に達してからも研究意欲は衰えず、多くの研究をした。
またその頃から自伝書を書くようになった。エッセイのほかにも趣味のカメラの技術本も書いている。
また大学改革にも熱意を燃やしたという。

彼は70歳で定年退職をしたが、大学の授業はいつも彼が黒板に描く絵で説明したという。
その頃、スペインは第一次世界大戦後、王政が崩壊して共和革命があり、あまり落ち着いた時代ではなかったようだ。

大学を退職後も多くの論文を書いたが、80歳になったとき、「80歳より見た世界」が最後の著作である。
この本は老齢になった自己の体験をもとにして、老人の筋肉、目なのどの衰えが書いてあるという。

カハールは50年連れ添った妻がなくなった4年後1934年、に82歳で亡くなった。
ドイツにヒットラーが独裁を始めていた頃である。

◆感想◆

カハール博士のことはまるで知らなかったが、彼の精力的な活動を読むと、うーん、研究者というのはすごいものだと思わざるを得ない。

よくもこんなにたくさんもの論文を書いたものだと思う。
彼の生きていた時代は江戸、明治、大正、昭和と長い時代に渡るが、日本ではまだ写真というものが恐れられていたようなころに彼は写真を駆使し、顕微鏡を覗いていた。

カハールはスペインの片田舎からヨーロッパやアメリカでも認められる学者となった。
そして細胞の研究だけではなく、家族を愛し、スペインを愛する偉大な人であった。

これから学者を目指そうとする若い人たちにも読んでもらいたい本である。
また訳者の萬年甫さんという人は他にもたくさんの本を書いているようなので、それらもきっと面白そうである。

◆この本の参考ホームページ◆

こちらにも「脳の探求ラモン・カハール」を読んで感激した人の文章があります。

會澤 重勝さんの私の本棚

飛中漸さんの気まぐれ者の日記

2008年2月20日水曜日

創造する脳 2


有楽町の朝日ホールで行われた「創造する脳-あなたらしさの発見-」の続きです。

甘利俊一先生の講演の後は、今やTVやマスコミでお名前を見ない日はない、というくらい有名人になった茂木健一郎先生のお話。

たまたま今朝、家を出る前に聞いていたラジオ東京の番組でも、8:30から9:30まで生放送で出演されていたの。

その時は今の子どもには何が必要か、というような教育談義も話していたのだけど、茂木先生ご自身は子どもの頃は「虫大好き少年」だったんですって。
昆虫を集めたり、それを分類するには、ものすごく根気が必要なんですって。そういう根気強さが今の研究者としての生活にも大いに役立っている、というお話をされていました。

さて、茂木先生はいろいろな肩書きがあるようですけれど、今日のフォーラムでは「ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー」と「東京工業大学大学院連携教授」という肩書きでお話をされていました。連携教授などという肩書きは初めて聞きました。

つまり今回のフォーラムでは、「アハの人」とか「NHKプロの流儀の司会者」という立場ではなく、ちゃんとした脳科学の研究者であることをアピールするようなお話でした。

でもそこはマスコミで活躍している人。早口でしゃべる専門的な話の中にも、ちゃんと笑いを誘うような話を入れたりして、観客を飽きさせないような努力が見られましたわ。

茂木先生はマスコミに頻繁に登場するのは、脳科学のことを世間に理解してもらいたくて、あえてピエロ役を買って出ている、ということでした。

研究者って研究室にこもっているばかりでは、一般人とかけ離れてしまうだろうし、たくさんの予算を使って、何の役に立っているか分からない研究だけをしているのは、それは問題だと思うの。

そういうことって、私が所属している研究室の先生にも投げかけてみるのだけれど、いわゆる研究者と呼ばれるような専門家は、なかなか一般人の考えを理解してもらえないことが多いのよね。


さて、茂木先生が現在取り組んでいる研究の中で、私が面白いなと思ったのは、いわゆる「ど忘れ」状態の時に、脳の中はどうなっているのか、「言葉がのど元まで出掛かっている」時に、脳の中はどうなっているか、という実験のお話でした。

最近、人の名前が出てこなくて困っている私なんですけど、そういうような実験ならぜひとも、研究対象になってみたと思ったわ。

それと私が一番興味を引かれたのは、記憶についての話。
それも海馬がどうのこうのとかいう専門的な話ではなく、「記憶も変化する」という話。

たとえばね、今、私のブログ仲間では、高校生の時の古典の授業の話で盛り上がっているの。
発端は私が京都に旅行に出かけて、そのときに見た俵屋宗達の絵の話だったのだけど、それが高校の時の古典の授業の話に展開しているのです。

それって、単に「高校のときはこういう授業があったという記憶」から発展して、あの時の先生はこういう教え方をしていたとか、他にもこういう先生がいて、感銘を受けたとか、他の人の記憶がMIXすることによって、すごく変化してきているの。今では当時習った百人一首のことまで記憶がよみがえってきているの。

つまり記憶が深化して、変貌してきていると思うのです。

そしてね、私にとってはそのようなことで友情が復活して、高校生当時に学んだことよりも、ずっと今のほうが古典に対して楽しみが湧いてきているの。

そういう状態になっている時って、茂木先生のお話では「ドーパミンが出てきている」というそうなんですけれど、これって、脳にとって良い影響を与えているのではないかしら、と自己満足をしているのです。


もうひとつ面白い話は、人が「あれ」か「これ」にしようか迷っている時、たとえばホットコーヒーにしようか、アイスコーヒーにしようか、あるいはモカにしようか、ブレンドにしようかと迷っている時でも、人間というのは2秒で決断しているんですって。そんなに簡単に決めているのかなと思うのだけど、たいていが2秒で終わっているそうよ。

人は決断までには熟慮しているように見えるけれど、実際には2秒で終わっていると言うのも、面白いわね。

世の中には決断が遅くてぐずぐずしている人もいるけれど、それは多分その人の中では決断は出ていても、周りに示すのに時間がかかっているのかもしれないわね。


甘利先生のお話にもあったけれど、人間の脳の中にあるニューロンは1000億個もあって、そのひとつのニューロンには10000個のニューロンが組み合わさっているそうです。
そんな膨大な数字は別世界のようだけれども、実際に私たちの頭の中はそうなっているそうよ。

私の脳の中では、1000億個すべてのニューロンに活躍してもらうのは無理かもしれない。

でも毎日の食事を作ったり、洗濯をしたりというルーティンワークの中でも、少しは創造性を発揮して、ニューロンたちが滅びないようにしていかなくっちゃ、と思ったわ。