このところ、毎日、丸子川を歩いていますが、それは丸子川が六郷用水の一部として利用されていたということを裏付けるためなのです。
結論から言うと、丸子川の終点と、六郷用水と言われる水路の始発点が繋がったので、それは自己満足ではありますが、足で証明できたことを、嬉しく思っているところです。
さて丸子川ですが、前日は尾山台駅で終わってしまったので、その翌日もまた、尾山台まで出かけました。なんとももの好きですね。
尾山台駅には東京都市大学の学生とおぼしき若者が沢山歩いていました。駅から大学までは下り坂を15分くらい歩くでしょうか。近いところではありませんね。
ちなみにこの大学は、かつては武蔵工業大学と呼ばれていました。2009年に、東横学園女子短大と合併して、現在の名前になりました。
私も駅からハッピーロードを歩いて行きました。
東京都市大学はまだ先です。
こちらは前日の最後に出会った稲荷橋。
ここから丸子川を東方面(下流)に向かいました。
次は浄楽橋です。
こちらは、ひらがな標記。
「はし」ではなくて、「ばし」と書かれていますね。
名なし橋が続きました。
都市大学の正門前には、六郷用水の説明板が設置されていました。
昔の◯◯村、と書かれているのが、良いですね。
この説明板は、都市大学が「世田谷区玉川街つくり部」へ、寄贈したようでした。
次は西根橋。
中の橋。
まだ、新しそうな橋です。
橋のすぐ近くに、ちょっと歴史がありそうな家が建っていました。
八幡橋でした。
こちらは、かなりサビついた橋ですね。
天慶橋。
尾山橋。
やはり、尾山という山があったのでしょうか。
このあたりは大田区と世田谷区の境界近くですが、欄干や川底がとても美しく整備されていました。
吹上橋。
庵谷橋。
いおりやばしです。ちょっと読み方が凝っていますね。
このあたりの案内図です。
やはり地図があると、スマホで見る地図よりも、安心しますね。
八幡神社がありました。
古い石碑があり、それによると、このあたりは昔は大森区と言われていたようでした。
八幡橋。
ものすごく低くて、小さくて見過ごしてしまいそうでした。
このあたりの崖はすごい傾斜でした。
この家の窓からものを落としたら、川に落ちますね。
こちらはかなり古そうな橋でしたが、名無しでした。
名無し橋は久しぶりでした。
川の壁面には、こんなふうな工夫がしてあり、美観も考えているようでした。
ということで、橋めぐりも長くなってきたので、ここで一旦中断します。
この先には、多摩川に繋がっている水路がありましたが、それは次回のお楽しみにします。
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「一日一句」
城南は かつての田んぼ いま豪邸