今日は父の誕生日です。
生きていれば、ちょうど100歳の誕生日を迎えているはずでした。
父は大正9年4月30日生まれ。
西暦でいうと、1920年ですね。
こんな写真が出てきました。
いつごろでしょうか。
左は50歳くらい?の父です。
真ん中は祖母(父の母)ですが、75歳くらい?
母は45歳くらいでしょうか。
私が写したと思うのですが、まるで覚えていません。
父は台東区上野で生まれました。
戸籍謄本によると、現在の「大名時計博物館」▼のあたりになります。
子供の頃はいつも「上野のお山で遊んでいた」そうです。
その後、上野中学(現在の都立上野高校の前身)に通い、早稲田大学に行きました。
そのため、六大学野球や駅伝でははいつも早稲田大学を応援していて、またプロ野球も、当時、三原監督のいた大洋ホエールズを応援していました。
早稲田ファンだったのです。
戦争中は南方へ行ったようですが、戦火に遇うことはなく、比較的平和な軍隊体験をしていたようでした。
それでも父はよく戦友会に出かけていて、戻る時はいつもほろ酔いのご機嫌でした。
きっと同じ体験をした者同士でしか、分かり合えない友情があったのでしょうね。
私が子供の頃は、家ではいつも着物で過ごしていました。
ちょうど「サザエさん」のお父さんのような感じでした。
青っぽいウールか何かの着物に、黒のフニャフニャの兵児帯を結んでいました。
晩年はあまり家では着なくなりましたが、お正月などは大島のツインを着ていた記憶があります。
無趣味な父でしたが、唯一の趣味は、囲碁でした。
いつも近所の碁会所へ出かけていました。
とにかく不器用で、家事などはほとんどダメな人でした。
電気製品の取り扱いもダメで、修理はいつも母がしていたくらいです。
20年ほど前に亡くなりましたが、パソコンもスマホもない時代でしたから、機械音痴の父はきっと助かっただろうと思います。
今だったら、使いものにならなかったかも。
それでも、字は楷書で美しく書いていました。
父の残した住所録などを見ると、ほんとに美しく揃っていて、捨てるのが惜しいのです。
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「一日一句」
父偲びこれで見納めチューリップ
2020年4月29日水曜日
思い出の絵葉書シリーズ 2 「貴婦人と一角獣」
こちらは6枚組絵葉書のケースです。
「貴婦人と一角獣」というタピスリーの展覧会に行った時のお土産です。
中味の絵葉書は、6枚ともすでに使われていて、ケースだけが残っていました。
6枚の絵葉書は、それぞれ触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、それに「わが唯一の望み」というタイトルが付いてました。
15世紀末ごろの作品だそうです。
フランスのクリュニー中世美術館で保管されていますが、私は国立新美術館▼で鑑賞しました。
その時のブログ▼です。
2013年5月のことでした。
どのタピスリーもとても大きかったのを覚えています。
現在は、コロナ感染拡大防止のため、美術館はほとんど閉館されていますね。
開けると大勢の人が押し寄せてしまうので、仕方ないとは思いますが、とてももったいない気がします。
こちらの美術館のHPを見ると、興味深い展覧会がたくさん予定されています。
いつになったら、足を向けることができるのかしら。
緑の美しい美術館が懐かしい。
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「一日一句」
「昭和の日」かつては天皇誕生日
「貴婦人と一角獣」というタピスリーの展覧会に行った時のお土産です。
中味の絵葉書は、6枚ともすでに使われていて、ケースだけが残っていました。
6枚の絵葉書は、それぞれ触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、それに「わが唯一の望み」というタイトルが付いてました。
15世紀末ごろの作品だそうです。
フランスのクリュニー中世美術館で保管されていますが、私は国立新美術館▼で鑑賞しました。
その時のブログ▼です。
2013年5月のことでした。
どのタピスリーもとても大きかったのを覚えています。
現在は、コロナ感染拡大防止のため、美術館はほとんど閉館されていますね。
開けると大勢の人が押し寄せてしまうので、仕方ないとは思いますが、とてももったいない気がします。
こちらの美術館のHPを見ると、興味深い展覧会がたくさん予定されています。
いつになったら、足を向けることができるのかしら。
緑の美しい美術館が懐かしい。
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「一日一句」
「昭和の日」かつては天皇誕生日
2020年4月28日火曜日
若い頭で・・・・
コロナによる自粛生活のため、普段はあまりしなかったことを試みています。
読書も、いつもとは違う傾向の本を選んでみたりしています。
こちらの「高校生と考える 日本の論点2020-2030」は、新聞の書評欄で見て、面白そうだと思い、ネットで注文してみました。
この本は桐光学園という高校に、さまざまな著名人が訪問して、そこで講義をしたものをまとめたものです。
哲学、政治学、社会学、文学、芸術など様々な分野で活躍している人が訪問しています。
ずっと長いこと訪問しているシリーズものだそうで、今回で13冊目だそうです。
「最先端で活躍する講師陣による、超豪華講義録最新版!」というのが売りのようです。
作家の沢木耕太郎さん、俳句の夏井いつきさん、社会学者の水無田気流さんなど20人が、分かりやすい言葉で高校生に語り掛けています。
中でも、読みたかったのは、出口治明さんという方の「いま、何をまなぶべきか」という話でした。
この方は、元は生命保険会社の社長さんでしたが、現在は立命館アジア太平洋大学の学長さんで、けっこうおもしろい方なのです。
たまたま以前、大分にバス旅行に行った時、ガイドさんが「あちらに見えるのは立命館大学です」と説明があり、どうして九州に立命館があるのか不思議に思っていて、その後、なかなかユニークな教育をしている大学であり、学長も面白い方だと知ったのです。
今の日本は、政治でも経済でも文化でも、老害がはびこっているところが多くあると思います。
それを打破するのは、やはり若い力ですね。
できれば私も高校生くらいに戻って、人生をやり直したいという気持ちもあります。
せめて、この本を読んで、あまりババ臭くならないようにしたいですね。
もう一冊は、本というよりも、ドリルです。
なんと小学4・5・6年生向けの「数独」(SUDOKU)です。
全部で100問ほどありますが、初めの方はさすがに易しすぎて、スイスイと解いていましたが、だんだんと進むにつれて、侮れない問題もでてきましたよ。
「思考力・集中力を養う」ということですが、確かにこれをやっていると、他のことは考えるヒマはありませんね。
全部クリアーしたら、こんどは中学生向けにアップしようかな。
*******
「一日一句」
ツツジ咲き午後の読書で新世界
読書も、いつもとは違う傾向の本を選んでみたりしています。
こちらの「高校生と考える 日本の論点2020-2030」は、新聞の書評欄で見て、面白そうだと思い、ネットで注文してみました。
この本は桐光学園という高校に、さまざまな著名人が訪問して、そこで講義をしたものをまとめたものです。
哲学、政治学、社会学、文学、芸術など様々な分野で活躍している人が訪問しています。
ずっと長いこと訪問しているシリーズものだそうで、今回で13冊目だそうです。
「最先端で活躍する講師陣による、超豪華講義録最新版!」というのが売りのようです。
作家の沢木耕太郎さん、俳句の夏井いつきさん、社会学者の水無田気流さんなど20人が、分かりやすい言葉で高校生に語り掛けています。
中でも、読みたかったのは、出口治明さんという方の「いま、何をまなぶべきか」という話でした。
この方は、元は生命保険会社の社長さんでしたが、現在は立命館アジア太平洋大学の学長さんで、けっこうおもしろい方なのです。
たまたま以前、大分にバス旅行に行った時、ガイドさんが「あちらに見えるのは立命館大学です」と説明があり、どうして九州に立命館があるのか不思議に思っていて、その後、なかなかユニークな教育をしている大学であり、学長も面白い方だと知ったのです。
今の日本は、政治でも経済でも文化でも、老害がはびこっているところが多くあると思います。
それを打破するのは、やはり若い力ですね。
できれば私も高校生くらいに戻って、人生をやり直したいという気持ちもあります。
せめて、この本を読んで、あまりババ臭くならないようにしたいですね。
もう一冊は、本というよりも、ドリルです。
なんと小学4・5・6年生向けの「数独」(SUDOKU)です。
全部で100問ほどありますが、初めの方はさすがに易しすぎて、スイスイと解いていましたが、だんだんと進むにつれて、侮れない問題もでてきましたよ。
「思考力・集中力を養う」ということですが、確かにこれをやっていると、他のことは考えるヒマはありませんね。
全部クリアーしたら、こんどは中学生向けにアップしようかな。
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「一日一句」
ツツジ咲き午後の読書で新世界
2020年4月27日月曜日
ここ5年間の着物データ
2020年4月は、まだ一回も着物に手を通していません。
コロナの自粛のため、あまり着る気が起きないのです。
でもそろそろ暖かくなってきたことだし、虫干しを兼ねて、箪笥の整理でもしようかと思い始めました。
それで最近の、4月27日(あるいは前後の日)に何を着ていたか、アップしてみました。
<2019年4月27日>
この日は目白にある古民家「ゆうど」に、着物倶楽部のメンバーさんたちとお出かけをしたのでした。
黒地に、白の絣模様のような薄手の袷でした。
たしか着物大市で、2000円だったと思います。
帯は、神田明神の中にある「たんすや」さんで見つけた千円帯。
こういう気軽なスタイルが一番好きですね。
一番高かったのは、kimitoさんの七宝の帯留でした。
<2018年4月27日>
この日は、東京国立博物館平成館で、「名作誕生-つながる日本美術」の絵画鑑賞でした。
「ふだん着物杏」さんで買った一重の着物。
緑に黒のストライプがスイカのようで、気に入っているのですが、どこにしまったのか、どうしても見つからないのです。
どこへ行ってしまったのかしら?
帯は、着物交換会で、最後まで残ってしまったのをいただいてきた黒にシルバーの帯。
とても重宝しています。
残り物に福あり、ですね。
前髪がプッツンで、変な顔。
<2017年4月28日>
この日も、目白にある「ゆうど」の着物井戸端マーケットに参加していました。
赤いチェックの伊勢木綿です。
帯は、黒に花模様の帯。
<2016年4月28日>
この日は国立新美術館の「国展」鑑賞でした。
木綿ちりめんの型染め着物です。
これはリサイクルでしたが、私にはすごく値段が高くて、買うのにかなり勇気がいりました。
帯もリサイクルですが、幅も長さも私には長すぎて、たしかこの時の1回しか使わないで、すぐに交換会か、下取りに出してしまったものです。
<2015年4月26日>
こちらは「着物バスケット」というイベントに出かけたときの写真。
交換会でいただいた銘仙の着物でした。
そうそう、袖丈が長かったので、自分で短く詰めたのでした。
帯は世田谷ボロ市で見つけた超古い帯。
いちど、こういう格好をしてみたかったのです。
こうやって眺めてみると、着物のイベントや、美術館へのお出かけをよくしていましたね。
今から思うと、「不要不急」だと言えるかもしれません。
のんきに生活してきたのですね。
それでも楽しい日々でした。
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「一日一句」
思い出を振り返りつつ連休前
コロナの自粛のため、あまり着る気が起きないのです。
でもそろそろ暖かくなってきたことだし、虫干しを兼ねて、箪笥の整理でもしようかと思い始めました。
それで最近の、4月27日(あるいは前後の日)に何を着ていたか、アップしてみました。
<2019年4月27日>
この日は目白にある古民家「ゆうど」に、着物倶楽部のメンバーさんたちとお出かけをしたのでした。
黒地に、白の絣模様のような薄手の袷でした。
たしか着物大市で、2000円だったと思います。
帯は、神田明神の中にある「たんすや」さんで見つけた千円帯。
こういう気軽なスタイルが一番好きですね。
一番高かったのは、kimitoさんの七宝の帯留でした。
<2018年4月27日>
この日は、東京国立博物館平成館で、「名作誕生-つながる日本美術」の絵画鑑賞でした。
「ふだん着物杏」さんで買った一重の着物。
緑に黒のストライプがスイカのようで、気に入っているのですが、どこにしまったのか、どうしても見つからないのです。
どこへ行ってしまったのかしら?
帯は、着物交換会で、最後まで残ってしまったのをいただいてきた黒にシルバーの帯。
とても重宝しています。
残り物に福あり、ですね。
前髪がプッツンで、変な顔。
<2017年4月28日>
この日も、目白にある「ゆうど」の着物井戸端マーケットに参加していました。
赤いチェックの伊勢木綿です。
帯は、黒に花模様の帯。
<2016年4月28日>
この日は国立新美術館の「国展」鑑賞でした。
木綿ちりめんの型染め着物です。
これはリサイクルでしたが、私にはすごく値段が高くて、買うのにかなり勇気がいりました。
帯もリサイクルですが、幅も長さも私には長すぎて、たしかこの時の1回しか使わないで、すぐに交換会か、下取りに出してしまったものです。
<2015年4月26日>
こちらは「着物バスケット」というイベントに出かけたときの写真。
交換会でいただいた銘仙の着物でした。
そうそう、袖丈が長かったので、自分で短く詰めたのでした。
帯は世田谷ボロ市で見つけた超古い帯。
いちど、こういう格好をしてみたかったのです。
こうやって眺めてみると、着物のイベントや、美術館へのお出かけをよくしていましたね。
今から思うと、「不要不急」だと言えるかもしれません。
のんきに生活してきたのですね。
それでも楽しい日々でした。
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「一日一句」
思い出を振り返りつつ連休前
2020年4月26日日曜日
藤の花
このところ、夕方はいつも1時間ほどお散歩をしています。
なるべく人の通らない道を探して歩いています。
先日は、1メートルほどの幅もない狭い路地に入ってしまいましたが、藤の花が目の前に垂れていました。
藤の花は、普通は棚の上に咲いていますが、こちらは目の高さのところに咲いていました。
このように近くで見ると、藤はマメ科の植物である、ということがよく分かりますね。
花の色は、「藤色」というよりも、「水色」と言った方が良いような色でした。
ぼかした色と、中心の黄色が可愛いですね。
こんな色の着物が着てみたいな。
藤棚や、藤のトンネルのように、豪快に咲く藤の花も良いですけれど、ひっそりとつつましやかに咲いている藤も可愛らしいものでした。
ところで「鬼」は藤の花が苦手だそうですね。
「鬼滅」という漫画が人気なんだそうですが、その中に「鬼は藤が苦手」とあるそうです。
理由は分かりませんけど。
「一日一句」
コロナにも勝てと祈る藤の花
なるべく人の通らない道を探して歩いています。
先日は、1メートルほどの幅もない狭い路地に入ってしまいましたが、藤の花が目の前に垂れていました。
藤の花は、普通は棚の上に咲いていますが、こちらは目の高さのところに咲いていました。
このように近くで見ると、藤はマメ科の植物である、ということがよく分かりますね。
花の色は、「藤色」というよりも、「水色」と言った方が良いような色でした。
ぼかした色と、中心の黄色が可愛いですね。
こんな色の着物が着てみたいな。
藤棚や、藤のトンネルのように、豪快に咲く藤の花も良いですけれど、ひっそりとつつましやかに咲いている藤も可愛らしいものでした。
ところで「鬼」は藤の花が苦手だそうですね。
「鬼滅」という漫画が人気なんだそうですが、その中に「鬼は藤が苦手」とあるそうです。
理由は分かりませんけど。
「一日一句」
コロナにも勝てと祈る藤の花
2020年4月25日土曜日
40年前のこと
現在、新型コロナウィルスが世界中にはびこっています。
私は今からおよそ40年前、日本とはまるで環境や医療、食生活などが異なるアフリカに住んでいました。
ちょっと長文になりますが、当時のことを思い出してみました。
そこは衛生観念や、病気に対する対応、医療施設などまるで違うところでした。
道路には不衛生そうな露天商が並び、得体知れない食べ物も売られていました。
日本食は、しょうゆ以外はほとんど入手できませんでした。
お米はありましたが、虫が入っていたり、おいしくはありませんでしたが、食べないわけにはいきません。
私たちは、日本から持ち込んだ食料品を大事に少しずつ使い、またヨーロッパ系のスーパーマーケットで買い物をして生活していました。
生野菜を食べることもなく、熱を通したモノか、あるいは缶詰でした。
大根が食べたくなり、ケニア(飛行機で7時間ほどかかりました)に行ってようやくありつけた、という思い出もあります。
それでもフルーツだけは、日本よりもずっと安くておいしかった記憶があります。
そして、そこでは「マラリア」との戦いがありました。
マラリアは、ハマダラカという蚊が媒体する病気ですが、コロナと同じように、ほんの風邪程度で終わってしまうこともありますが、重症化して、亡くなることもある怖い病気でした。
なんとかという薬を毎日飲むように指導されていました。
アフリカにいた、と言っても、ジャングルに住んでいたわけではなく、外国人向けの高級住宅地に住んでいました。
リビングだけでも100平方メートルくらいあり、2階建ての立派な家でした。
ところがそれは外見だけで、家の中は常に電気が停電になったり、水が断水するような状況でした。
その地域には、日本人は100人くらい住んでいたでしょうか。
圧倒的に男性が多く、単身者や短期滞在者も多くいましたが、家族連れは50所帯くらいだったでしょうか。
そこに住むようになると、まずは先輩日本人からここでの過ごし方を教わります。
・マラリア対策
・消毒の仕方
・停電や断水の対処方法
・使用人の対応方法
・買い物の仕方
などなど。
そして私が今でもよく覚えているのは、消毒の方法でした。
そこにいた日本大使館の奥様から教えていただいた方法ですが、今のコロナに対しても通じるところがあるかもしれません。
住んでいたところは、平均気温が30℃ほどの地域でしたので、それぞれの家には冷蔵庫、冷凍庫は必需品でした。
(停電のため、使えない時も多くありましたが)
そして冷蔵庫には「きれい冷蔵庫」と「汚い冷蔵庫」が用意されていました。
買い物をした時は、大きな段ボール箱などに食品を詰め込んで家に戻りましたが、まずそれぞれの商品を、すぐに「汚い冷蔵庫」にしまいます。
そして、一つずつ取り出して、外装をきれいに消毒します。
そしてきれいになってから「きれい冷蔵庫」にしまい直すのです。
もちろん、日本とは異なり、40年前のことですから、肉や魚もカットして売られているわけではなく、どーんと塊であり、丸ごとでしたので、それをやっつけるのは大変でした。
ミンチ肉やスライスされた肉などは、絶対にありませんでした。
私よりもっと前の人たちは、庭で鶏の首をしめてから調理したという話を聞いていたほどです。
常に用意していたのは、「ミルトン」という消毒液でした。
いつもこれを薄めてボールに入れていました。
そして何かに手が触れた後は、ミルトンで拭いていたのでした。
現在のコロナ対策として、帰宅後は手を洗う、というのがありますが、当時もよく手を洗っていました。
こんなふうに細菌を防ぐため、食品の衛生には注意していましたが、もう一つ、なんとかという虫(蛾のような昆虫)が体内に入るのを防ぐために、やっていたことがあります。
それはその虫の卵をアイロンの高熱で焼き殺す(?)ことでした。
それをしないと、衣服についた卵が体内に入り、そこで孵化して、皮膚の下で虫が発生する、という恐ろしい話をよく聞かされていました。
それで、すべての衣類にはアイロンをかけていました。
といっても自分でアイロンかけをしたわけではなく、それはメイドの仕事でした。
シーツからタオル、シャツまですべてアイロンをかけさせていました。
その癖は、40年たった今でも、私の身体に沁みついていて、今でもすべての衣類にはアイロンをかけないと落ち着きません。
下着でもソックスでも、すべてアイロンをかける毎日です。
それだけ清潔にしていても、病気になる人(駐在員)はいました。
現地にはインド人などの医者もいましたが、幸いにも私はまだ若くて、子供もいなかったので、マラリアにもかからず、また医者の世話にはならずに済みました。
しかし重症になった人は、飛行機でロンドンの病院まで連れていかれました。
もちろん、現地の人はお金もなく、医者にも行けない人が多いので、病気になるとすぐに亡くなってしまうことがありました。
うちで雇っていたドライバーやガードマンも病気で亡くなりました。
私たちにはどうすることもできませんでした。
日本から持ってきた抗生物質をあげて、熱だけは下げたこともありました。
健康に過ごしていた私ですが、一回だけ、死にそうな目に遭ったことがありました。
それは隣国のコートジボアール(象牙海岸)までドライブ旅行に行き、そこのホテルで食べた何かが当たって、ひどい下痢と発熱があり、脱水状態になってしまいました。
水を飲むのも辛かったことを覚えています。
たぶん、飲み物に入っていた氷が当たったのかもしれません。
本当に苦しかったのですが、同行した日本人が「ワカマツ」という下剤を持っていたので、それを飲んでようやく下痢を治しました。
今はコロナ対策として、「手をよく洗う、うがいをする、手で顔を触らない」ように言われていますが、これも清潔な水がふんだんにある日本だからこそ、通用するのです。
アフリカに住んでいた時は、現地の人は、水はペットボトル2本くらいの量で、一日を過ごしていました。
私たちは、大きなトラックの給水車から水を買って生活していました。
そしてその水は、すべていったん沸騰させて、浄水器のようなものに入れて、濾過して使っていました。
現在、世界中のあらゆる国で、コロナ感染が蔓延していますが、死者の数を見ると、幸いにも日本はそれほど多くはありません。
日本という国の環境の良さ、医療の発達、そして日本人の清潔感が幸いしているのだろうと思います。
きちんと整理していないのですが、40年前の教えが蘇ってきました。
あまりにも昔のことなので、どこまで正確に描いたか自信はありませんが。
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「一日一句」
のびのびと黄緑色の新芽かな
私は今からおよそ40年前、日本とはまるで環境や医療、食生活などが異なるアフリカに住んでいました。
ちょっと長文になりますが、当時のことを思い出してみました。
そこは衛生観念や、病気に対する対応、医療施設などまるで違うところでした。
道路には不衛生そうな露天商が並び、得体知れない食べ物も売られていました。
日本食は、しょうゆ以外はほとんど入手できませんでした。
お米はありましたが、虫が入っていたり、おいしくはありませんでしたが、食べないわけにはいきません。
私たちは、日本から持ち込んだ食料品を大事に少しずつ使い、またヨーロッパ系のスーパーマーケットで買い物をして生活していました。
生野菜を食べることもなく、熱を通したモノか、あるいは缶詰でした。
大根が食べたくなり、ケニア(飛行機で7時間ほどかかりました)に行ってようやくありつけた、という思い出もあります。
それでもフルーツだけは、日本よりもずっと安くておいしかった記憶があります。
そして、そこでは「マラリア」との戦いがありました。
マラリアは、ハマダラカという蚊が媒体する病気ですが、コロナと同じように、ほんの風邪程度で終わってしまうこともありますが、重症化して、亡くなることもある怖い病気でした。
なんとかという薬を毎日飲むように指導されていました。
アフリカにいた、と言っても、ジャングルに住んでいたわけではなく、外国人向けの高級住宅地に住んでいました。
リビングだけでも100平方メートルくらいあり、2階建ての立派な家でした。
ところがそれは外見だけで、家の中は常に電気が停電になったり、水が断水するような状況でした。
その地域には、日本人は100人くらい住んでいたでしょうか。
圧倒的に男性が多く、単身者や短期滞在者も多くいましたが、家族連れは50所帯くらいだったでしょうか。
そこに住むようになると、まずは先輩日本人からここでの過ごし方を教わります。
・マラリア対策
・消毒の仕方
・停電や断水の対処方法
・使用人の対応方法
・買い物の仕方
などなど。
そして私が今でもよく覚えているのは、消毒の方法でした。
そこにいた日本大使館の奥様から教えていただいた方法ですが、今のコロナに対しても通じるところがあるかもしれません。
住んでいたところは、平均気温が30℃ほどの地域でしたので、それぞれの家には冷蔵庫、冷凍庫は必需品でした。
(停電のため、使えない時も多くありましたが)
そして冷蔵庫には「きれい冷蔵庫」と「汚い冷蔵庫」が用意されていました。
買い物をした時は、大きな段ボール箱などに食品を詰め込んで家に戻りましたが、まずそれぞれの商品を、すぐに「汚い冷蔵庫」にしまいます。
そして、一つずつ取り出して、外装をきれいに消毒します。
そしてきれいになってから「きれい冷蔵庫」にしまい直すのです。
もちろん、日本とは異なり、40年前のことですから、肉や魚もカットして売られているわけではなく、どーんと塊であり、丸ごとでしたので、それをやっつけるのは大変でした。
ミンチ肉やスライスされた肉などは、絶対にありませんでした。
私よりもっと前の人たちは、庭で鶏の首をしめてから調理したという話を聞いていたほどです。
常に用意していたのは、「ミルトン」という消毒液でした。
いつもこれを薄めてボールに入れていました。
そして何かに手が触れた後は、ミルトンで拭いていたのでした。
現在のコロナ対策として、帰宅後は手を洗う、というのがありますが、当時もよく手を洗っていました。
こんなふうに細菌を防ぐため、食品の衛生には注意していましたが、もう一つ、なんとかという虫(蛾のような昆虫)が体内に入るのを防ぐために、やっていたことがあります。
それはその虫の卵をアイロンの高熱で焼き殺す(?)ことでした。
それをしないと、衣服についた卵が体内に入り、そこで孵化して、皮膚の下で虫が発生する、という恐ろしい話をよく聞かされていました。
それで、すべての衣類にはアイロンをかけていました。
といっても自分でアイロンかけをしたわけではなく、それはメイドの仕事でした。
シーツからタオル、シャツまですべてアイロンをかけさせていました。
その癖は、40年たった今でも、私の身体に沁みついていて、今でもすべての衣類にはアイロンをかけないと落ち着きません。
下着でもソックスでも、すべてアイロンをかける毎日です。
それだけ清潔にしていても、病気になる人(駐在員)はいました。
現地にはインド人などの医者もいましたが、幸いにも私はまだ若くて、子供もいなかったので、マラリアにもかからず、また医者の世話にはならずに済みました。
しかし重症になった人は、飛行機でロンドンの病院まで連れていかれました。
もちろん、現地の人はお金もなく、医者にも行けない人が多いので、病気になるとすぐに亡くなってしまうことがありました。
うちで雇っていたドライバーやガードマンも病気で亡くなりました。
私たちにはどうすることもできませんでした。
日本から持ってきた抗生物質をあげて、熱だけは下げたこともありました。
健康に過ごしていた私ですが、一回だけ、死にそうな目に遭ったことがありました。
それは隣国のコートジボアール(象牙海岸)までドライブ旅行に行き、そこのホテルで食べた何かが当たって、ひどい下痢と発熱があり、脱水状態になってしまいました。
水を飲むのも辛かったことを覚えています。
たぶん、飲み物に入っていた氷が当たったのかもしれません。
本当に苦しかったのですが、同行した日本人が「ワカマツ」という下剤を持っていたので、それを飲んでようやく下痢を治しました。
今はコロナ対策として、「手をよく洗う、うがいをする、手で顔を触らない」ように言われていますが、これも清潔な水がふんだんにある日本だからこそ、通用するのです。
アフリカに住んでいた時は、現地の人は、水はペットボトル2本くらいの量で、一日を過ごしていました。
私たちは、大きなトラックの給水車から水を買って生活していました。
そしてその水は、すべていったん沸騰させて、浄水器のようなものに入れて、濾過して使っていました。
現在、世界中のあらゆる国で、コロナ感染が蔓延していますが、死者の数を見ると、幸いにも日本はそれほど多くはありません。
日本という国の環境の良さ、医療の発達、そして日本人の清潔感が幸いしているのだろうと思います。
きちんと整理していないのですが、40年前の教えが蘇ってきました。
あまりにも昔のことなので、どこまで正確に描いたか自信はありませんが。
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「一日一句」
のびのびと黄緑色の新芽かな
2020年4月24日金曜日
多摩川の堰
このところ、夕方にはご近所を散歩しています。
この日は、多摩川の土手を歩きました。
陽が長くなりましたね。
5時過ぎでも、空がとても明るくてきれいでした。
ジョギングをする人も多いですね。
走っている人たちの息がかかると怖いので、私はここから一段下の土手を歩きました。
こちらは堰です。
ダムのようになっています。
台風の残骸の樹木がまだ引っかかっていました。
水量がけっこう多いので、迫力がありました。
向こう側には、よみうりランドも見えます。
右手の丸いのが、ジェットコースターと観覧車です。
太陽が沈みかけていた時間でしたが、多摩川の下流の方は、まだ明るい日差しがありました。
ずっと行くと、二子玉川や、大田区、羽田のほうまで繋がっているところです。
右手は川崎市です。
しばらく堰を眺めて、戻りました。
こちらは京王線の鉄橋です。
電車はガラガラでした。
******
「一日一句」
多摩川の水が迫るや春の夕
この日は、多摩川の土手を歩きました。
陽が長くなりましたね。
5時過ぎでも、空がとても明るくてきれいでした。
ジョギングをする人も多いですね。
走っている人たちの息がかかると怖いので、私はここから一段下の土手を歩きました。
こちらは堰です。
ダムのようになっています。
台風の残骸の樹木がまだ引っかかっていました。
水量がけっこう多いので、迫力がありました。
向こう側には、よみうりランドも見えます。
右手の丸いのが、ジェットコースターと観覧車です。
太陽が沈みかけていた時間でしたが、多摩川の下流の方は、まだ明るい日差しがありました。
ずっと行くと、二子玉川や、大田区、羽田のほうまで繋がっているところです。
右手は川崎市です。
しばらく堰を眺めて、戻りました。
こちらは京王線の鉄橋です。
電車はガラガラでした。
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「一日一句」
多摩川の水が迫るや春の夕
2020年4月23日木曜日
ひと月前の着物姿
着物に手を通さなくなってから、だいぶ経ちました。
最後に着たのは、3月23日ですから、ちょうど今からひと月前ですね。
こんなに長い間、着物を着なかったことは、これまでありませんでした。
コロナのような非常時でも、いつもと同様に着物という方もいらっしゃいます。
それは素敵なことです。
でも私は、どうも着物に手を通す気持ちになれませんでした。
私は家の中では着物を着ないので、着物はお出かけのときだけでした。
ですから、「不要不急の外出しない」というお触れが出てからは、外出を取りやめたので、必然的に着物を着る機会がなくなってしまいました。
最近では、外出は「歩いて行ける範囲」のところしか行きません。
それもスーパーなどは行かず、近所の八百屋さんか、多摩川の土手くらいです。
人と会うのを徹底的に避けるようにしています。
最後に着物でお出かけしたのは、映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘」を見た▼日でした。
映画を見た後は、お隣の日比谷シャンテにある着物屋さん「都粋」がリニューアルオープンしたというので、駆けつけました。
こちらのお店は、それまではビルの地下1階にあったのですが、リニューアルして2階に移り、スペースも広く、そして新しくなりました。
こちらは、1階のショーウィンドーです。
出かけたのは、以前、こちらで購入した帯の着姿を、選んでいただいたお店の人に見ていただきたかったからです。
その時の様子を、「都粋」のブログ▼で、ご紹介していただきました。
ありがとうございました。
こちらの写真は、お店のブログから拝借しました。
そして、この日、コロナに打ち勝つためには、不要不急の生活をするためにも、最低一か月は着物を着ないで過ごそうと決めたのです。
着物にはちょうど良い桜の季節も、新緑の季節も、毎日、タートルネックのシャツとジーンズで過ごしてきました。
色もグレーや深緑の服ばかりでした。
着物は着なければ、それでどうということはありません。
でも、また新たな気持ちになって、着物を着てみるかもしれません。
*******
この日の装い。
いただきものの藍色の紬着物。
茶色の地に、海賊船のような帆掛け船の絵がお太鼓に描かれた帯です。
見えないところにも、地球の陸地や、海図などが描かれています。
とてもユニークで楽しい帯なのです。
半襟、帯締め、帯留も、「都粋」さんのイベントでお安く購入したものでした。
最後に着たのは、3月23日ですから、ちょうど今からひと月前ですね。
こんなに長い間、着物を着なかったことは、これまでありませんでした。
コロナのような非常時でも、いつもと同様に着物という方もいらっしゃいます。
それは素敵なことです。
でも私は、どうも着物に手を通す気持ちになれませんでした。
私は家の中では着物を着ないので、着物はお出かけのときだけでした。
ですから、「不要不急の外出しない」というお触れが出てからは、外出を取りやめたので、必然的に着物を着る機会がなくなってしまいました。
最近では、外出は「歩いて行ける範囲」のところしか行きません。
それもスーパーなどは行かず、近所の八百屋さんか、多摩川の土手くらいです。
人と会うのを徹底的に避けるようにしています。
最後に着物でお出かけしたのは、映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘」を見た▼日でした。
映画を見た後は、お隣の日比谷シャンテにある着物屋さん「都粋」がリニューアルオープンしたというので、駆けつけました。
こちらのお店は、それまではビルの地下1階にあったのですが、リニューアルして2階に移り、スペースも広く、そして新しくなりました。
こちらは、1階のショーウィンドーです。
出かけたのは、以前、こちらで購入した帯の着姿を、選んでいただいたお店の人に見ていただきたかったからです。
その時の様子を、「都粋」のブログ▼で、ご紹介していただきました。
ありがとうございました。
こちらの写真は、お店のブログから拝借しました。
そして、この日、コロナに打ち勝つためには、不要不急の生活をするためにも、最低一か月は着物を着ないで過ごそうと決めたのです。
着物にはちょうど良い桜の季節も、新緑の季節も、毎日、タートルネックのシャツとジーンズで過ごしてきました。
色もグレーや深緑の服ばかりでした。
着物は着なければ、それでどうということはありません。
でも、また新たな気持ちになって、着物を着てみるかもしれません。
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この日の装い。
いただきものの藍色の紬着物。
茶色の地に、海賊船のような帆掛け船の絵がお太鼓に描かれた帯です。
見えないところにも、地球の陸地や、海図などが描かれています。
とてもユニークで楽しい帯なのです。
半襟、帯締め、帯留も、「都粋」さんのイベントでお安く購入したものでした。
2020年4月22日水曜日
源氏物語を楽しむ会 2020年4月 オンラインでトライ
私たちは、世田谷区の施設を借りて、毎月一回、「源氏物語を楽しむ会」というグループ学習(というとかっこよいですが)をしています。
前回は2020年3月に開催▼しました。
その時は、コロナウィルスは少しは蔓延していましたが、まだ公共施設の利用はOKの時でした。
その後、感染がどんどん広まり、緊急事態宣言も出されるようになり、公共施設の利用はできなくなりました。
私たちは専門家ではないので、学習会が中断されても、とくに問題はないのですが、それでもお互いに繋がっていたいと思い、オンラインでなんとかできないかと、トライしてみることにしました。
それまで連絡は「メッセンジャー」でグループを作り、そこでしていたのですが、日程調整には「ライン」のほうが利点があるということで、ラインのグループも新しく作成しました。
そしてライングループでのビデオ通信をトライしてみようと思いつきました。
というのも、高校時代の同級生(男子)から、「自分の奥さんは4人姉妹だけど、その4人で<若草物語>というグループを作って、ぺちゃぺちゃおしゃべりを楽しそうにしている」という話(メール)を聞いたからです。
同級生の奥様にできることなら、私たちもやってみようと思いました。
そして日時を決めて、みんなでビデオ通信を試みたのですが、うまく繋がらない人がいて、やり直しすることになりました。
そしてまた日時を決めてトライしたのですが、それでもどうもうまくいかない。
その時のラインの画面です。
私のスマホの電波がうまく飛ばなくて、プロフィールになっている人もいます。
それなら、今話題の「ズーム」とやらをインストールしてやってみようとか思いましたが、その前に、メッセンジャーのグループでもビデオ通信ができることを思い出しました。
そして、ネット会議の経験のあるメンバーの方からのアドバイスなどもあり、あれこれ苦戦しながらやってみたら、ようやくみんなの顔と声が出て、ホッとしました。
メッセンジャーの画面です。
この程度のことは、今どきの人なら、スイスイとできるのでしょうけれど、おばさんたちにはちょっとスリル満点でした。
ドタバタ記録ですが、どなたかのお役に立つかと思い、ブログに書いてみました。
私たちのグループの内容は、平安時代の小説を味わうものですが、そればかりでは浮世離れしてしまいます。
あまり世の中から遅れないように、少しずつ、新しいことを取り入れていきたいものですね。
メンバーの人の話では、他にもいろいろなアプリや方法があるようです。
これで繋がることが分かったので、次回は源氏物語の原文を少しは読み進めていきたいと思っているところです。
********
「一日一句」
ネットでも源氏の世界春うらら
前回は2020年3月に開催▼しました。
その時は、コロナウィルスは少しは蔓延していましたが、まだ公共施設の利用はOKの時でした。
その後、感染がどんどん広まり、緊急事態宣言も出されるようになり、公共施設の利用はできなくなりました。
私たちは専門家ではないので、学習会が中断されても、とくに問題はないのですが、それでもお互いに繋がっていたいと思い、オンラインでなんとかできないかと、トライしてみることにしました。
それまで連絡は「メッセンジャー」でグループを作り、そこでしていたのですが、日程調整には「ライン」のほうが利点があるということで、ラインのグループも新しく作成しました。
そしてライングループでのビデオ通信をトライしてみようと思いつきました。
というのも、高校時代の同級生(男子)から、「自分の奥さんは4人姉妹だけど、その4人で<若草物語>というグループを作って、ぺちゃぺちゃおしゃべりを楽しそうにしている」という話(メール)を聞いたからです。
同級生の奥様にできることなら、私たちもやってみようと思いました。
そして日時を決めて、みんなでビデオ通信を試みたのですが、うまく繋がらない人がいて、やり直しすることになりました。
そしてまた日時を決めてトライしたのですが、それでもどうもうまくいかない。
その時のラインの画面です。
私のスマホの電波がうまく飛ばなくて、プロフィールになっている人もいます。
それなら、今話題の「ズーム」とやらをインストールしてやってみようとか思いましたが、その前に、メッセンジャーのグループでもビデオ通信ができることを思い出しました。
そして、ネット会議の経験のあるメンバーの方からのアドバイスなどもあり、あれこれ苦戦しながらやってみたら、ようやくみんなの顔と声が出て、ホッとしました。
メッセンジャーの画面です。
この程度のことは、今どきの人なら、スイスイとできるのでしょうけれど、おばさんたちにはちょっとスリル満点でした。
ドタバタ記録ですが、どなたかのお役に立つかと思い、ブログに書いてみました。
私たちのグループの内容は、平安時代の小説を味わうものですが、そればかりでは浮世離れしてしまいます。
あまり世の中から遅れないように、少しずつ、新しいことを取り入れていきたいものですね。
メンバーの人の話では、他にもいろいろなアプリや方法があるようです。
これで繋がることが分かったので、次回は源氏物語の原文を少しは読み進めていきたいと思っているところです。
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「一日一句」
ネットでも源氏の世界春うらら
2020年4月21日火曜日
熱海散歩 4.駅周辺あれこれ
現在は、コロナウィルス感染拡大防止により、外出はまるでしていませんが、着物友だちと一緒に熱海に出かけて、ちょうど1か月が経ちました。
その時の旅行記ですが、「3.起雲閣」▼で中断してしまっていました。
もうだいぶ時間が過ぎしましたが、最終回は、熱海駅周辺について、ちょっと思い出しながらご紹介してみます。
まずは、この熱海散歩を企画してくれたRさんご推薦のお店「アカオ」です。
熱海駅前すぐのところにありました。
食べログによると、「ノスタルジックな雰囲気漂うカフェ」だそうです。
このクリームソーダがいいでしょ。
アイスがまるでナタのような感じで、ドーンとそそり立っていました。
大きな岩のようなアイスでした。
右はコーラです。
たくさんお散歩した後でしたので、とても美味しく感じました。
店内はこんな感じ。
ちょっと昭和テイストのお店でしょう。
お店の1階は雑貨屋さんで、こぎれいなインテリア小物などを売っていたようです。
熱海といえば、駅周辺にはアーケードのある商店街が並んでいます。
そこには多くのお土産屋さんがあります。
なんといっても温泉まんじゅうや、干物類が多いところですね。
私がお土産にしたのは、こちらの「鯛のあぶり焼」という酒のつまみでした。
見かけはすごくおいしそうでしたが、家で食べたらそれほどでもありませんでした。
「あぶり焼」というネーミングにちょっとごまかされた感じでした。
駅前の広場には、蒸気機関車が置いてありました。
通称「ベンケイ号」です。
明治20年から大正12年まで、小田原と熱海の間を時速10kmで走っていた本物の機関車です。
玩具のようにとても小さくて、本当に走っていたのかしらと思ったほどでした。
この日の熱海は、とても人出があり、とくに駅前周辺は若い人が多くて驚きました。
学生の春休みもスタートした時期でしたが、海外旅行などよりも国内の近場で楽しもうと、熱海に繰り出した人が多かったのかもしれません。
この頃は、コロナウィルスが日本でも少し流行り出したころでした。
本来は、あまり外出はよくなかったのですが、すべてのお稽古ごとやお出かけが中止になってしまい、熱海なら空いているだろうと思って出かけたので、ちょっとショックでした。
それでもマスクをして、あまり無理なスケジュールにならないようにしました。
人ごみを通りましたが、おかげでコロナウィルスには感染せずに、ホッとしました。
一度は行ってみたかった起雲閣にも行けたし、来宮神社も参拝できたので、ラッキーでした。
でも郊外に出かけるのも、気を付けないとね。
自戒を込めて。
ご一緒していただいたみなさま、ありがとうございました。
******
「一日一句」
誘い合い着物で散歩彼岸道
(静岡県熱海市)
その時の旅行記ですが、「3.起雲閣」▼で中断してしまっていました。
もうだいぶ時間が過ぎしましたが、最終回は、熱海駅周辺について、ちょっと思い出しながらご紹介してみます。
まずは、この熱海散歩を企画してくれたRさんご推薦のお店「アカオ」です。
熱海駅前すぐのところにありました。
食べログによると、「ノスタルジックな雰囲気漂うカフェ」だそうです。
このクリームソーダがいいでしょ。
アイスがまるでナタのような感じで、ドーンとそそり立っていました。
大きな岩のようなアイスでした。
右はコーラです。
たくさんお散歩した後でしたので、とても美味しく感じました。
店内はこんな感じ。
ちょっと昭和テイストのお店でしょう。
お店の1階は雑貨屋さんで、こぎれいなインテリア小物などを売っていたようです。
熱海といえば、駅周辺にはアーケードのある商店街が並んでいます。
そこには多くのお土産屋さんがあります。
なんといっても温泉まんじゅうや、干物類が多いところですね。
私がお土産にしたのは、こちらの「鯛のあぶり焼」という酒のつまみでした。
見かけはすごくおいしそうでしたが、家で食べたらそれほどでもありませんでした。
「あぶり焼」というネーミングにちょっとごまかされた感じでした。
駅前の広場には、蒸気機関車が置いてありました。
通称「ベンケイ号」です。
明治20年から大正12年まで、小田原と熱海の間を時速10kmで走っていた本物の機関車です。
玩具のようにとても小さくて、本当に走っていたのかしらと思ったほどでした。
この日の熱海は、とても人出があり、とくに駅前周辺は若い人が多くて驚きました。
学生の春休みもスタートした時期でしたが、海外旅行などよりも国内の近場で楽しもうと、熱海に繰り出した人が多かったのかもしれません。
この頃は、コロナウィルスが日本でも少し流行り出したころでした。
本来は、あまり外出はよくなかったのですが、すべてのお稽古ごとやお出かけが中止になってしまい、熱海なら空いているだろうと思って出かけたので、ちょっとショックでした。
それでもマスクをして、あまり無理なスケジュールにならないようにしました。
人ごみを通りましたが、おかげでコロナウィルスには感染せずに、ホッとしました。
一度は行ってみたかった起雲閣にも行けたし、来宮神社も参拝できたので、ラッキーでした。
でも郊外に出かけるのも、気を付けないとね。
自戒を込めて。
ご一緒していただいたみなさま、ありがとうございました。
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「一日一句」
誘い合い着物で散歩彼岸道
(静岡県熱海市)
2020年4月20日月曜日
未知の道の花たち
先日は、家の近くであっても、これまで一度も通ったことのない未知の道を散策してきました。
すると、そこは私の住んでいる町(ごく庶民的な地域)とは思えないほどの、豪邸が並んでいたのでした。
ある一画だけに、突然現れたので、びっくりしました。
庶民には手の出ないような家ばかりが並んでいました。
一つとして同じスタイルの建物はなく、どれも個性的で、ピンクやイエロー、淡いベージュ、青、緑などの外壁で、ほんとうに美しい住宅が並んでいました。
「夢のような」という言葉がぴったりのおうちばかり。
「いいなー」と羨ましく思いながら歩きましたが、でもその地区は駅からはちょっと遠いのですよ。
それでどの家にも、かっこよい車が並んでいました。
私はペーパードライバーなので、こういうところに住むのは無理そう、と思って諦めました。
その未知の地域の道に咲いていたお花を、ちょっと写してきました。
人が住んでいるところなので、あまり家の中を見つめては悪いので、道ばたの花を写しただけです。
のぞき見と間違えられたら、困りますからね。
おうちのお庭には、もっと手入れをされた花がたくさん咲いてました。
コデマリ。
ピンと直立したツツジ。
アオキ、でしたっけ。
新緑の葉っぱが美しい色でした。
サクラソウ?
ツユクサに似ていますが、何だろう?
花びらが5枚あるので、ツユクサではなさそうですね。
シャクナゲ。
紫色の小花です。
何という名前でしたっけ?
モッコウバラ。
コラージュしてみました。
お花の図鑑が必要かもしれませんね。
スマホのアプリにも、植物の名前が画像で検索できるのがありますけど、使ってみようかな。
******
「一日一句」
花満ちて心も弾む散歩道
すると、そこは私の住んでいる町(ごく庶民的な地域)とは思えないほどの、豪邸が並んでいたのでした。
ある一画だけに、突然現れたので、びっくりしました。
庶民には手の出ないような家ばかりが並んでいました。
一つとして同じスタイルの建物はなく、どれも個性的で、ピンクやイエロー、淡いベージュ、青、緑などの外壁で、ほんとうに美しい住宅が並んでいました。
「夢のような」という言葉がぴったりのおうちばかり。
「いいなー」と羨ましく思いながら歩きましたが、でもその地区は駅からはちょっと遠いのですよ。
それでどの家にも、かっこよい車が並んでいました。
私はペーパードライバーなので、こういうところに住むのは無理そう、と思って諦めました。
その未知の地域の道に咲いていたお花を、ちょっと写してきました。
人が住んでいるところなので、あまり家の中を見つめては悪いので、道ばたの花を写しただけです。
のぞき見と間違えられたら、困りますからね。
おうちのお庭には、もっと手入れをされた花がたくさん咲いてました。
コデマリ。
ピンと直立したツツジ。
アオキ、でしたっけ。
新緑の葉っぱが美しい色でした。
サクラソウ?
ツユクサに似ていますが、何だろう?
花びらが5枚あるので、ツユクサではなさそうですね。
シャクナゲ。
紫色の小花です。
何という名前でしたっけ?
モッコウバラ。
コラージュしてみました。
お花の図鑑が必要かもしれませんね。
スマホのアプリにも、植物の名前が画像で検索できるのがありますけど、使ってみようかな。
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「一日一句」
花満ちて心も弾む散歩道
2020年4月19日日曜日
思い出の絵葉書シリーズ 1
コロナウィルス感染拡大防止のため、「おうちにいよう」ということで、家で片付けものをする時間が増えています。
毎日、家の中をあちこち少しずつ整理をしていますが、先日は便せんや切手などの棚を片付けていました。
そこには絵葉書もたくさん残っていました。
美術館や博物館、旅先などで求めた美しい絵葉書は、お礼状などを出す時に使っていますが、それでも素敵な絵のものから使ってしまうので、手元に残るのは、どちらかというとあまりぱっとしないものばかりです。
それをそのまま紙ごみに出してしまうのは勿体ないので、捨てる前に、ちょっと思い出とともに写真にして残しておこうか、と思いつきました。
何か利用できないかと考えた結果です。
ほんとに思いつきなので、絵葉書の写真アップは順不同です。
そして老化現象のため、記憶もあいまいになってきていますので、その絵葉書を手に入れた時のブログを頼りにしてみようと思います。
まずは島根県にある足立美術館▼の絵葉書です。
ここに行ったのは、2015年6月でした。
その時のblogはこちら▼。
私の好きな日本画がたくさんありました。
またお庭もとても素敵でした。
この時は、団体ツアーで行きました。
私は団体は嫌いなのですが、この足立美術館は個人で行くにはちょっと交通の便が悪いところで、他にも出雲大社や鳥取砂丘がコースに組まれているツアーなら仕方ない、と思って渋々ながら、団体ツアーに参加したのでした。
この時は夫が一緒でしたので、ホテルで卓球ができたのが、楽しかったですね。
足立美術館のホームページには、現在閉館とは書かれていません。
安来市では、まだコロナウィルスの感染は出ていないようですが(4月17日現在)、学校も閉鎖されているので、美術館も同様に閉鎖されているのでしょう。
あの美しいお庭のある美術館、いつかまた再訪してみたいものです。
*******
「一日一句」
ゆったりと緑の蔭で絵と向かう
(島根県安来市 足立美術館)
毎日、家の中をあちこち少しずつ整理をしていますが、先日は便せんや切手などの棚を片付けていました。
そこには絵葉書もたくさん残っていました。
美術館や博物館、旅先などで求めた美しい絵葉書は、お礼状などを出す時に使っていますが、それでも素敵な絵のものから使ってしまうので、手元に残るのは、どちらかというとあまりぱっとしないものばかりです。
それをそのまま紙ごみに出してしまうのは勿体ないので、捨てる前に、ちょっと思い出とともに写真にして残しておこうか、と思いつきました。
何か利用できないかと考えた結果です。
ほんとに思いつきなので、絵葉書の写真アップは順不同です。
そして老化現象のため、記憶もあいまいになってきていますので、その絵葉書を手に入れた時のブログを頼りにしてみようと思います。
まずは島根県にある足立美術館▼の絵葉書です。
ここに行ったのは、2015年6月でした。
その時のblogはこちら▼。
私の好きな日本画がたくさんありました。
またお庭もとても素敵でした。
この時は、団体ツアーで行きました。
私は団体は嫌いなのですが、この足立美術館は個人で行くにはちょっと交通の便が悪いところで、他にも出雲大社や鳥取砂丘がコースに組まれているツアーなら仕方ない、と思って渋々ながら、団体ツアーに参加したのでした。
この時は夫が一緒でしたので、ホテルで卓球ができたのが、楽しかったですね。
足立美術館のホームページには、現在閉館とは書かれていません。
安来市では、まだコロナウィルスの感染は出ていないようですが(4月17日現在)、学校も閉鎖されているので、美術館も同様に閉鎖されているのでしょう。
あの美しいお庭のある美術館、いつかまた再訪してみたいものです。
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「一日一句」
ゆったりと緑の蔭で絵と向かう
(島根県安来市 足立美術館)
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