この日の新田歩きは、それほど期待していませんでしたが、予想外に収穫がありました。
出かけたのは立川市の砂川新田というところです。
砂川というと、かなり昔、砂川事件というか砂川闘争というのがあって、なんとなく暗いイメージがありましたが、それはみごとに覆されました。
立川までは京王線とJRで出かけて、その後は立川バスに乗りました。去年、大学のフィールドワークで立川防災館に行きましたが、今回の目的地はその先にありました。
「砂川○番」というように番号がついている場所でした。私がバスから下車したのは「砂川四番」という停留所。五日市街道沿いにありました。
少し西に歩くと、目の前にドーンと「阿豆佐味神社」の特大石碑?が立っていました。なんでもここは安産の神様だそうです。
鳥居もとても立派でした。
境内に入ると、一番目立つ所に、このような説明がありました。
「あずさみ」と言うのは「安住」ということで、「さ」は強調するときの「とても」というい言葉だそうです。つまり安心して住める場所ということですね。
砂川は北には玉川上水、南には昭和記念公園、西には秩父の山々が見えるところです。
それで「すごく暮らしやすい」というのでしょうか。アナウンサーに安住さんという方がいらっしゃいますが、よいお名前なのですね。
境内にはいくつもの神社がありました。

「蚕影神社(猫返し神社、養蚕の神)」という神社もありました。
ここは猫が行方不明になったときに願掛けをするとその猫が飼い主のところに戻ってくるという逸話の神社があるそうで、ピアニストの山下洋輔さんの猫も戻ってきたというので、一躍有名になったところです。そのため、猫の絵を描いた絵馬や、「○○ちゃん、戻ってきてね」という願い事を書いた絵馬がたくさん吊されていました。
この神社全体の由来などの説明はありませんでしたが、神社のホームページによると、「砂川の新田開発の際に、村の鎮守の神として1629年(寛永6)に創建された」そうです。

境内はとても美しくて、よい感じの神社だと思いました。
そして五日市街道を西に向かって歩きました。
途中、このような説明板がありました。

「寺子屋の始まり」のような場所でした。
砂川の方は教育熱心だったのかもしれませんね。
「歴史と文化の散歩道」という案内には、五日市街道には昔は「まいまいず」井戸がたくさん掘られていたそうです。玉川上水から分水を引いて、農業のための水を確保し、また日常生活に必要な水は井戸を掘って確保していたようです。
その先に妙泉寺。看板がとても大きくて、目立っていました。
こちらは正面入口。
立川市教育委員会が建てたお寺のいわれです。
新田開発に来た人々の菩提寺として作られたとありました。
明治時代にはこのお寺では学校があったそうです。
境内はとてもきれいでした。

このお寺と神社が新田のセットになっていたようです。ただしどちらも新田開発の少し前に建てられたようでした。
ここから先は五日市街道をまっすぐに歩きましたが、豪農の立派なおうちがたくさん並んでいました。どこもお蔵が立派でした。個人のおうちなので、あまりちゃんと写しませんでしたが、今まで見てきた新田の中で、昔の農家の姿が彷彿としてくる場所でした。
その後は、ついでに玉川上水に寄ってみました。
ここは数年前、友人たちと歩いた場所です。
新家橋。
橋の上から玉川上水を眺めたところ。
新家橋の意味が書かれていました。「しんやばし」と読むのですね。
見影橋。
この橋のたもとには分水があったそうです。
ずっと歩き続けていて、さすがに暑さにやられたので、スーパーのマルエツに入って、ひと涼み。
「白熊くん」で身体を冷やしました。
帰りは西武拝島線の西武砂川という駅から乗車しました。
小川という駅で乗り換えて、今度は西武国分寺線で国分寺駅まで。
ここまで来たらあとはバスで府中に戻るだけです。
知らない場所に出かける時は、ちょっと不安でもありますが、一度行ってしまえば後はなんとかなるもの。
またこのあたりは玉川上水歩きで来たことがある場所なので、土地勘がありました。
今回のルートは立川市教育委員会の方のオススメコースでしたが、こちらの地図にも掲載されていました。「立川を歩く」という地図形式のガイドブックです。
立川は市をあげて歴史の保存を頑張っているようです。