2020年3月31日火曜日

Eテレ「にっぽんの芸能」

コロナウィルス感染防止のため、年寄りは外出を自粛しています。
多くの劇場は閉鎖、イベントも中止、そして何より私のいくつかの趣味も中断されています。
またグループホームにいる母とは面談できず、埼玉に住む娘とはラインでのやりとりのみ、カナダにいる妹とはメールのみの昨今です。
ということで、今は家の中で読書や片づけをして、近所の多摩川にお散歩に出かけるくらいです。
そんな中、時々見ていたあるテレビ番組の内容が、来年度(4月)から変更になるというので、見てみました。

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さまざまな日本の古典芸能を分かりやすく紹介しているNHK・Eテレの番組「にっぽんの芸能」ですが、司会進行役の石田ひかりさんが卒業、そしてその間の集大成をするというので見てみました。

石田さんは4年間司会を担当されたそうで、最初の司会はは中村芝翫さん親子の襲名インタビューだったそうです。
もうそんなに経つのですね。


能や狂言も、熱心な様子で紹介されていました。

新しい古典のジャンル紹介では、谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩の踊りがありましたが、その作曲が今藤政太郎先生だったのには、驚きました。


実は、谷川さんは、私の高校の大先輩なのです。
そして政太郎先生は、私の三味線の先生の先生なのですが、意外なところで繋がりがあるのですね。

そしてこの番組で一番感動したのが、政太郎先生作曲の「六斎念仏意想曲」でした。
多数の太鼓、三味線による演奏でした。


これは去年、収録されたものですが、私は以前、政太郎先生の作品演奏会▼で実演を見ていたので、その時の感動がいまだに残っています。
去年もまた生の演奏を聞きましたが、何回聴いても、素晴らしい曲です。


松本幸四郎さん(私には染五郎のほうがピンときますが)の太鼓もすごかったです。
最後は掛け声で、びしっと決まりました。


テレビでも舞台と同じ迫力が伝わってきました。

番組の終わりにある、各地の訪問コーナーでは、長浜市にある三味線の糸づくり見学が面白かったですね。
特殊な道具を使って糸を撚る(?)のですが、本当に手作業で大変なことだろうと思います。

この番組では、ひかりさんのお着物も素敵でしたね。
訪問着も素敵ですが、地方に出かけるときの紬のように見えるシンプルな着物も似合っていました。


来週からは、なんと高橋英樹が司会を担当するのだとか。
ちょっと雰囲気が変わりそうですね。


初めに書いたように、今は三味線のお稽古は中断中です。

今の状態は、戦争とは異なるとは思いますが、一種の戦争状態です。
戦争中も、やはりお稽古事などは自由にできなかったことでしょう。
それを思えば、今は見えないウィルスという敵と戦っているかけですが、水も電気もテレビやネットも自由につかえるだけ良いかもしれません。

みんなが安心して生きていけるよう、医療従事者や科学者など第一線に立つ人たちを応援していきたいと思います。

そして私自身が感染者とならないよう!



2020年3月30日月曜日

熱海散歩 3.起雲閣へ

この記事は、2020年3月21日の話です。
その日は3連休の中日で、お天気も良く、外出して、思いがけず多くの人に出会いました。
その後、10日経ちましたが、今のところコロナウィルスには感染していない様子です。
それでも多少の不安は残ります。

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今回の熱海散策に行ってみたいと思ったのは、「起雲閣」▼が予定に入っていたからです。
これまで、熱海に行く予定があっても、ここはパスしてしまうことが多かったのです。
それで今回は是非、実現させたいと思いました。


起雲閣は、大正8年(1919年)に、内田信也という人の別荘として作られました。
この人は、船舶業の成金だった人だそうですが、政治家としても活躍したそうです。

その後、大正14年(1925年)には、鉄道王(東武鉄道社長など)の根津嘉一郎に渡り、「根津熱海別邸」として、洋館や庭園が整備されました。この方は根津美術館の創設者としても有名な方ですね。

戦後の昭和22年(1947年)には桜井兵五郎という人が、旅館「起雲閣」として開業するようになりました。
そこには山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治といった日本の代表的作家が利用していました。
そして彼らがここに宿泊して、数多くの作品を執筆したということです。

その後、平成12年(2000年)に、熱海市のものとなり、現在では一般公開されています。


中に入って見学をスタートしました。


とにかく豪華で広くて素晴らしいところでした。
お金持ちのスケールの大きさに驚きました。

洋風応接間。


和風庭園。


お庭には、ちょうど桜がきれいに咲いていました。


ローマ式風呂なんてのもありました。


天井も素晴らしい。


かつて文豪たちが宿泊した部屋。


どこも絵になりましたね。


ということで、素敵な背景をバックに、みんなでお互いにスマホ撮影大会となりました。

玄関にて。


 暖炉の前で。


窓際にて。


桜の木の下で。


こちらは、アンティーク家具の鏡で自撮り。


ということで、みんなは豪華な建物に満足して、熱海駅まで向かったのでした。


(この項、続きます)


2020年3月29日日曜日

熱海散歩 2.来宮神社

ちょうど1週間前の出来事です。
いまは家にこもって、コロナウィルスに感染しないようにしています。

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さて、熱海から来宮までやってきました。
来宮駅から数分歩いたところにあるのが、来宮神社▼です。


なんと坂上田村麻呂が、ここで戦勝祈願を行ったとかの由緒ある神社でした。
竹に覆われた参道を歩くのは、地元の着物友だちのTさんです。


なかなか立派な本殿でした。


また来宮神社は若い人向けにいろいろと工夫をしていました。
こんな可愛いイラストのチラシを用意していたり、


インスタグラムの枠があったり、


落ち葉でハートを作っていたり、


Wifiも使えるようになっていました。
また写真には写しませんでしたが、自撮り用に、スマホを固定する台まで用意されていました。

境内にはお洒落なカフェもありましたね。
観光客を重視しているのが、よく分かります。
まぁ、それも現代においては悪いとは思えませんが。


ところで「来宮神社」はもともとは「木宮神社」と書かれていたそうです。
というのも、「木」に宿る神々をお祀りする神社だったからだそうです。

こちらにある楠は天然記念物だそうで、樹齢2000年と言われる巨樹です。
周囲は24メートルほど、高さは26メートルほどあるのだとか。
単に大きいというよりも、神秘的な迫力がありましたね。


この木の周りを一周すると、寿命が1年延び、
心に願いを秘めながら一周すると、その願いが叶うという伝説があるそうです。

あまりにでかすぎて、写真を見ても、何だか分からないほどですね。


境内には、熱海で95歳で亡くなった徳富蘇峰(とくとみそほう)の業績を顕彰して立てられた碑がありました。
徳富蘇峰は、明治・大正・昭和にかけて活躍した思想家です。
この碑には、昨年亡くなった元内閣総理大臣・中曽根康弘の書が刻まれていました。


来宮神社がどうして若者で賑わうのか、その理由はよく分かりませんが、「縁結び」というのが若い人に受けるのでしょうか。


この後、来宮駅に戻ってタクシーをつかまえて、次の目的地である起雲閣まで行きました。

(この項、続きます)

2020年3月28日土曜日

熱海散歩 1.熱海から来宮へ

現在、東京では「不要不急の外出を控える」ようにという都知事の要請が出されています。
特に年寄りは家にいた方がよいですね。
ということで、この記事は、先週の話題です。

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熱海へ出かけたのは、もう今から1週間前のことになってしまいました。

その日は、ちょうど3連休の中日で、お天気もよく、絶好の行楽日和でした。
まだコロナによる外出禁止要請も出ていない時でしたので、若い着物友だちのお出かけ企画に誘われて、遠征してみました。

都心では歩く人の姿も少なかったのに、熱海では若い人をとてもたくさん見かけて、びっくりしました。
どうもコロナのため、卒業旅行で海外に行きそびれた人などが、近場で遊んでいるといった様子でした。
熱海など、昔はおじさんが社内旅行で行くところだったのに、その差に驚きました。

まずは熱海駅にて記念撮影。


そしてRさんおススメのお寿司屋さんへ直行しました。


「沼津港直送」という看板が出ていました。
沼津港は懐かしいですね。
こちらの写真。


2月に行った▼ばかりのところです。

ここはかなり有名なお店のようで、店の外で名前を書いて、およそ20~30分ほど待たされました。
暖かい日でしたので、みんな羽織姿でした。


それでも待った甲斐がありましたね。
私はランチはあまり量を食べられないので、こちらのセットにしましたが、新鮮なお寿司が10カンで1000円(味噌汁付き、税込み)はお安いですよね。


若い方は、ボリュームのある品を注文していました。


お腹がいっぱいになったところで、熱海駅からこちらのJR伊東線に乗って、一駅。
来宮駅まで行きました。


なんだか可愛らしい駅舎でした。

駅の前で一枚。
マスク姿で失礼します。


そこから数分歩くと来宮神社でした。

(この項、続きます)



2020年3月27日金曜日

「今ひとたびの、和泉式部」

コロナウィルス報道一辺倒で鬱陶しい毎日ですが、家にいる時間が増えることは、読書にはうってつけです。

さて、私の大好きな作家である諸田玲子さんの著書を、立て続けに読んでいます。
今回は「今ひとたびの、和泉式部」という王朝もの。
江戸時代が舞台の時代小説が多い諸田さんですが、こういう世界を描くも、いいですね。


和泉式部という人は、和泉守と結婚していたので「和泉式部」と呼ばれています。
当時は女性の名前は、「だれそれの奥さん」とか「だれそれの母」とか呼ばれていたのです。
ですから、名前は分かりません。
名前が分かっている女性は、藤原氏の娘とか、天皇の奥さんとか、それくらいの時代です。

さて、和泉式部は道長の時代の女性で、道長の娘・彰子に仕えていました。
紫式部や清少納言、赤染衛門なども同時代の人物です。

「恋多き女性」として有名な人ですが、この小説を読んでみると、自ら男を求めたということではなく、たまたま男に顔を見られてしまった、というきっかけで恋愛が始まったということが多かったようです。
当時は、顔を見られただけで、恋愛の対象となっていました。
そして愛した男が次々に亡くなってしまうという悪運が続き、前の男のイメージを求めて、次の男になびいてしまう、という面があったようです。

この小説の面白いところは、その構成です。
半分は和泉式部が生きていた時代のお話、
そしてもう半分は、彼女が亡くなった後に、彼女を偲んだ人たちの追想形式となっています。

そして当然、和泉式部が読んだ歌も出てきます。
私は和歌はほとんど分かりませんが、それでも彼女のシンプルな情熱が伝わってくるような気がしました。

一番有名なのは、百人一首にもあるこの歌ですね。
「あらざらむこのよのほかのおもひでに いまひとたびのあふこともがな」

もう死にそうな私です。もう一度、あなたに会って抱かれたいというストレートな心情の歌です。
当時の「会う」あるいは「逢う」というのは、男女が一夜を過ごすということですから、切実な思いがあったのでしょうね。

そして彼女の娘(最初の夫との間の子供)の小式部内侍(こしきぶないし)の歌も有名ですね。
「大江山いく野の道の遠ければ  まだふみもみず天の橋立」

これは和泉式部が、夫に伴って丹後に赴任した時の歌ですね。
小式部内侍の歌は、母親の和泉式部が代作しているのだろうと疑った男に対して、
「何言っているのよ、私が自分で作ったのよ」と言い放った歌ですね。

残念なことに、小式部内侍もお産の直後に、若くして亡くなってしまいました。
和泉式部はいったい何人の人に先立たれたのでしょうね。
ただし、当時は疫病で亡くなる人が非常に多く、都の道路にはそのような人たちの遺体がごろごろしていたようです。

そして当時の実力者である藤原道長と、彼女の理解者であった行成も、なんと同じ日に病気で亡くなってしまいます。

美しい恋愛の歌の背景には、道長を中心とした政治的な勢力争いがありました。
男たちは、天皇であれ、貴族であれ、その行く手は道長の力に左右されていたのです。
和泉式部の愛した人たちも、その政治の力により、引き離されたり、殺されたりしています。
女性はその中で、歌を作ることくらいしか抵抗できなかったのでしょうか。

意外なことは、千年も昔の話であっても、当時の貴族(今でいう中央官庁の役人かな?)は、かなり頻繁に各地を往来していたということです。
地方の役人になれば、丹後であろうと、常陸であろうと、夫はそこに赴任していきました。
都に残る女性もいましたが、地方に一緒に付いて行く女性もいました。
牛車で旅をしたのか、分かりませんが、その頃から交通網が発達していたのでしょう。
これは「源氏物語」を読んでいても、感じることです。

「今ひとたびの、和泉式部」は非常に面白かったので、2回も読みました。

そして、その後、この漫画も読んでみました。
「和泉式部日記」です。


なんと「キャンディキャンディ」を描いた、いがらしゆみこさんの漫画です。
こちらは、和泉式部が帥宮(天皇の息子、元は彼のお兄さんが恋人でした)と付き合っていた時代を描いています。

情熱的な和泉式部が、おメメパッチリな姿で登場しています。

こういう世界に浸っていられるのは、幸せな時間です。




2020年3月26日木曜日

藩邸訪問

昨日、コロナウィルス感染防止のため、不要不急の外出はしないようにという東京都知事の要請がありました。
こちらの記事は、ちょうど先週の今日のできごとでした。

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ユニークな活動をされている「トウキョウジョウ」▼さんが、新しい拠点をオープンされたので、先日、お邪魔してきました。

というのも、去年の12月、まだ未完成の時にもお邪魔▼しましたが、「みかん箱いっぱい詰め放題で5千円」というイベントで頂戴した着物の着姿を見ていただこうと思ったからです。

その時のみかん箱の中味です。


ということで、JR国分寺から西武多摩湖線に乗って一橋学園まで出かけました。


駅から繋がる商店街を歩くこと数分、「トウキョウジョウ」に到着。


こちらのロゴマークが良いですね。
グレーがかった水色は、私も大好き。
トウキョウジョウの藩主・フンズさんがご自身で制作されたものです。


部屋の壁には、昔の呉服屋さんのたとう紙や、昭和36年の新聞記事などもパッチワークのように張り付けてありました。
懐かしかったですね。
左は高倉健、右は美空ひばりですよ。


私は開店すぐにお邪魔したので、その時はゆっくりとできましたが、次第にフンズさんのお友達や、ご近所の方が入って来て、賑やかになりました。


一階はレトロっぽい銘仙の着物などが置いてありましたが、二階にも行ってみました。
ここでとても気に入った黄色い絣模様の単衣があったのですが、大きすぎてダメでした。
もう一枚は、緑色の紬で、これもとても気に入ったのですが、チビの私でさえ入らないほど小さいもので、これまた残念無念。
それでも記念にと思って、ちょっと正式な感じの袋帯をいただいてきました。

この日は、ちょうどフンズさんのお誕生日祝いを兼ねていたようで、47という年齢の数字の入ったケーキをお祝いに持参された方がいらっしゃいました。
にっこり笑うフンズさん。
おめでとうございます!
ちょんまげ姿も板についてきました。


カラフルな着物は、お母様の着物だそうです。


ということで、新しく出来上がった藩邸でゆっくりと楽しませていただきました。

フンズさん、奥様と一緒に。


武蔵小金井からシルバーパスで地元に戻りましたが、長時間乗っていたので、なんだかぐったりとしました。


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この日の装い。

上の箱に入っていたきれいな付け下げ?です。
淡い水色がよいでしょ。


帯はまたしても黒地の花模様帯。


少し改まった感じになりましたね。