もうひと月以上も前のことになってしまいましたが、川崎市の南武線平間駅から鹿島田駅まで歩いてきました。そのときの記録が中途半端だったので、書き加えてみました。
当初はもっと南の方まで歩きたかったのですが、暑いのと、方向音痴気味になってしまったので、途中で諦めて戻ってきたのでした。
その日のおおよそのルートです。
JR南武線の平間駅で下車、その後は二ヶ領用水を目指して歩き、府中街道のバス停を越えました。
「平間駅入口」というバス停でした。
この先に二ヶ領用水が通っています。
前回も通過した「大鹿橋」でした。
ここから先、両側は普通の住宅です。歩きやすい散歩道でした。
「さくら橋」
「長寿橋」
あちこちに紫陽花が咲いていて、きれいなところです。
このマンホール、椿の花が真っ赤で目立っていました。珍しいマンホールを求めて歩く人もいるようですね。
この橋は、前回もびっくりした「朱印橋」。ピカピカです。
その隣にはボロボロの名無し橋。
なんと「犬の飼い主へ 通行禁止」という張り紙がありました。
犬の散歩中に橋が壊れても知らんよ、ということでしょうか。
渡るのも怖いですよね。
錆びついていました。事故があったら誰が責任を負うのでしょう?
このあたりの自治体は何をしているのでしょうね。あるいは住民の意識の問題でしょうか?
しばらく行くと、昔風の低い橋がありました。名前はわかりませんでした。
「鹿島田中町」というバス停。
行き先が高津駅ということは、かなり長距離ですね。
こちらは前回も通過した「鹿島田橋」です。
向こう側に二ヶ領用水の続きが見えますが、残念ながら行き止まりです。
前回もこの標識にがっくりしましたが、いつまで行き止まりなのでしょうか。
しかたなく大回りして道路を歩いていたら、「川崎堀踏切」がありました。
ここで南武線を渡るわけです。
ここにも低い橋がありました。こういう低い橋を見ると、なんとなくホッとします。
平間浄水場近くの堀です。
きれいに整備されています。
浄水場に向かって歩きました。
こちらは「わが国最初の工業用水」の場所です。
農業用水だった二ヶ領用水を工業用に使った訳ですね。
この周囲をぐるぐると歩き回りました。
上の看板に「鳥居」と書かれていたので、私はいわゆる神社の鳥居を探していたのです。
ところがそれは大きな勘違いだと、後になって気づきました。
【追加部分】あまりにマニアックなものなので、あえて写真は載せませんでした。またピンボケでしたので、写真は削除してしまいましたが、2枚のみ残っていたので、ここにアップしておきます。
それはこのT字のような形のコンクリート?の支え棒のようなものです。
まずはネットの外側から写したもの。草がぼうぼうで、鳥居だとは分かりません。
こちらはネットの隙間から写したもの。
これが「鳥居」だとは誰も分かりませんよね。上半分だけが見えていました。
私は半信半疑でした。
それで鳥居の追求は諦めて、かつての六郷用水跡を歩いたのでした。
昔の六郷用水やその分水は、このようにあちこちに広がっていました。
鳥居探しは諦めて、鹿島田駅のビルでちょっと休憩。
その後は、駅前の高級マンションの際を歩いて、下平間のほうへ向かいました。
ここまで来ると二ヶ領用水の跡はまるで分かりませんでした。たぶん、この小さな川が水路と関係あるのだろうと思いました。
しばらく歩くと、称名寺です。
ここは赤穂浪士ゆかりの寺だそうです。
なんだかんだで13000歩程度歩いたようです。
二ヶ領用水を扱った書籍やブログなどを見ても、普通は平間浄水場のところで終了しています。
地元の人なら、この先も追いかけることができるでしょうが、私にとってはこの地域はまるで土地勘がないので、歩くのも一苦労。
いったんここで終了したいと思います。
昨年2023年10月に歩いた二ヶ領用水 鹿島田編は
こちら▼。
なんだか締まりのないブログになりました。やはり実行した直後に書かないと、記憶が薄れてぼんやりとしてきますね。
二ヶ領用水にお付き合いいただき、ありがとうございました。