2015年6月30日火曜日

郡上八幡@東京・青山

今年の5月に郡上八幡に行きました▼が、その時、郡上八幡博覧館で素敵な郡上紬の見本を見ることができました。
ところが、郡上紬の特約店である呉服屋さん「たにざわ」▼は、私が行ったときにはあいにくとお休みで、とても残念でした。

たまたま、新聞などで、青山で郡上八幡のお祭りがあることを知り、物産展も開かれるというので、きっとあの紬に出会えるのではないかと期待して、会場に行ってみました。

地下鉄の外苑前の駅には、「郡上おどり」のポスターが貼られていました。


青山には、江戸時代には郡上八幡の殿様である青山家の菩提寺があり、その縁で、こちらでお祭りが開かれているそうです。

場所は秩父宮ラグビー場の駐車場というところでした。

前日は雨が降ってあまり参加者も多くなかったかもしれませんが、この日はまぁまぁの曇り空でした。


会場に入ると、素敵なうちわをいただきました。


こちらは夏に郡上八幡で開催される、本物の郡上おどりのパンフレットです。


夜になると、ここの櫓の周りで郡上おどりが踊られるのです。
まだ時間が早かったので、閑散としていましたが。


地元のお店がいろいろと出ていました。
そして嬉しいことに、たにざわのお店も出店していたのでした。


こちらのご主人にもお話を聞くことができて、ラッキーでした。

おまけに写真も写していただきました。


ご主人の話では、毎年3月には近くの梅窓院▼で郡上紬の展示会が開かれるとのことでした。その時には是非、行って、本物の郡上紬に触れてみたいと思いました。

時間の関係で、有名な郡上八幡おどりは踊りませんでしたが、郡上八幡の町を懐かしく思い出すことができました。



2015年6月29日月曜日

山口伊太郎さんの作品

FBの友人のブログ「SOWARE」▼に、山口伊太郎さんの作品を日本橋三越で鑑賞したという記事がありました。

私が山口さんのことを知ったのは、2008年、今からもう7年も前のことです。

当時の私は源氏物語に夢中になっていて、源氏物語に関係のあるものなら、本であれ映画であれ講演会であれ、さまざまな分野のものに触れては、一人で楽しんでいました。

2008年の大晦日のブログ▼に、源氏物語のまとめを書いておきましたが、とにかく源氏物語は、この年のマイブームになっていました。

そんな時、京都で源氏物語絵巻を織物にした展覧会が開催されるというので、興味を持ち、京都のさとさんを誘って相国寺まで見に行ったことがありました。

詳細は、2008年6月4日のブログ▼をご覧ください。

その当時は、私は着物とはまるで無縁の生活をしていたので、その展覧会の良さをどこまで理解できたか分かりませんが、高齢の職人さんが命をかけて織り出した作品に、強く胸を打たれたのでした。

そして、今回たまたま東京でも見られるという情報を知り、急いで出かけて行きました。

その作品は三越の呉服売り場の中でも特に高級な品ばかりを扱う特選売り場にあり、私のような安物着物愛好家にはちょっと足を入れるのに躊躇するようなところでした。

それでも中に入ってみると、素晴らしい山口さんの源氏物語絵巻と再会することができました。

会場には、山口さんのお孫さんに当たるという若い女性がいらっしゃり、いろいろと説明してくださり、また身内でしか知り得ないようなエピソードもお話してくださいました。

絵巻は全部で4巻から成っていて、2セットあり、1つは西陣にありますが、1つはフランスに贈られたそうです。
というのもフランスはジャガード織のメッカなのですが、西陣織はジャガード織を応用したという理由で、その敬意を表してフランスに寄贈されたそうです。

私が京都の展覧会で見たときは、薄い蚊帳のような御簾に驚いたのですが、その作り方も教えていただきました。

奇遇なことに、彼女は私が見た展覧会を担当していたということでした。

また彼女が10歳くらいの時に描いた絵(紙に描いたもの)を、山口さんが織物にして、帯に仕立てたという作品もありました。とても可愛らしいものでした。

山口さんの帯は数百万円というような高額なものもありましたが、30万円程度の帯も販売されていて、ちょっと安心しました。

他にも美しい菖蒲や梅、重厚な菊などの帯も見せていただきました。

山口さんの作品にはもうお目にかかることもないだろうと思っていましたが、再会できて本当にラッキーでした。

山口さんは紫紘(しこう)という会社を立ち上げていらっしゃいますので、現在はこちらの紫紘のHP▼で山口さんのことを知ることができます。

なお作品はデパートの中ですので、撮影禁止でちょっと残念でした。

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この日の装い。

梅雨時のお天気だったので、菊の模様の浴衣を夏着物風に着てみました。


半襟は手芸品のお店で買ったコットン・レースの生地を切ったものです。

オレンジ色の帯は割と薄手なので、あまり暑くなくてよいのですが、後ろのお太鼓がピシッと決まらないのが難点ですね。


2015年6月28日日曜日

「美術館建築を楽しむ 6」

市民カレッジ「美術館建築を楽しむ」の6回目は、講師の故郷でもある石川県の各地にある美術館の紹介でした。


今回は、以下の4つの館を紹介していただきました。

1.石川県七尾美術館
内井 昭蔵 設計 1994年


内井さんは、日本で初めて公園の敷地内に美術館を建てた建築家です。
それは1985年に建てられた世田谷美術館です。
その後、日本全国で公園+美術館というパターンが増えたそうです。
また美術館にカフェを作ったものこの方が最初だとか。
内井さんは、他にも高岡市美術館や大分市美術館も設計しているそうですが、どれもその地方の
素材を使用するという工夫をされているそうです。
この七尾美術館は七つの屋根を持ったドームが特徴とのことでした。
また七尾は長谷川等伯の出身地でもあるので、ここでは、年に1回は等伯の特別展が開かれるそうです。
私も等伯の原点である能登地方の空気を感じさせる、この美術館に行ってみたいと思いました。

2.石川県能登島ガラス美術館
毛綱 毅曠 (もづな きこう)設計 1991年


能登半島の真ん中あたりにある能登島に建つ美術館です。
目の前に海が広がり、立地条件は最高のところのようです。
毛綱さんという建築家は、風水を取り入れた設計をした方だそうです。
ここでも、四神(東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武)に見立てた棟を配置してあります。
かなりの奇人だったということでした。
自己顕示欲が強そうな方で、美術館に展示される作品よりも、建物の方が目立ちそうな感じでした。
建てられた当時は斬新さが目を引きますが、年月を経ると、メンテナンスに問題があるという設計もあったそうです。
故郷の釧路にも、いろいろな建物を作っていらっしゃいました。

3.西田幾多郎記念哲学館
安藤 忠雄 設計 2002年


能登半島の日本海側に面した、かほく市出身の西田幾多郎の記念館です。
日本を代表する建築家・安藤さんの特徴であるコンクリートの打ちっぱなしが随所にみられます。
館内の階段など、随所に安藤忠雄の個性が生きているようでした。
建築家の目から見ると、かなり高度な技術を持った職人さんでなくては作れない構造になっているということでした。
ちなみに私の住んでいる市にも安藤忠雄さんの作品(劇場)がありますが、私はどうも好きになれません。
外観の冷たさもあるのですが、それ以上に配置が入り組んでいて、たとえばトイレに行こうと思っても、いつもウロウロと迷ってしまうようになっています。建築家の趣味かもしれませんが、使いにくいのは困りますね。
  
4.中谷宇吉郎雪の科学館
磯崎 新 設計 1994年


雪の結晶で有名な加賀市出身の科学者・中谷宇吉郎の美術館です。
この隣には中谷の生家もあるそうです。
彼は寺田寅彦の弟子で、随筆家としても多くの著書があるそうです。
建物の外部には大量の盛り土をして、2階のエントランスに導いています。
また中庭にある60トンもの石はグリーンランドから運んできたものだそうで、それは中谷さんの研究にも関わっているのだそうです。
中谷さんの娘さん(かなり高齢の方ですが)が芸術家とのことで、その作品も飾られています。
ここは金沢からは離れているので、簡単に行けるところではないようですが、雪の季節に出かけたら素敵だろうなと思えるところでした。

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講師の先生は時々、建築とは直接関係のない話をしてくれるのですが、そのほうが興味くて面白いこともあります。

今回、印象的だったのは、美術館と神社の比較でした。

日本人が神社にお参りに行くときは、長い参道を歩き、手や口を水ですすぎ身を浄め、お賽銭を投げて、そして礼をして、願い事を神様に祈るという一巡の手順がありますね。

ところが普通の美術館は、入り口で代金を払うとすぐに展示会場になり、心の余裕がないままに作品と出会うというケースがよくあります。
美術館に到着するまでの道も、ごちゃごちゃしていたり、世俗的なものに囲まれていることが多いのではないかという指摘でした。
このようなことは作品に対して失礼なのではないか、また作品を見た後も、余韻が残らないのではないかという意見を述べていました。

神社と美術館をそのまま比較するわけにはいかないですし、目的も違うとは思います。
ただし、日本人が神社やお寺にお参りすることは、小さなころから自然に身についているように、美術館も子供のころから慣れ親しみ、美しいものを見る訓練や、態度を学ぶ必要ではないかと思いました。

ちなみに、日本はイギリスやフランスなどに比べると、美術館の数はかなり多いそうです。
でも気楽に足を運べるような料金でないところが多いですね。

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この日の装い。

このところよく登場している黄色い縞の遠州木綿です。

(これは美肌に写せるというアプリを使用してみました。)


会場は冷房がきつくて、着物でも肌寒いくらいでした。
洋服だったら凍えてしまいそうでした。

帯の模様が花火のようですね。


暑い季節は、ブルー系のものを身に付けたくなります。


2015年6月27日土曜日

歌舞伎鑑賞教室

先日、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に行ってきました。


今回の出し物は「壺坂霊験記」でした。
なぜ、これを見たかというと、3月に赤坂サカスで文楽でこれを見た▼ので、その人間バージョンの舞台も見たかったからです。


今回は歌舞伎鑑賞教室としての舞台でした。
これは歌舞伎初心者向けのもので、高校生などを対象としていますが、一般の人が入場しても構いません。
いろいろと歌舞伎の説明があり、1500円の席もあるので、お得な舞台です。

鑑賞教室では「歌舞伎のみかた」という解説と案内役を、若手の役者さんがつとめます。
その時は素顔で、袴姿のことが多いようですね。
今回は 坂東亀寿さんという役者さんでしたが、歌舞伎のせりふとは異なり、分かりやすく話すのはけっこう難しく、緊張する役なのだとか。

会場は9割くらいが制服姿の高校生でしたので、始まるまではまぁワイワイと賑やかでした。
ところが役者さんが舞台に上がり、歌舞伎の説明をしだすと、シーンとなって静かに聞いていました。
生まれて初めて歌舞伎に接した学生も多かったと思いますが、真剣な様子でした。

司会者がまずは歌舞伎の成り立ちから始め、舞台の説明をしました。
舞台が回るとどっとどよめきが起こり、また舞台がせりあがると、歓声が上がりました。

その後は若い役者さんが登場して、女役になるときのお化粧方法をやってみせました。
それをカメラで写し、大型スクリーンで見せてくれたので、細かいところまでよく分かりました。
刷毛で顔を白く塗り、紅を引き、眉を描いた後の美しさには、学生たちもみんな感激していたようでした。

そして、その後は女子学生二人が舞台に上がり、女形といっしょに打掛を着て、花道をそろりそろりと歩くということもやっていました。
二人とも感激して、うるうるとした様子でした。

このような経験はきっと記憶に残ることだと思います。

鑑賞教室では分かりやすい冊子も配布されるので、とても親切だと思います。

外国人向けの教室もあるそうですが、それも良い試みですね。

今回は一番後ろの列でしたが、まん真ん中の席でしたので、舞台が全部見渡せてラッキーでした。

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舞台は目の見えない座頭の沢市と、その女房のお里のお話です。
もともと人形浄瑠璃として初演され、その後、歌舞伎を始め、他の芸能にも取り入れたお話です。
夫婦の愛情と観世音菩薩信仰が、お話の主題になっています。


沢市役は坂東亀三郎さん。
お里役は片岡孝太郎さんでした。

文楽で見たときは、谷底に身を投げるときは人形が後ろからどーんと倒れるように飛び込んでいましていましたが、さすがに人間が演じるときは、足からすーっと飛び込んでいました。

また文楽のときは人形の動きや人形遣いの顔が気になりましたが、役者さんが演じたときは義太夫の歌や三味線を楽しむというゆとりも生まれてきたようでした。

観世音菩薩の役は小さな女の子が演じていましたが、澄んだ声を張り上げ、よく頑張って演じたと思います。

最後に沢市の目が開き、二人が手を取りながら幸せそうに花道を帰る場面では、高校生も大きな拍手を送っていました。

ちなみに冊子によると、壺坂(壷阪)というお寺は奈良県の飛鳥地方に実在するそうです。
このお寺のことは、「枕草子」にも登場しているそうですから、かなり昔からあったのですね。
ここは今でも眼病封じの寺として有名なお寺だそうです。

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この日の装い。

雨が予想されたので、濡れても大丈夫な着物にしました。
先日の着物交換会▼でいただいてきた着物です。


抹茶色のような地味な色の着物なので、帯は生成り色にオレンジの大きな花柄の明るいものにしました。

結局雨は降らず、かなり暑い日となりました。



2015年6月26日金曜日

「明治の柩」

先日、ブログ友達のSさんのご紹介で、文学座の「明治の柩」▼という劇を鑑賞してきました。

池袋にある豊島区立の「あうるすぽっと」というホールで行われましたが、とても立派なホールでした。
池袋はフクロウと縁がある町ですが、いけぶくろ→ふくろう→アウルということなのでしょうね。


「明治の柩」は明治時代に日本公害史の原点となった、栃木県の足尾銅山鉱毒に対して問題を解決しようと人生を賭けた政治家・田中正造(劇中では旗中正造)の生涯を描いたものです。

彼は農民の中に入り、明治政府と対決して生き抜きました。

この劇では、社会主義やキリスト教、大日本帝国憲法についての思想が多く語られました。

マルクス、エンゲルス、キリスト、天皇の思想を劇で伝えるのは難しいとは思いますが、当時の農民たちの貧しい生活を通して、生きるということはどういうことなのかを考えさせる劇だったと思います。

この劇は高瀬久男さんという演出家によるものですが、彼は稽古中に57歳という若さでお亡くなりになったそうで、会場には彼をしのぶコーナーも用意されていました。とても才能のある演出家だったようです。

意外だったのは大逆事件で有名な幸徳秋水が、田中とも付き合いがあったということでした。
日本史の教科書では、足尾銅山の問題と、大逆事件とは別々に扱われていたと思いますが、同じ時代のできごとであり、彼らは交流していたというのは意外でした。

そして彼らのような著名人以外にも、貧しい農村で必死に生きる若者たちの姿が描かれていました。何を手掛かりにしてどのように生きたらよいのだろう、と悩む姿が胸を打ちました。

これぞ文学座の正当な劇なのだろうと思いました。

私は、このような劇はあまり鑑賞したことがないので多くは語れませんが、この劇を通して現代の問題点もあぶり出されてきたと思いました。
たとえば当時の植民地戦争政策のために銅が必要であったので、足尾というところに押し付けていたわけですが、このことは沖縄に米軍基地を配備してそれを沖縄に押し付けている現代の姿とダブります。
また原発の問題にしても、汚染を恐れて他の場所に生きる場を求めていく人、生まれ故郷を捨てられずにずっとその場で生きる人がいるということも、谷中村を逃げ出したり逃げ出せなかったりした明治時代と変わらないのではと思いました。
非常に重いテーマの劇でした。

役者さんたちは、主人公を演じた方はもちろん、小さな役の人もセリフが優れていたと思います。
とくにセリフをわざと棒読みにした強制執行官役の人や、常に田中の陰になって後を追っていた巡査の人は、目立っていたと思います。

私は前から2列目という良い席で鑑賞することができたので、役者さんの口から飛び出る唾もはっきりと見えました。
役者さんというのは、ほんとうに身体を張ってやっているのだと痛感しました。

今回はこのような小冊子までいただきました。
キャストなどのほかに、田中正造が生きた歴史年表もあって参考になりました。


また着物という観点から眺めてみると、明治という時代を考えれば当たり前のことなのですが、登場人物の多くが着物姿(男性は袴や着流しや野良仕事用)だったというのも、目新しい発見でした。
政治家はスーツ姿だろうと思い込むのは、現代の感覚だ、ということを認識しないといけませんね。

中でも若い女性の新聞記者役の着物姿は素敵でした。
長めの羽織を羽織っていたり、二重太鼓をしていたりでしたが、じっくりと眺めてきました。
ただし、草履の底が分厚くて、ちょっと現代風なような気がしましたが。

それと最後の場面で、田中の奥さんの喪服姿で登場します。
全身黒で、帯締めだけが白でしたが、こういう着方もあるのかしら、とちょっと気になりました。

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この日の装い。

今年1月の着物交換会でいただいた麻(?)の着物です。
かなり透けて見えるので、自分で大きない居敷当てをつけたのですが、そのせいか、暑く感じました。

帯は去年、たんすやさんで買ったもの。
リサイクル品ではなく、新しい帯なので、長くて結びにくくて大変です。

こちらはおまけの写真です。
会場に行く途中、時間があったので白い帽子を買ってみました。


見知らぬ人から「白い帯と帽子がよく合っているわ」と褒められたので、池袋のショッピングセンターにあった大きな鏡の前で写してみました。

1000円でちょっとした雰囲気が変えられるのなら、着物に帽子というチョイスもよいかもしれませんね。


2015年6月25日木曜日

楽しい着物交換会

先日、着物倶楽部の着物交換会▼に参加してきました。

会場は川崎にある古町家の「ギャラリーゆう」です。


前回▼は2015年1月に行われ大盛況でしたが、今回もたくさんの方が来場されました。
梅雨時だったので、和服と洋服の方が半々ぐらいだったかしら?


参加費の1000円を支払うと、おいしい手づくりのマドレーヌと飲み物がいただけます。
人気は鮮やかな色が美しいしそジュースです。
ミントの葉っぱがおしゃれですね。


私は、押入れの中を整理して、もう着ないと思われるものを集めてみました。
鎌倉で買った袷の着物、京都で買った二部式の帯、たんすやさんで買った黒い帯、派手すぎた帯揚げ、多くなってしまった帯締めなどあれこれ持参しました。

こちらはまだ数が少ない時の写真ですが、このあと、どんどんと交換品が追加されました。


絹もののコーナー、木綿やウールのコーナーなどに分かれて置かれています。
今回は季節柄、夏物着物もいろいろとありましたね。

こちらは帯のコーナーです。
お店のようですね。


まだ開始前ですが、事前に目星を付けているところかしら。


私は、今回は何も持ち帰らないようにしていたのですが、結局、洗える夏着物、黒の名古屋帯、半巾帯、小さくて誰も着られないようなアンティークの羽織、多色入りの帯締めなどを持ち帰ることになりました。


「着物交換会」はとても良い試みだと思います。

「似合うかもしれない」と思って買ってはみたものの、組合わせるものがなかったり、どうも雰囲気が違うという理由で、箪笥のこやしになってしまったものがありますよね。

ところが自分には合わなくても、他の誰かにはきっと似合うことがあるのです。
これはとても不思議な現象だと思います。
洋服ではそうはいかないでしょう。

今回もイベントの終了時には、ほとんどの品がどなたかのもとにお嫁入りしたことになりました。
私が持参したものも、どなたかのお役に立っていただけると嬉しいですね。

企画運営してくださった着物倶楽部の部長さん、ゆうさん、スタッフのみなさま、どうもありがとうございました。

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この日の装い。

雨交じりのお天気だったので、遠州木綿の着物です。
マイサイズなので、着やすい着物です。


帯は、京都の錦市場で買った麻の帯。
冬に京都で1000円で求めましたが、重宝しています。









2015年6月24日水曜日

2015 山陰ツアー 7 ~出雲の町歩き~

山陰旅行記もようやく最終回となりました。

最後は出雲の町歩き。

出雲で有名な食べものと言えば出雲そばですが、ぜんざいも有名なんだそうです。
なんでもここが「日本ぜんざいの発祥の地」なんだとか?

「神在」(かみがあり)がなまって、「ぜんざい」になったとか、本当かな。
お蕎麦とぜんざいの両方を出しているお店の看板です。


こちらは日本ぜんざい学会第一号店という店でした。
そんな学会があるなんて、知らなかったわ。


ぜんざいも食べてみたかったのですが、お昼ご飯をたくさんいただいたので、残念ながらお腹がいっぱいなので、パスしてしまいました。ちょっと残念でした。

こちらは、出雲大社の鳥居のすぐ脇にあるスターバックスです。
娘から「出雲のマグカップを買ってきて」と頼まれていたので、寄ってみました。
ご当地カップを集めているのです。

出雲店はお洒落な感じの建物でした。


娘に頼まれていたマグカップはなんと1つ1700円もしました。
ここで買ったという、証拠の写真です。


実は鳥取にできたスタバにも寄ってみたかったのですが、そのお店はJR鳥取駅の近くにあるそうで、バスはそこを通らなかったので、残念ながら日本最後のスタバ県(?)である鳥取のお店には行けませんでした。

5月に長野の善光寺に行った時▼も感じましたが、神社やお寺がある町は、参道にはお店がぎっしりと並び、商業のメッカとなっていますね。

出雲の町も、大社まで「神門通り(しんもんどおり)」というまっすぐな道が続き、多くの観光客で賑わっていました。

神社のご利益というのはすごいものだと思いました。

町歩きも終わって、またバスに集合して出雲空港へ。
ここは「縁結び空港」という名前もついていました。


行きは全日空でしたが、帰りは日航です。


無事に羽田に到着して、帰宅できました。

今回の旅行は、最初はあまり気が進まなかったのですが、お天気にも恵まれ、食事もそれほど悪くはなく、添乗員さんも良い人だったし、各地でゆっくりと過ごせたので、結果的には満足できました。

たまには夫と旅行するのもよいかも?






2015年6月23日火曜日

2015 山陰ツアー 6 ~出雲大社~

(山陰ツアー記がなかなか終わりませんね。)

旅行のメインである出雲大社に到着しました。

こちらはバスの車内から写した第二の鳥居です。
鳥居は全部で4つあり、それぞれコンクリート製、木製、鉄製、銅製と種類が異なります。


お参りする前に昼食をいただきました。

出雲そばは、つゆのことを「だし」と呼ぶように、だしの風味が強かったですね。
他にもエビの刺身とか、カニの味噌汁とか、いろいろとご馳走がセットになっていました。


出雲は、昨年、国麿さんと高円宮の典子さんがご結婚されたので、あちこちにこんなチラシが貼ってあり、祝福ムードでした。
松江城が国宝になったこともあり、島根県民は華が高いことでしょう。


ここでは出雲観光協会の専門のガイドさんが付いて、いろいろと丁寧に説明してくれました。
77歳のおじいちゃんでしたがとてもお元気で頭脳明晰な方でした。

あちこちの場所でクイズを出しながら説明してくれました。
こちらの日の丸ですが、大きさはどれくらいでしょう?
誰も当たりませんでした。


答えは畳75畳分だそうです。
すごく大きな国旗でした。

記憶が定かでないのですが、こちらから境内に入りました。


ちょうど結婚式の記念撮影をしていました。
後ろに見える大きなしめ縄が、出雲大社のシンボルですね。


こちらは国麿さんと典子さんのお住まいです。
千家国造り館だったかしら?


この後、神楽殿に昇殿して、30分ほど神主さんからのお祓いを受けました。
終了後にはお神酒もいただきました。
団体旅行ならではのはからいだったようです。

こちらの神社は天皇家とは祖先が繋がっているので、天皇家からの下賜金もあるそうです。


ここは「拝殿」と言って、去年、国麿さんの結婚式が行われたところです。
しめ縄がものすごい太さでした。

ちなみに「しめ縄」の語源もクイズでした。
アマテラス大御神が天岩戸にお隠れになって世の中が真っ暗になりましたが、その後、アメノタヂカラオという力自慢の神様が岩から引っ張り出し、そして岩戸の入口に「ここからはもう入らない」という意味で縄を張ったそうです。
それがしめ縄の始まりということでした。
へー、締め切りの意味があったのですね。


普通の団体旅行では出雲大社の滞在は1時間ほどらしいのですが、今回は3時間以上もあったので、あまり行かないような場所にも連れて行ってもらいました。
でも日差しが強くて、暑くて疲れ気味。

屋根のカーブが美しかったです。


裏側から見たところです。
最初に見た日の丸が見えますね。


境内はとても広くていろいろな神社があるのですが、相撲の始まりである野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)というのもありました。
ここで横綱の土俵入りもあるのだとか。


出雲大社はとても広く、松が美しいところでした。

こちらがガイドさんです。
無事、見学が終了してみんなでお礼のあいさつをしているところです。
いろいろな神話も教えていただき、とてもためになりました。


この後は、自由時間があったので、神門通り(しんもんどおり)のお土産屋さんなどに行ってみました。

(この項、続きます)