2024年11月12日火曜日

「源氏物語を楽しむ会」76回 2024年11月 ~先月の訂正~

早いもので今年も11月になってしまいました。残りわずか一月半です。

ところで前回の10月分に、間違いがありましたので、訂正します。

それは近江の君が作ったおかしな句として、

「常陸なる駿河の海の須磨の浦に 浪立ち出でよ箱崎の松」を紹介しました。

ところがこの句は、近江の君の作ではなく、弘徽殿女御のおそばの女房・中納言が、女御の代作として、わざと下手に作った句でした。

近江の君が作ったのは、こちらの句です。

「草わかみひたちのうらのいかが崎いかでもあひ見む田子の浦浪」

リンボウ先生の訳ではこのように書かれていました。

「まだ萌え初めた草の未熟さに、あの常陸の浦のいかが崎ではございませんが、いかにしてお目にかかることができましょうか。田子の浦の波のような私は」という意味でした。

ということで、この回は「常夏」をもう一度、復習したのでした。

大事なところを間違えて、大変、失礼いたしました。

近江の君は素っ頓狂な女性として、書かれていますが、それでも句は作れるし、愛嬌があるようですので、私としては可愛い女性だと思いますよ。上級の女性からは見下されているようですが。

*******

この日の装い。

Uさんは、ぐっと落ち着いた黄八丈。黒い帯とよくマッチしていますね。「大人の黄八丈」といった感じです。

私は深緑色の紬(単衣)と、同系色のざっくり帯。芥子色の帯締めが、Uさんとリンクしていますね。

うしろ姿はこんな感じでした。




2024年11月10日日曜日

先輩の着物イベント訪問

今日のブログの主人公は、私よりもだいぶ年下の方なのですが、あえて「先輩」と呼ばせていただきます。

というのも、それは彼女は、現在、私が通っている大学の先輩だからです。

彼女の存在を初めて知ったのは、今年の1月に、入試の二次試験の面接時、私はいつもの習慣で、着物姿で臨んだ時です。

面接官の先生は私の姿を見て、「以前、こちらの大学で着物の研究をした人もいますよ」と教えていただきました。「えー、着物をテーマに研究した人もいるのか、自由な大学なんだな」と嬉しくなったのを覚えています。

その後、私は入学を認められ、大学に通うようになりました。江戸東京の授業で、担当の先生が「江戸小紋や男性の袴の研究で論文を書き、そして起業して着物の事業をしている卒業生がいる」と教えていただきました。

そんな人素晴らしい人がいるのかと思い、彼女の論文に目を通しました。あれこれ検索してみると、ちょうど11月の連休中に、中央線の西荻窪で展示会のイベントがあるという情報を見つけました。

西荻窪は私のテリトリーですし、是非、お目にかかってお話を聞かせていただきたいと思い、ギャラリーに向かったのです。


お店のドアを開けると、にっこりと微笑んだ女性がいました。

その方こそ、「KIMONO SMILE」を起業したHさんなのでした。

わー、嬉しかったですね。

ギャラリーにはインド更紗の切りばめ半幅帯や、木綿やポリの素敵な着物が並んでいました。手入れが簡単で、手軽に扱える着物が一番だと言うことは、私も同感なので、ほっとしました。


お人形さんは、ダンガリー生地の振り袖に半幅帯。
そして見えても可愛い三重紐。

大学のこと、論文のこと、着物のこと、などあちこち話が飛びました。

在学中はコロナ禍のため、オンライン授業が続いたとのこと。そんな中で起業してしまうとは、並大抵の努力ではなかったはずです。

何よりも「着物を着て、笑顔になろう」というコンセプトに同感しました。

私自身は、なんとかの式のため、親類づきあいのため、など形式張った着物はいやですね。日常的に着る着物、そして少しはオシャレな気持ちになって、年齢とは関係なく背筋がピンとなるような着物、気分が上がる着物が一番だと思っています。

そんな思いをしていたので、「KIMONO SMILE」さん、フレーフレーと応援したいですね。

個人で活動している着物関係の知り合いはたくさんいますが、大学の先輩である方は初めてです。

今年の着物サローネでは、あの近藤サトさんのYouTube番組に出演されました。反響がすごかったそうです。

きりばめ半幅帯の魅力が伝わってきます。サトさんもテンションが高い!

https://www.youtube.com/watch?v=wzLjoXcYw-Y

(1分35秒から登場)

私もペイズリー模様のコットンの半襟を記念に購入しました。

すごい先輩だな〜、と思いつつ、ギャラリーを後にしたのでした。

ホームページはこちら。笑顔になれる着物です。

    KIMONO SMILE▼

インスタ、ラインなどでも展開されています。

*******

この日の装い。

初対面の方にお会いするのに何を着て行こかと、ちょっと迷いましたが、骨董市で求めた濃い緑の無地の着物と、「着物お譲り会」でいただいたオレンジ色の袋帯。



上に羽織ったのは、「ろっこや」さんからアイデかをいただいた洋服ポリ生地の羽織です。





2024年11月9日土曜日

2024年10月の着物

このところ、いろいろと用事が立て込み、ブログ更新が遅れています。

2024年10月を振り返ってみると、前半は真夏のような暑さが続き、後半になり、ようやく単衣着物が着られるようになったのでした。

順不動ですが、10月に着た着物をまとめてみました。


2024年10月は12回でしたね。
ほとんどがポリか麻か木綿着物でした。

また主に通学時に着用していたので、なるべく目立たぬよう(着物というだけで目立っていますが)、地味着物にしたので、上の写真のピンク大島と赤のチエック木綿以外は、似たような目立たない色合いの着物でした。

学校に着物姿で行くときは、着物はとにかくとして、帯は地味なものを選びますね。後ろの席の人にとって、目の前に大きなお太鼓があると目障りでしょうから。

そしてようやく袷が着られる季節になりましたね。
とはいえ、厚手の木綿の着物もあるので、まずそちらを着用しようかと思っています。

そして大学に行くときは、MOZのスニーカーです。カレンブロッソの底だと、階段の滑り止めシール(?)が吸い付いて、歩きにくいのです。
大学ではうるさいことを言う人もいないので、知らん顔して着物でズックです。



2024年11月6日水曜日

大学祭に行ってみました & トホホの顛末

文化の日、私が学んでいる大学の文化祭(今はそういう単語は使わないのかな?)に行ってみました。イマドキの大学祭の様子をちょっと覗いてみたかったのと、私がどんなところへ通っているかを夫にも見せようと思って出かけたのでした。

大学のある駅に着いたらあまりの人混みにびっくり!信じられないくらいの人が集まっていました。

ところがそれは大学祭に来た人たちではなくて、「パン祭り」というイベントに来た人たちなのでした。たくさんのテントが出ていて、どこのお店も長蛇の列。

私は行列に並んでまでパンを買いたいとは思わないのですが、とにかくギューギューで歩けないほど。

それでもなんとか大学の正門に到着。写真を撮ろうとしても、人混みに流されてしまいました。

立て看もイマドキ風。

当たり前ですが、私の知っている全共闘の立て看とは大違い。

来場者は、来年の受験に向けての高校生やその家族が多かったように思いました。

模擬店が並ぶのは、どこの大学でも同じですね。

私は「スイーツクラブ」?というクラブが製作販売しているマカロンやマドレーヌを購入。丁寧に作られていましたよ。

他にも食べ物屋さんがたくさん並んでいましたが、どこも行列だし、夫はこのようなお店で食べるのは好きでない人なので、チラ見をしただけでした。

構内をどんどん歩いて行くと、一般市民のバザー会場になりました。

その中で、明治時代の和皿というのがあり、なかなか良い感じなので、2枚購入。何を乗せようかと夢が広がる淡いグリーンのお皿でした。

バザー会場を抜けて、人が少ないところまで歩きました。

こちらは体育館の入り口だったかな?

人混みを歩かされて不機嫌な夫をなだめながら、森の方へ。

一枚だけ写してもらいました。

この後、なんとか人混みを抜けて駅に戻り、ランチをする店を探したのですが、どこも大混雑でイマイチ。

仕方なく、安くてすぐ食べられそうな松屋を見つけて、お店のドアをあけたとたん、上がりかまちに足をぶつけて、ドタンと躓いてしまいました。痛くてしばし立ち上がれず。

脳裏にはどういうわけか、大谷翔平がスチール失敗して左肩を亜脱臼したシーンがよぎりました。

そして手に持っていた明治の和皿は粉々に・・・・

おまけに食事はなかなか出てこないし、おなかは空くばかり。夫は不機嫌なまま。

ぐったりして家路に戻ったのでした。

夕方、居間から見た富士山だけが救いの一日でした。




2024年11月4日月曜日

松竹大歌舞伎@たましんホール

「たましんRISURUホール」で中村隼人さんの松竹大歌舞伎を見てきました。

まずは隼人さんが素顔でご挨拶をされました。化粧前のすっきりとした現代風イケメンです。公演の内容を簡単に話してくれたので、お芝居もよくわかりました。

ここから数分は写真撮影タイムでしたが、残念ながら、あまりうまく写せませんでした。


ピンボケでした。

最初の演目は「双蝶々曲輪日記」(ふたつちょうちょうくるわにっき)。これは全部演じたらかなり長いお芝居ですが、そのなかで「引窓」の部分だけでした。実の息子と、血の繋がらない義理の息子の間に立ち、悩み悲しむ母親。それを思いやる息子の姿。人情歌舞伎というのでしょうか、明かり取りの引窓がうまく演出されていました。

休憩時間には、カレンダーやハンカチなどの隼人さんグッズがたくさん売られていて、必死に買っている人がたくさんいましたね。

ポスターの前で記念撮影。

次は「身替坐禅」というもので、これは狂言を下にしたお芝居でした。恐妻家の主人公と、その奥方とのコミカルな駆け引きが笑いを誘いました。舞台の背後には松の絵が描かれていたし、セリフも狂言風でした。楽しいお芝居でした。

どちらの出し物も、中村錦之助さんと隼人さんの親子共演でした。

ところで会場名の RISURU とは、「利」つまり「利益を与える」ということだそうで、地域の皆さんにいろいろと有益なことを与えるという多摩信用金庫のポリシーだそうです。

この公演は巡業という位置づけで、全国各地を回っているそうです。歌舞伎座や南座という有名な会場にはなかなか足が運べない、という方にとっても嬉しいですね。

チケットはすぐに売り切れてしまい、キャンセルを待ってようやく手にしましたが、私の好きな隅っこの席でしたので、かえってラッキーでした。

客席には卒業した堀越学園の先生もいらっしゃり、和やかなムードでした。

ロビーはなんとなくクリスマスモードでした。

この日は大雨が予想されましたが、それでも和服で来場された方もポツポツといました。私はレインコートにブーツでした。

それはともかくとして、素敵な隼人さんの素顔も拝見できたし、お芝居も観られて満足。帰るときには雨になりましたが気分良く終わりました。

誘ってくれたUさん、どうもありがとうございました。

2024年11月2日土曜日

生麦事件~海芝浦ウォーク

先週のことになってしまいましたが、大学の有志で神奈川県の東海道付近を歩いてきました。

素敵な企画を立ててくださる方がいました。

全体のルートはこんなふうでした。盛りだくさん!

  生麦のパン屋さん巡り→キリン生麦工場見学とキリンビアホールでのランチ→生麦事件現場→JR国道駅→海芝浦駅→鶴見駅→鶴見のパン屋さん

私は、キリン工場については8月に筑波工場で見学をして、試飲もしていたので、これはパスをしました。

ということで、他の方がほろ酔い加減になった頃、キリン工場の玄関で待ち合わせしました。

工場のすぐ近くには、生麦事件の記念碑がありました。

生麦事件は、幕末に東海道の生麦村で起きた事件です。薩摩藩の大名行列にイギリス人が出くわして、薩摩の侍がイギリス人を切りつけて、1人が死亡、2人が重傷となりました。これをきっかけとして薩英戦争が起きてしまいました。当時は異文化とのふれあいがなかったこと、習慣の違いなどが原因だったようです。

碑の説明です。


その後はおしゃべりをしながら、旧東海道を歩きました。今ではまるで普通の道です。

すると、生麦事件の発生現場というところに来ました。記念碑とはかなり離れている場所でした。

しばらく歩くと、JR国道(こくどう)駅に到着。レトロな雰囲気の駅でした。映画などのロケにも使われたことがあるという場所でした。


アーチ式の天井が懐かしい感じでした。
昭和テイストが溢れていました。


ここから鶴見線に乗りました。海が迫った場所に工場がずらりと並んでいました。「京浜工業地帯」そのものの風景でした。

15分ほど乗ると、海芝浦駅に到着。無人駅なのでした。東芝の関係者以外は、ここから先は進入禁止です。

ここは本来は東芝工場のための駅なのですが、隣接する公園が一般にも公開されています。

電車を降りると、すぐに海なのでした。


遠くにはベイブリッジ、手前はつばさ橋だったかしら。

お天気はイマイチでしたが、広々として気持ちの良いところでした。


同級生に写してもらいました。

海が足下まで迫ってきて、ちょっと怖い?

みんなでワイワイガヤガヤしながら、海芝浦を満喫しました。

お天気が良ければ、こんな風景が見られるそうです。


公園はきれいに整備されていました。チェックチェリーだったかしら?

次の電車が来るまで、ボーッとしたらこんな写真を撮られてしまいました。


鶴見線の電車の前で、みんなで記念撮影。


そしてまた鶴見線に乗り、今度は京急鶴見駅まで。


ここでパン好きの人に、有名なパン屋さんに連れて行ってもらいました。

こちらをお土産にしました。

ずんだと珈琲味のあんパンです。帰宅していただきました。

おじさん、おばさんが、賑やかにぞろぞろと歩いた半日の遠足でした。