2025年2月20日木曜日

「小平市ふれあい下水道館」から「鷹の台駅」へ。

川崎平右衛門の謝恩塔はすぐに見つかりました。あっけないほどでした。

急に空腹を感じてしまいました。Googleマップを見ると、五日市街道沿いにコメダがありました。それで5分ほど歩いていきましたが、駐車場は超満員。お店の中も待ち人がひしめき合っていました。

それで仕方なく、また歩き、今度は府中街道で左折しました。

目的地は「小平市ふれあい下水道館」です。

ここは、以前、玉川上水を歩いた時に近くを通った場所ですが、その時は入館しなかったので、今回は入ってみました。


地上2階から地下5階まである建物です。どうしてそのように地下が深いかというと、一番下には下水道が流れているのです。


そこに辿り着くまではさまざまな展示がありました。

下水処理場でどのように水をきれいにするか、どんな生き物がいるか、どのような循環をしているかを楽しく学べる施設です。

面白かったのは江戸時代の生活でした。いわゆる○○を肥料として使っていたのは、究極のエコ生活でしたね。

また世界中の昔の下水道もありました。これは子供向けのアニメでしたが、モヘンジョダロの遺跡にはすでに下水施設があったというので驚きました。

以前、大学の見学で多摩川上流水再生センターに行きました▼が、こちらの施設もそこと同様、面白くてためになる施設でした。

こちらは地下に流れる下水道。向こう側が汚水です。

とても太い管でした。埼玉の事故を思い出してしまいました。


人の大きさと比べるといかに太い管かが分かりますね。

ここは無料で見学できるので、お近くの方は一度、見学されることをおすすめしますね。

その後は玉川上水沿いを歩きました。


懐かしい久右衛門橋に再会しました。


横には新堀用水も流れています。


こちらは小平中央公園。ここには着物のイベントのときにも訪れました。


鷹の台駅の近くにある「鷹の橋」


鷹の台駅まで歩きました。懐かしかったですね。

玉川上水のおかげで何回も訪れることになりました。

そしてまた国分寺駅に戻って、アンデルセンのお店に入ってサンドイッチと珈琲でのんびりしたのでした。

この日のルートです。










2025年2月18日火曜日

国分寺界隈

いまだに中央線の国分寺と国立、立川の位置関係がよく分かりません。

落ち着いて考えてみれば、国分寺と立川の間にあるのが「国立」だと分かるのですが、慌てていると間違えやすいのです。

先日も国分寺市北町というところに用事があり、そこは立川から東にある駅からバスに乗って行く場所でした。それで、あまり考えずに「国分寺駅」で下車してしまいました。

駅前のロータリーをうろうろしましたが、どうも様子がおかしい。もう一度地図を見るとそれは「国分寺駅」ではなく、「国立駅」から乗らなくてはいけないのでした。

というわけで仕方なく中央線をまた西に戻り、国立駅のバス乗り場を探しました。

目的地が「国分寺市」だったので、つい国分寺駅からバスに乗ると思い込んでしまったのです。

バスの停留所はすぐに見つかりましたが、時刻表を見るとバスは1時間に1回か2回くらいしか来ないのです。それで仕方なくタクシーを利用することにしました。

タクシーの運転手さんによると、そのルートは平日の朝夕は通学客が多いので、1時間に数回、バスが来るようですが、その日は日曜だったため、殆どバスは来ない時間帯だというのでした。

私はタクシーなどめったに使わないのですが、シルバーパスなら無料の所、1500円払ってしまいました。

というドタバタはありましたが、国分寺市北町3丁目というところにある「妙法寺」というお寺さんに着きました。


ここは曹洞宗のお寺です。

目的は「川崎・伊奈両代官謝恩塔」を見ることでした。国分寺市の指定文化財になっています。

その塔は1799年に建てられましたが、大正12年の関東大震災で倒れ、その後、昭和26年になって再建されたそうです。

お寺の入口近くに建てられていたので、すぐに見つかりました。


とても立派な塔でしたよ。


「江戸時代の享保7年(1722)に始まった武蔵野の新田開発は、凶作などにより開発が進まず農民は窮乏し、餓死者が続出していました。元文4年(1739)武蔵野新田世話役となった押立村(府中市)の名主川崎平右衛門は救助の食料、養料金(凶作に備えて各家から穀類三升、のちに5升を集め売却し、その代金を商人に貸付け、利息を農民に配当するという制度)、肥料、種の支給や用水、井戸の工事などを行い、新田の安定をはかりました。
川崎平右衛門は寛保3年(1743)に支配勘定格となり寛延2年(1749)に美濃国(岐阜県)へ支配替えになった後、宝暦4年(1754)代官となりました。
平右衛門の後にこの地の代官となった伊奈半左衛門も、平右衛門の政策を継ぎ、さらに養料金制度を推し進めました。
このため武蔵野の開発は大いに進展し、その功績を記念するため、寛政11年(1799)榎戸新田名主源蔵らの主唱によって武蔵野新田八十数ヶ村の感謝の結晶として建立されたものです」


このお寺は五日市街道沿いに建っていますが、道を歩いていると、昔の田んぼや畑のあとのような土地がまだあちこちに残っているところでした。

これからまだまだ平右衛門さんの足跡を辿ります。


2025年2月15日土曜日

四谷の笹寺~新宿御苑散歩

だいぶ前のことになりますが、四谷4丁目にある「長善寺」というお寺に行ってきました。

そこには府中出身の代官である川崎平右衛門のお墓があるというのです。彼の本当のお墓は府中の押立の龍光寺なのですが、四谷も縁がある場所なので(この近くに住まいがあったとか)分骨されているのかもしれません。

地下鉄の四谷三丁目駅で下車して、新宿通りを新宿方面に行くと、意外と簡単に見つかりました。


曹洞宗のお寺です。
かつて境内には笹が茂っていたので、「笹寺」と呼ばれていたようです。

入口の手前には鳥居もありました。神社も同じ敷地内にありました。


ここには徳川二代将軍秀忠の奥様崇源院(お江の方)の赤いめのうで作られた「めのう観音」があるそうです。


お墓の区域には「関係者以外立ち入り禁止」という札があったので、お寺の建物のベルを鳴らして、関係者の方にご挨拶しました。

すると「川崎平右衛門の墓というのは聞いたことがない」と言うのですが、私があれこれ説明をして、その資料も見せると、奥に入って調べてくれました。

お墓のある場所は分かったのですが、写真撮影はダメとのこと。仕方ないですね。

ご挨拶だけしてきました。

平右衛門以外にも、川崎家代々のお墓が並んでいました。

とりあえず府中市「郷土の森博物館だより あるむぜお」の2009年3月20日号に掲載された写真だけ載せておきます。


そして大学の名刺を渡して、とりあえず引き下がりました。

その後は新宿通りをまっすぐに歩き、新宿御苑まで。

このあたりは日本橋から7キロ地点とのことでした。


新宿御苑の園内には入らず、敷地外を流れる玉川上水・内藤新宿分水散歩道を歩きました。ここは無料で開放されています。

高層ビルがきれいに見えました。


春になったらもっときれいでしょうね。
まだ寒いので、人出は少なく、静かでした。


新宿門まで行き、昔の「きょうばし」の柱に再会しました。


いつまでここに放置されるのかしらね。

この日は、なんだか成果があったような、なかったような散歩でした。



2025年2月9日日曜日

川崎平右衛門さんのお墓参り

去年の暮れ、「府中郷土の森」で川崎平右衛門さんの像に出会いました。

この人は江戸時代中期、府中に生まれた豪農の息子ですが、その後の彼の人生を辿ってみるととても面白い人だと分かりました。彼は府中だけではなく、その近辺の武蔵野国、美濃や石見銀山でも活躍した人なのでした。

それで彼の一生を追ってみようと思い、まず最初にうちの近くにある川崎家のお墓に行ってみました。

そこは現在は調布市と府中市の境あたりの押立にある龍光寺です。我が家からだと自転車で行ける距離です。

最初に行ったのは2024年の年末でした。

だいたいの場所は分かるのですが、中央高速の下あたりでうろうろしてしまいました。

途中、こんな場所も見つけました。かつては川が流れていたような場所でした。


そこは「ひがしばし」と言われたところで、「二ヶ村用水」という用水に架かる橋の跡でした。押立村の東の橋、という意味のようでした。


このような場所を通ると、ついつい気になってしまいますね。

そして本村神社というところに到着。

なんとそのすぐ隣がお墓のある龍光寺でした。天台宗のお寺です。


入口にはこんな立て札が立っていました。

「ききんを救った平右衛門」。


お寺の中に入ってみましたが、誰も尋ねる人がいませんでした。どれが彼のお墓か分からず、入口にあったお墓の写真を撮ってきましたが、どうも違ったようです。

その後、パソコンであれこれ検索してみると、YouTubeでお墓を写しているのがありました。なんと平右衛門さんのお墓は、境内のずっと奥の方にあるのでした。

とりあえず、お寺の場所だけは分かったので、そのまま年を越しました。

1月になって、また出かけてみました。この日はかなり寒い日でしたので、自転車はやめて今回は電車と徒歩にしました。

飛田給の駅で下車。ここは味の素スタジアムがあるところで、サッカー一色の駅です。

そこから品川道を渡り、坂を下りました。

こちらは少し離れた場所にある押立神社の案内です。

この神社は昔は「手津久里稲荷」と言って、多摩川の近くにあったのが、大水のためにこちらに移ったそうです。

この時の押立訪問は2回目でしたので、それほど迷わずにお寺に到着。

そしてすぐに奥の川崎平右衛門定孝のお墓まで行ってみました。

東京都の案内板があったので分かりましたが、周囲はほぼぜんぶが「川崎家」のお墓ばかりでした。


こちらが平右衛門さんのお墓です。

1767年、というと250年ほど昔のお墓ですが、地震や火災にも遭わずにずっと立っていたのですね。

そしてお墓を後にして、今度は坂を上り品川道まで出て、そこでシルバーパスを使って家まで戻りました。

これから彼にゆかりのある場所をあちこち訪問する予定です。


2025年2月7日金曜日

虎ノ門~霞ヶ関 のんびり散歩 

前からいちど「虎ノ門ヒルズ駅」に行ってみたいと思っていましたが、ようやく実現しました。

今回、その駅近くにある「港区立みなと科学館」というところでちょっと面白そうな展示があったので、これは良い機会だと思って出かけてみました。

「虎ノ門ヒルズ駅」は2020年に建てられたそうです。虎ノ門駅から歩いてもたいした距離ではありません。虎ノ門ヒルズのために建てたような駅で、建設費用はヒルズを運営している森ビルが負担したそうです。

そういえばこのあたりには森ビルがたくさん建っています。

駅の構造は大胆というか、オシャレというか、都会の雰囲気を感じました。


エレベーターが交差していました。

この駅の周囲はオフィス街です。

駅から少し歩いたところの立派なビルの1階が「港区立みなと科学館」でした。


「水でつながる生命のものがたり」という展示をしていましたが、平日の朝早くだったせいか、誰も他に人はいませんでした。

子供が体験しながら科学を学べるような施設でした。


かなりお金をかけたところでしたね。

【さかなくん】が監修している? 6分くらいの長さのビデオが面白かったです。

雲から雨になり、そして川ができ、そこに魚が住み・・・という自然のサイクルの様子が分かりやすく描かれていました。


こちらのパネルもとてもきれいでした。「生命誌絵巻」です。
人間が地球のすべての中心にいるわけではない、ということを思わせるパネルでした。

ここにはプラネタリウムも併設されていますが、時間が合わなかったので、今回は見合わせました。

その後は、同じビルの2階にある「気象科学館」に行ってみました。


ここも無人でした。

火山や地震、津波などについて学べるようになっています。

以前、大学の授業で「気象庁の移転」についての講義を受けましたが、それについていろいろな資料も展示されていて、面白かったですね。


もう一度、虎ノ門ヒルズを通りました。


この後はまっすぐ北に、霞ヶ関に向かって歩きました。

途中に立派な神社がありました。金比羅宮だそうです。
オフィス街のど真ん中にあったので、驚きました。


これ以外は、周囲は官庁だらけでした。地図を見ると、どれも○○省、と書かれていました。


こちらは財務省。入口にはガードマンがたくさん立っていました。


文科省はかなり古ぼけた建物で、ちょっと可哀相でしたね。

日本の中枢のお役所が集まっているところですが、メトロの霞ヶ関駅が丸ノ内線、日比谷線、千代田線、それぞれとても遠くて、おまけに地下がとても深くて、なんだか面倒なところでした。
お役人さんたち、ご苦労様です。

この日のルート。たいして歩いていませんね。